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ASIAN KUNG-FU GENERATIONへ愛を込めて。

 このお話は、マガジン『長い長いお喋りの途中』のシリーズで、友達のハルが出てきます。まだ読んでいない方は、こちらもどうぞ〜




 ASIAN KUNG-FU GENERATION、通称アジカン。
男性四人組の日本のロックバンド。

 私がアジカンに出会ったのは高校卒業間近、または大学入学したての頃。
どの曲で彼らの存在を知ったかはもうはっきり覚えていないけど、『遥か彼方』『リライト』がきっかけだったと思う。疾走感に溢れるメロディーや口ずさみたくなる歌詞のリズミカルさや、語彙の豊かさが魅力的で、すぐに惹き込まれた。

 ハルもアジカンが好きで、私達はよく一緒に歌って踊った。ドライブの途中で、カラオケで、そしてライブで。

カラオケでは、『遥か彼方』で幕開け、『ループ&ループ』で締める流れが定番だった。『ブラックアウト』『君の街まで』『君という花』…アジカンの代表曲を交換ずつ、二人ともマイクが必要ないぐらいに大声で歌った。間奏ではおかしな小躍りも楽しんだ。
ライブ参加は、私にとって人生初のライブでもあった。アジカンの音を全力で楽しもうと、お洒落なんてそっちのけで、Tシャツ、ジーパン、コンバースの動きやすい格好。ポケットには念の為の2千円を小さく折り曲げて詰め込んだ。当日はハルも同じ格好で、わざわざ言葉にしなかったけど、考えや感覚が似ていて心でクスッと笑った。ライブはスタンディングオーベーションの中、吹き出る汗なんてなんのその、全身で全力でアジカンを楽しんだ。


 一人の時も、夏の夕暮れには『海岸通り』でドライブし、冬になると『真冬のダンス』を聴きながら授業に向かった。当時はBUMP OF CHICKENも人気で、アジカン派の私とバンプ派の大学の友人で、どのバンドがどのぐらい素敵かを言い合ったりもした。
アジカンにどっぷりはまっていた私は、各々の楽器のメロディーのみを集中して聴いたりもしていて、この曲はあのベースラインが、あの曲はあそこのドラムラインが痺れるんだよな〜なんて、小学生でピアノをやめ、楽譜ももう読めない一女子大生が音楽通もどきになりながら、アジカンを語っていた。

今さらだけど、昔も今も両バンド人気があり、あの言い合いは不毛だったと思えるけど、いい時間だったとも思える。


 ハルとの時間も大学生活の時間も、アジカンの曲で彩られていたと言って過言ではなかった。そのぐらい私の生活にはアジカンの曲が根付いていた。

 ある日、ハルとアジカンを語っていた時、どちらかが「アジカンって“青”って感じだよね」と表現し、それにどちらかが激しく同意した。それは私達の青春を彩っていたことからの青なのか、曲から感じられる疾走感だったり歌詞の刹那さが、10代の終わりと20代の始まりの若者の心に響きまくっていて、成長途中の自分達の青さをバンドに重ねて青と捉えたのか…。どうしてだか分からないけど、二人にとってアジカンは青色だった。


 

 そんな大好きなアジカンから離れる時期が私に訪れた。それは、ハルと離れた時期と重なる。アジカンを聴くと嫌でもハルとの思い出が蘇ってしまい、避けるようになった。TSUTAYAにCDを借りに行っても、アジカンを手に取らないようにした。
そのぐらい、アジカンの曲とハルとの思い出は密接だった。

 そんな時期を通り過ぎ、意識して避けることさえも忘れていた頃、ユーチューブのおすすめでアジカンがポッと出てきた。

あれは、アルバイトでデータ入力をしていた時。ユーチューブで音楽を流し、イヤホンで聴きながらカタカタとキーボードを叩いていた。突然流れるメロディーと懐かしい声に、これアジカンじゃない?と勘づいた。その時の曲は『生者のマーチ』。鳥肌が立った。悲しくて切ない歌詞。だけど、物語を聞いているかのように最後まで耳を澄ましたくなる。メロディーラインも昔と変わらず素敵だ。

 アジカンが大人になっている!!、数年ぶりに聴いた率直な印象だった。でも、アジカンだと感じられる基盤みたいなものは変わってなくて、落ち着き感というのか深みが増したように感じられて…と、アジカンがさらに魅力的になったことを自分の中で整理したかったけど、興奮が勝り、上手く言語化できなかった。ただ、感動して涙腺が緩んだことは今でもはっきり覚えている。静かな事務所の中、私の耳の中だけ、アジカンの世界が広がっていた。


 それからまたアジカンを聴くようになったかというと、ちょっと違う。アジカンとの再々会はまた数年後になる。
理由はすごくシンプルで、忙しさから音楽自体を楽しむ時間がなくなったから。あの頃、それでもアジカンを聴いていたら、ものの見方や捉え方に変化はあったのかなぁ、と、ふと思うことがある。ちょっと何かの信者っぽい表現になったけど、ゴッチが書く歌詞にはそのぐらい影響力があると思っている。



 数年後、再びユーチューブで音楽を流しながら夕飯を作っていた。始まりはハナレグミを流していたけど、数分後には違うアーティストの曲が流れた。その流れに逆らうことなく聴いていたら、アジカンの『エンパシー』がポッと出てきた。

「何もない街の静けさ何もない手の頼りなさ…」

あ、ゴッチの声。懐かしい声に反応し、テレビ画面に目を向けるとミュージックビデオが流れていた。そしてそのまま見入った。そしてその時、私はハルと再会を果たすべきか否かを迷っていた時期でもあった。

『エンパシー』を聴きながら、ハルとアジカンとの思い出が駆け巡って目頭が熱くなった。そして、アジカンを聴かなきゃ!と衝動が走った。

ユーチューブに並ぶアジカンの曲を、目に入った順で聴いていった。昔聴いていた曲も最新の曲も聴いた。乾いた身体にゴクゴクと水を飲み干すように、アジカンの音楽を求め、身体の隅々に音や歌詞が行き渡るように全身で感じ、浸った。


そして思った。

アジカンは変わった。変わったけど、変わっていないところもある。昔の曲も今の曲も、全部アジカンだ。

当たり前のことかもしれないけど、そのことが嬉しかった。それを自分達にも重ね合わせた。

私達は変わったかもしれない。でも、きっと変わっていないところもある。それが、お互いがまた会いたいと思っている仲だったら、どんなにいいだろう。と、願った。


 『ソラニン』を聴いて涙し、『ループ&ループ』でハルに会いたいと確信した。あれこれ考えすぎて再会を躊躇する私に、会いたいと素直に伝えた方がいいよ、と、もう一人の私が背中を押す。
このままの勢いでハルへの連絡を取り始めたかったけど、少し大人になっていた私は、素直な気持ちを大切にしつつ、冷静さを取り戻すため一晩寝かすことを選択した。

そして、

上手くいくとは限らない。だけど、それでも…その時は全部受け入れようと覚悟を決めた。

『人生は常に出会い直しを必要とする』の言葉が、溺れそうなくらい沁みたんだ②より

 
(ハルとの再会の詳細やその後のことは、“『人生は常に出会い直しを必要とする』の言葉が、溺れそうなくらい沁みたんだ②”に綴っているので、省略する。)


 私達は再会した。お互いがまた会いたいと思っている仲であったことが、純粋に嬉しかった。
ハルは「たまに、元気かな~って思っていたよ」と言ってくれた。私もそうであったとすぐに伝えたかったけど、お互いを想い合っていた事に胸が熱くなって、「私もだよ!」の一言目がなかなか出てこなかった。

 ハルは、今はアジカンは聴いていないようで、別のアーティストに熱中していたけど、私も同じ熱量でその同じアーティストが好きで、偶然かもしれないけど、やっぱり似ているな〜と心の中でクスッと笑った。

 私達は少し変わった。そして、変わっていないところもあった。それでよかった、それが嬉しかった。


 二人でアジカンを聴いたり歌ったりするチャンスは今のところはないようだ。
でも、そのチャンスが来た時、私達の中で思い出が沸き上がってくるだろ。たぶん、きっと、その時間はやってくると思う。そんな気がするのだ。

そして、自分達とアジカンの今を見て、また彼らを色に例えるかもしれない。
青色だったアジカンは、何色になっているんだろう。


 離れてもまた戻りたくなって、戻ってくると変わらない音色で迎え入れてくれる。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONが彼らのままで奏でていてくれることに、愛を込めて、ありがとうを。










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