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サンちゃんの自分探しの旅『 初めての親への反抗 😅』

皆さん、こんばんは🌠

ネバーギブアップ人生を生き抜く サンちゃんでーす🐶

今日のサンちゃんの自分探しの旅。

『 初めての親への反抗 😅』
について、振り返ってみたいと
思いまーす。

皆さん、『初めての親への反抗
って、いつだったか。』

覚えてますか❓

サンちゃんの初めての親への反抗は。

確か、小学校5年生頃だったかと。

サンちゃんの両親は、今でいう、
教育パパ・ママの走りで
塾通いをさせてくれてました。

させては、くれていたのですが。

当の本人は、嫌で嫌で仕方なかった事は、痛烈に覚えてます。

では、なぜ、嫌だったのか。

その塾の男の先生は、物凄く、
厳しく、宿題を忘れようもんなら
黒板のチョ-クが飛んでくるやら、分厚い参考書で、本人の机の前を 叩くやらで。

そうなんです。

怖くて怖くて仕方なかったんです。

しかも、塾生の中でも、一番出来が悪く、ついていくのがやっと。
いや、ついていけなかった んです。

その当時、小学校で教わる授業の先の先を教えてくれるので
知らない事ばかりで
ついていけない。

その塾は、どうやって通っていたのかというと。

サンちゃんの自宅は、富雄という駅でした。

奈良駅まで、電車で行き、そこからバスに乗り換えてですから、
片道はゆうに、1時間はかかっていたと思います。

最初は、慣れるまで、ママさんが一緒について行ってくれました。
が、慣れると、一人で行く様になりました。

塾に行くのは、正に、小学生のサンちゃんにとって地獄の日々でした。

で、どうしたか。

サンちゃんは、塾をさぼる事にしたんです。

ほんとに、行くのが嫌だったんですね。

どうやって。

今、思い返しても、ゾッとする様な綿密な計画を立て実行しました。

❶塾に行き、何時に帰宅するか、頭にいれる。

❷本来は、奈良駅にいかないと行けないのですが、反対側の大阪駅行き
方面の電車に乗り、奈良駅までと同じ位時間がかかる駅(乗車する富雄駅から約30分)で下車。

❸その駅のプラットホームで、ひたすら時間をつぶす。

❹帰宅時間に合わせて、電車にまた乗り、富雄駅で下車。

❺何食わぬ顔で、今日も頑張った様な顔して帰宅。

週に1~2回、塾通いをしてましたから、3週くらい、経過した時
でしょうか。

大事件がおこります!!

そうです。

お察しの通り、塾の先生から、 
パパ・ママさんに、『お宅の
お子さん、塾に来てませんが、
何かありましたか』
と1本の電話が。

忘れもしない、パパさんが会社の
休みの日曜日にどやされました。

当たり前だのクラッカー』

ですよね。古いか(笑)

でどうしたか。

サンちゃんは、号泣しながら、
いかに嫌で、どうやって
さぼっていたか、
正直に訴えました。

3時間ぐらい、かかったかと。

当時、世界一と称されていた証券会社で、夜討ち朝駆けで、家族の為に働いてくれたパパさんにとって

正に、『何でうちの息子が』
状態だったかと。

今、思い返すと、期待を裏切ってしまい、申し訳ない気持ちで一杯
です。

天国のパパさんへ

『ほんとに、ごめんなさい!!』

でも、サンちゃんのパパさんは、 息子の気持ちを察してくれて、
塾をやめさせてくれました。

感謝、感謝、感謝です。

今、思い返すと。

①こんな小さい時から親不孝かけていたんだ。

②小さいなりに、腹をくくって、
反抗していたんだな。

猛省する限りです。

で、あとあと、この嫌な体験が
活かされる事に。

それは何か。

サンちゃんの2人の息子君には
塾や習い事の強制はしなかった
事です。

こんな事書くと、大迷惑をかけ通しのカミさんから

『何、かっこつけてんのよ。
お金がないから、行かせてあげら
れなかったんでしょ😡』

と、どやされますが😅

お金がない為に、一番、塾に行かせてあげたい時に最低の事しか、出来なかった。

情けない話ですが。

その当時は必死でした。

お金で苦労してきた話は、うなる
程、ありますので、またの機会に
お披露目しますね。

いかがでしたか。

皆さんも、親への反抗のエピソ-ドあるかと。

もし良かったら、教えてくださいね。

それでは。

皆さん、今日も一日、ご苦労様でした。

ネバーギブアップ人生を生き抜く サンちゃんでした🌅

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