出勤最終日
9月14日。
今日は出勤最終日。
4年半、色々ありました。
その分色んな人に大変お世話になりました。
そんな気持ちと4年半を振り返りながら綴りたいと思います。
1年目
私は以前書いたように、地元に貢献したいという思いが強くあったのと、色々な媒体を取り扱っているところで幅広く学びたいという気持ちで、志願し入社しました。
入社当時はコロナ前だったため今よりもはるかに忙しく、先輩や上司に気軽に聞ける雰囲気はあまりありませんでした。
そのため、私は「あの中に早く入れるようにならなきゃ」と仕事を早くできるようになろうと努力しました。
ショートカットキーの暗記と、アイディアやチラシの作り方のポイントを抑えることをひたすら自分で学びました。
お客様の癖なども覚えるようにして、作り直しがないように努めました。
新歓では左に社長、右に部長という強烈な配置にされ、酒をずっと飲んでたら1人で帰れなくなってしまったなんてこともありました。
あとは、チラシを1日で最速4件仕上げたりしたのでそれもあってか修正対応に追われてどれが1番最優先したらいいものなのかわからなくなって、隣に居た上司に「これ、私優先順位わからなくなっちゃいました!」って言ったこともありました。笑
2年目
2年目にして上司が妊娠を機に、産休に入ることになったと同時に新人が入ってきました。
私の学校の後輩です。
そのため、先輩も教えたりしていましたが、私も時々教えたりして、過ごしていました。
丁度コロナだったので、緊急事態宣言が出された時も出勤していた私達は休暇を交代で取らなくてはいけなくなり、先輩が休暇をとっている間は私が後輩に教えたり、私より勤続年数が長い方がいるのに私が部の仕事を回したりして、一気に成長できた年だったなと思った年でした。
2年目で仕事を振り分ける位置になれるだなんてことまずなかなかないないと思いますし、頭もそれなりに使ったなぁなんて思います。
3年目
上司も産休から復帰して、そろそろフリーになりたいななんて考えていました。
「石の上にも三年」ということわざがあるので、3年経ったし、、とか思っていました。
でも、コロナ中にフリーになるのはちょっと厳しいんじゃないかなと判断して、辞めるのを先延ばしにしよう、と思い、次考えるのは5年目かなと密かに思っていました。
まぁまぁ仕事はこなしている方だと思っていて、みんなの助けになれてる感じにとてもやり甲斐を感じていました。
仕事の内容というよりもそっちの方が大きかったです。
2年目もそこそこそれは感じていましたが、3年目は上司が復帰して、上司にも頼られたりしたことにより、さらにやり甲斐を感じました。
私もちゃんと認められたんだなってやっと思えた年です。
それと同時に社長案件に携わることが増えて、社長とのやり取りが非常に多く、精神的にキツかったのを今でも覚えています。
気を遣うし、大きいクライアントさんの案件を10社20案以上のコンペから勝ち取ったときも勝ち取ったことは嬉しかったのに、その後がとてもつらく、泣きながら帰ったり、何も楽しいと思えなくなったり、胃腸炎になったり、何もないのに涙が出てきたりしてほんとにつらかったです。
そんな時にTwitterで呟いて、皆さんに助けられた印象が強かった年でした。
その説はほんとにありがとうございました。
4年目
地元に貢献できた年でした。
地元のパンフレットやポスターなどを担当させていただくことが多く、学校の会報誌を作ったりもしていました。
地元のものを担当すると、とっても楽しく、とってもやり甲斐を感じました。
そして、帰り道とかに見つけた時のテンションの上がり方は半端ないくらい。
うわぁ願いが叶った!とも思いました。
そして、3年目か4年目かあたりで動画の案件をやり始めました。
私しか動画が作れなくなり、私が全てをこなさなくてはいけなくなる、ということを知らずに私は必死に動画案件を楽しんでやっていました。
正直、学校で動画の授業があったのですが、唯一動画だけは課題を1度も提出できませんでした。
動画のソフト全然理解できなくて、、笑
なのに、今では動画専門スタッフとして唯一制作していたので、なんだか不思議な感じでした。笑
そして5年目
動画制作が定期的に入ってくるようになり、私は紙媒体より動画の方が量をこなすようになっていました。
気づいたらいつの間にか、別に悲しくもないのに涙を流すようになっていました。
胃腸の調子がとても悪くなりました。
胃薬が手放せなくなりました。
その私だけしか動画ができない状況、5年目にして給料が手取りで17万いくかいかないかくらいであること、あまり自分がやりたいことに挑戦できないこと、縛りが多すぎること、オフィスというみんなで働くという場所で色んな声、物音が気になってストレスになってしまったこと、会社の方針、色々私に合わないと思うことがあった上、5年目でフリーになろうと思っていたこと、自分の限界に挑戦をしたいということもあり、退職に踏み切りました。
今最終日の通勤をしながら打っていますが、
この電車に乗ることも、いつも一緒の時間に乗っている名前を知らない方たち、学生、車窓から広がる田園風景、朝の光、この朝の忙しい雰囲気、この空も景色も全て今日が最後。
この時間に通うのは最後。
こんな風に振り返りながらそう思うと、こんなに胃が痛くなったり、何も楽しいって思えなくなったような会社でも、新卒の私をここまで育ててくれたことには変わりないので、寂しい気持ちでいっぱいになり、涙さえ出てきます。
この電車からの景色が好きだった。
景色を見ながら頑張ろうって毎日思った。
こんな天気悪いのに通勤するのかよって文句を言いたい時もあった。
今日憂鬱だなって思った時もあった。
時には祖父が亡くなった直後で泣きながら通勤していた時もありました。
それでも4年半、頑張って通勤しました。
この景色があったから、この景色が好きだったから頑張れました。
あとひと駅。
もうひと駅。
もう通り過ぎた駅をこの時間に通ることもなかなかないだろうな。
最終日、頑張ってきます。