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なぜ書店でのワクワクが図書館では再現されないのか


本の虫に戻りたいサン


市立図書館に行ってきた。


小学生の頃は、母や祖母に「本当にサンは本の虫だねぇ」と言われるくらい、図書館で本を借りて読みまくっていた。


しかし、大人になるにつれ読む量が減った。


マンガか、勉強のための本ばかり購入するようになった。


マンガもいい。

医学書もいい。

経営学に関する教科書もいい。


でも、心から読みたいと思って読んでいる本ではない気がしていた。


仕事に必要だから読む。

単位を取るのに必要だから読む。


そういう「義務感」から逃避したくて、手をだす漫画。


サンの理想とは違っていた。


昔と比べて、活字から離れている時間が長いせいか

文字を読むのが苦痛になってきているのも寂しい気がした。

目が滑って、ちゃんと読めないのだ。


無意識に読み飛ばしている。


あれ…なんて書いてあったんだっけ…


全然没頭していなくて、内容が入ってこない。


これは読書とは言わない。



読書を楽しいと思える自分に戻りたい!


街に出て、駅やショッピングモールにある書店にフラッと立ち寄ると

あぁこれもあれも読んでみたいな…


本を手に取ってワクワクする気持ちが、まだサンにはある。


でも、他にやらなきゃいけないこともあるし
時間がなくて結局積読本になっちゃうかも…


結局、なかなか買おうという意思決定には至っていなかった。


収納問題も頭の隅にちらついた。


引越しの際にメルカリで売ってだいぶ量は減ったが、今の本棚に余裕はあまりないのだ。


しかし、今月で大学院が終わる。


週末朝から晩まであった講義も無くなるし
卒業課題の提出も終えた。


自由な時間が増える。


Amazon PrimeやYouTubeを観るのではなくて

本を読む時間にしたい。


そうして、先日はじめて市立図書館に足を運んだ。


久しぶりの図書館


利用者カードを作ってもらう。

貸し出しの際に必要になるものだ。


1回で15冊まで借りられるらしい。

すごい。
でも、そんなに借りて持って帰るの大変だろ。笑


日曜日の昼間

多くの人で混み合っていた。


いや、図書館なので「混み合っていた」と言っても

ショッピングモールや電車のような混み具合ではないが。


座って読めるスペースは9割がた埋まっていたのだ。


ほとんどは学生さんのように見えた。

本とノートを広げてペンを走らせていた。


PCを広げている人はほとんどいない。

まぁ、日曜日だし、仕事をしている人はいないだろう。


ご高齢の方も多かった。

子ども用の本は別の階に分けられていて読み聞かせをしている親子もいた。


騒ぐ人はいないが、出入り口やカウンターの近くはややざわざわした感じもある。


館内の本棚を一通り見て回ることにした。

どんな本を読むか決めてこなかったからだ。


気にいるものがあれば手に取る。
書店でもそうだった。


しかし、なかなか手に取りたい、読みたいと思う本がなかった。


なぜだろう。


ワクワクが再現されないのはなぜか



1. 新品に心躍る説


書店でのワクワクは、単に

新品

だったからなのかもしれない。


表紙はツルツルとした質感のカバーで覆われ
店内の照明を反射し目に入る。

まだ誰のものでもない、新品の本。


一方、図書館の本は

汚れや傷、紫外線による劣化防止のためにブックコートフィルムが貼られている。

少しざらざらしていて、エンボス加工気味なので、光沢感が失われているのだ。


ヨレてもいないし、中に落書きしてあるわけでもない。

本を守るためのフィルムがあるからこそ、綺麗な状態で読めるのだが

どうしてもワクワクを目減りさせているような気がした。


2. 本の置き方のせい説


書店で目に留まる本は、大抵表紙が見えるように置いてあるものだ。


表紙を見せる置き方は図書館用語では「面展示」、書店用語では「面陳列」「面陳」と紹介されている。
背表紙を見せる置き方は図書館用語では記述が見当たらず、書店では「棚ざし」「背ざし」と紹介されている。

レファレンス協同データベースより引用


表紙が見える形で立てかけてあったり、平置きにしてあるので

パッとみてどんな本なのかがわかりやすい。


絵柄やタイトルのフォントなどに惹かれて、手に取ってしまう。


一方、図書館は基本的に、棚差しである。

背表紙しか見えないので、タイトルからどんな内容かを想像するしかない。


色情報も限られるし、柄もないわけなので

想像はあまり膨らまず、興味を持ちづらいのだ。


だから、どれを借りていいのか分からず同じところを3周くらいした。

思春期の頃はこの作家さんの本好きだったけど
今の感性でまた好きかどうか分からないしなぁ〜…

そう思いながらも、結局、昔読んだことがある作家の本を手に取る以外、選択肢がなかった。


3. ポップや帯のおかげ説


書店には、書店員さんの作ったポップがある。


こういうのな


どういう本なのか、どこがおすすめポイントか

これまたカラフルに絵柄つきで紹介されているのだ。

目に留まりやすい。


また、新しく発売された本だと、帯がついている。

帯には著名人が読んだ感想であったり、ドラマ化・アニメ化などの宣伝も含まれるが

そのキャッチコピーから内容を想像し、ワクワクが生まれている気がする。


一方、図書館ではほとんどポップはない。

帯も、もちろんない。


時期によって特集を組んで、イベントペースにポップつきで展示されている場合もあるが、一部である。


そして、だいたいそこに展示されている本は、すでに借りられていて、予約待ちだ。


4. 照明やBGMの恩恵説


書店は、BGMが流れていることがある。

ざわざわを掻き消してくれる効果があって、視界に入らない限り、自分以外の人間の存在をあまり気にせずに、書籍に注目できる。

そんな気がする。


照明も図書館と比べるとやや温かみのある色味な気がしている。


図書館は、本を選びに来る人だけではなく

  • その場で本を読む人

  • 勉強しにくる人

がいる。

書店とは用途が違う。


だから、BGMは邪魔になるし、照明も白色で冷たい印象の色味である。


勉強する人にとっては、静かで集中できる環境になっている。

一方で、ワクワク感は薄れる。


今回行った市立図書館は、調べ物をするにはちょうど良いが、ゆっくりくつろぎながら読書に没頭するには、やや居心地が悪いと感じた。


静かだからこそ、音が気になってしまう。

他人の発する音に敏感になってしまうのだ。


ページを捲る音、咳き込む音、機械を操作する音など…

少しBGMでもあれば、かき消してくれるのになぁ。と思った。


BGMや照明以外にも、くつろぎづらい要因はあった。


読書スペースが、ほとんど勉強する人用のデスク・椅子用にあつらえたデザイン・配置だったからだ。


サンが行った時にはすでにほとんどのスペースが埋まっていた。

本棚の合間にあるスツールがかろうじて空いていたが、

背もたれは本棚。
肘掛けもない。
荷物やコートを置くスペースもない。


サンは、コートを着たまま、鞄を胸に抱えて膝の上で本を開いた。

ゆっくり読める環境ではないなと感じた。


これが読書!


図書館ディスのような内容になってしまったが
図書館には行って良かったと思っている。


少し興味を持てた本を6冊ほど借りてきた。

今、そのうちの3冊を読み終えたところである。


昔から好きだった松岡圭祐の小説には没頭した。

あぁ!
読書している!

そう思えた。


音も、映像もないのに

展開にドキドキしたり
トイレやごはんも忘れて、最後まで読み切ろうとしてしまう。


したかった「読書」ができた。


早く他の本も読み切って、返却し、新たに本を借りたい。

今はそういう気持ちでいっぱい。


ワクワクを代替する


書店にあって、図書館にない「ワクワク」


これさえ代替できれば、図書館は最強なのだ。


そこで、これ読みたいな〜と興味を持つ場所を別に用意することにした。



1. taknal



これは、職場で紹介してもらったアプリ。

物理的に近くにいる知らない人がおすすめしている本を、アプリが知らせてくれるのだ。

表紙の画像とともに、おすすめポイントが書かれていて、興味をそそる。


出版社が売りたい本、書店が売りたい本ではなく

読んだ人の純粋なヒトにおすすめしたい!という気持ちで選ばれた本なのがいい。


自分の読んでみたい本や、実際に読んだを記録しておくこともできるので、あとで振り返るのにも役立ちそう。



2. 動画配信サービスやSNSの本紹介アカウント


TikTokやYouTubeの本紹介チャンネルでは
たくさん本を読んできているであろう読書家の方が、おすすめポイントをかい摘みながらどういう本か教えてくれる。

それで興味を持った本を、図書館で探せばいいじゃないか。


そして読む場所は、自宅でいい。

好きな姿勢で、好きな照明で、好きなBGMをかけて
飲食しながら読むことができるのだから。


サンも読んで良いなぁと思った本があれば、noteで紹介したいかもしれない。

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花嫁にもなれず、総合内科専門医にもなりきれぬ哀れで醜い可愛いサン
花嫁にもなれず、総合内科専門医にもなりきれぬ哀れで醜い可愛いサンをサポートしたいという気の触れたこだまたちはおらぬか!