見出し画像

【遅い】2024年を振り返る&2025年の目標

Saluton! みかわやです。
2024年は自分にとって激動の1年だったので、1ヶ月ごとに何をしたのか振り返ろうと思います。また、2025年の目標も書きます。

1月:倒れる

2023年の末から、謎の息苦しさと眩暈を感じていたのですが、1月の前半に龍笛という雅楽用の楽器を練習していた際に酸欠で倒れ、救急病院に担ぎ込まれました。その時は「酸欠だろう」ということで事なきを得たのですが、その1週間後に今度は何もしてないのにキャンパスで歩行困難に陥りました。
当時は卒論の執筆と残り単位の取得、ついでにTOEICや ITパスポートなんかにも挑戦していたのですが、知らず知らずのうちに自らのキャパシティを超え、どうやらこれが不調の引き金となってしまったようです。
現状を聞いた両親によって地元に連れ戻され、病院にかかったところ、「鬱病」の診断が下りました。
実は過去に「尿意が気になりすぎる」というめちゃくちゃしょうもない理由で「強迫性障害」の診断をもらってはいたのですが、ほぼほぼ寛解しており、後は時々調子が悪くなった時にメンクリに駆け込んで薬をもらう、ということでほぼ支障がなかったのですが、この後約半年、久々にガッツリと精神科にかかることになります。

2月:卒論提出、就職がフリダシに戻る

そんな感じで地元で療養することになったのですが、倒れた時点で卒論は9割9分完成していたので、それを提出しないのは流石に勿体無いと思い、残りの1分を書き上げて提出しました。この時、あと少しなのにも関わらず、筆の進むペースがいつもよりも異様に遅く、頭に霧がかかったような感覚が晴れませんでした。帰ってきてからというものの、「鬱病という大義名分を得てサボってるだけなんじゃ……?」と自分を疑いたくなることもありましたが、この経験は私に鬱病を自覚させるには十分でした。本当にもう二度と味わいたくないです。

さて、話は変わりますが、私も一応普通に就活はしていたので、内定先の企業がありました。しかし、(当たり前ですが)地元にいる上にこの病状なので、授業など受けれるはずもありません。つまり、卒業が遅れる、即ち当初の予定通りに入社できないことが確定してしまったわけです。
どうやって企業の人事に言い訳しようか迷いました。正直なところ、日本はまだ精神疾患に対する偏見が根強いようにも思え(過去の強迫性障害の話をしたら、不本意なことに「メンヘラ」と雑に括られてしまったことがあります)、かといって偽の理由(自分が不学なことにする)なども話の辻褄が合わなくなったら大変だと思っていました。
人に聞いても意見は様々でしたが、最終的には90歳になる祖母の「鬱病には理解を必要とする。正直に言った方が良い」という言葉に従い、人事に正直なメールを打ちました。戦前育ちの割に現代的な思考だ、と思われるかもしれませんが、過去に長男(つまり私から見て叔父ですね)が鬱病を患っていたことも影響していると思います。あと毎日のように新聞やNHK教育を見て価値観をアップデートさせていたことも原因かもしれません。
メールを打ってから数日後、人事部長との面談がありました。「まぁ内定取り消しだろうな」とは思っていましたが、案の定そうなりました。しかし「君の能力は買っている。是非とも来年度の選考を受けて欲しい。優遇もする」とも言われ、結局再びその企業の面接を受けることになります。

3月:「ギフテッド」発覚

私が精神科で受けていた治療はいわゆる「認知行動療法」のようなもので、簡単に言えば、自らの「認知の歪み」を直すものです。
たとえば「常に学校のテストでは100点を取らないといけない」という強迫観念があったとします。しかし、冷静に考えれば、たとえばそのテストがあまりにも難しすぎた場合、100点を取ることは容易ではありません。平均点30点のテストなら、60点もあれば上々でしょう。逆に、あまりにも簡単すぎるテストで100点をとったところで大した意味はありません。このような客観的な視点の気付きを増やし、自らの歪んだ、凝り固まった思考をほぐしていきます。
そのような過程で、私にはどうやら「過剰な無能感」があることがわかってきました。過去の失敗や周囲との比較に引きずられ、自らを過小評価している疑いがあることがわかってきたのです。そして、その原因として挙がったのが「イージーミスの多さ」です。中学受験の時から続く計算ミスの悪癖や、必要書類の提出忘れ(私はこれのせいで3ヶ月の休学を余儀なくされました)、賞味期限の管理ミス、約束のすっぽかしなど、枚挙にいとまがありませんが、エピソードの業が深すぎるということで、一度発達障害に関する検査を受けることになりました。
検査の名前はWAIS-Ⅲと言い、すごく時間の長いIQテストなのですが(この詳細はいつか動画にでもしようかなと思っています)、ここで衝撃の事実が発覚します。何と私はIQ137の俗に言う「天才」だったのです(自分で言ってて恥ずかしくないのか)。とんでもなく悪い結果が出て、ADHDなどの診断名が出て、投薬などの医療的介入があれば少しは状況はマシになるかも……。と思っていましたが、蓋を開けてみたらむしろ逆だったというよくわからないオチでした。とはいえ、言語性IQ(雑に言えば文系)が150、動作性IQ(雑に言えば理系)が110と、差が40近くあったので凸凹していることに違いはなく、「発達障害ではないが、生きづらいだろうなぁ」とは言われました。

実際の結果。改めて見ても酷い凸凹である

4月:仏壇屋でのアルバイト

病状も良くなり始めた4月、思い切ってアルバイトを始めることにしました。残りの単位数的にも時間にだいぶ余裕があった上、「iMacを買いたい🖥️」と衝動的に思ったからです。選んだのは近所にあった仏壇屋でした。
なぜ仏壇屋を選んだかというと、単純にレアなバイトだからです。タウンワークとかみたいな求人サイトにも載っておらず、身の回りに仏壇屋でのバイト経験がある人など誰もいませんでした。時給がそれなりに高かったのも嬉しかったです。
かくして、仏壇屋でのバイトを通して金を稼ぎ、同時に宗教について勉強する日々が始まりました(ところで、「お盆」の習慣は中国由来って知ってますか?仏教的な行事であることからインドで生まれた概念だと考えられがちですが、儒教的な考えを大いに含んだ、いわゆる「偽経」なんですよね)。

この頃にはもう大学にも通うことができるようになっていました

5月:鬱の寛解&まさかの内定先

バイトと精神科の通院を続けながら過ごしていましたが、ついに主治医から「もうだいぶ落ち着いてきているし、そろそろ働けるだろうね」と言われました。この日を以て私は鬱の「寛解」扱いとなりました。
カウンセリングを続ける中で、いくつもの強迫観念をひとつひとつ理詰めでやっつけていきました。無能感についてはIQテストの結果で捻り潰しました。また、「普通」や「常識」に囚われすぎていることもわかったので、それはその場その人によって変わってくることも理解しました。たとえば、「こんなダメな人間、みんな失望して離れていくに違いない、なぜなら常識的に鬱病患者は厄介だから……」と思っていても、実際に離れて行った人なんて一人もいませんでした。寧ろ私を気遣い、心配してアドバイスをくれた人の方が多数でした。そうして私は過去のこだわりを捨て、身軽に生きることができるようになりました。

そしてゴーサインが出たことにより再び受けた面接。いわゆる「ガクチカ」などはほとんど一切聞かれず、病状が回復したかどうかについて詳しく聞かれたので、そこに関して詳しく話しました。人事の方もこのようなケースは初めてだったようで、私が鬱病のメカニズムや症状などについて話すと「なるほど……」と言いながらメモを書いていました。就活あるあるの「逆質問」では、1回目の就活(?)の時には聞けなかったような、かなり細かいことについて質問しました(この事業をなぜ始めようと思ったのか?など)。
結果は無事合格で、内定が再び決まったのですが、人事部長から「当初応募してくれていた職種ではなく、別の部門に行ってくれ」と言われ、驚きました。毎年1人いるかどうかの極めて狭き門で、最初から選択肢から外していたのですが、キャリア的には箔がつきそうでかなりオイシイ申し出だったので、これを快諾しました(何の部署かまでは機密情報かもしれないので言えませんが、新卒は私以外1人もいないそうで、世の中でも新卒がこの部署に配属されることは極めて珍しいそうです)。災い転じて……ということかもしれません。

6月:MENSA入会、しかし何もせず

精神科の通院も終わり、再びの就活も終わり、肩の荷が降りたところで、急にMENSAについて思い出しました(確か、のんのんびより→小岩井ことり→MENSA……みたいな適当な連想ゲームだった気がします)。MENSAとは、 IQ130以上の人が所属するサークルで、世界中に存在します。当時私は「地元での友達を増やしたい」と思っていたので、高校の同期や幼馴染にお久しぶりLINEを送ったりしていたのですが、MENSAなら変わった友達ができるかもしれないと思い、申し込みをしました。
MENSAの入会方法には2種類あるらしく、公式のIQテストを受験して基準を満たすか、医療機関で受けたIQテストの結果を提出するというものなのですが、先述の結果があったので、それのコピーを取って本部に送りました(オンライン提出はできないのか?と思いましたが、おそらく組織の高齢化が進んでいると思われます……)。
無事に書類が受理され、MENSA会員となったのですが、新入会員向けの行事がある日に限ってことごとく予定があり、それは今現在まで続いています。このアンラッキーが解消されたら何かしらの行事に参加し、その様子を動画にでもしようかな〜と考えています。

唐突ですが、私は意外と歌が上手い(6月)。

7月:バイトを辞める&エスペラントを始める

バイトを始めて3ヶ月くらいが過ぎ、大体のことができるようになってきた時、急に身体の疲れを感じることが増えてきました。そして、何と首にカビが生えました(冗談ではなく、本当に)。医者からは過労に伴う免疫低下を疑われ、当時の生活習慣を話しました。週1でバスで東京に行き、週4でほぼフルタイムのバイトをしていると伝えたところ、「やりすぎ」と怒られたので、それもそうだと思い、見直すことにしました。
とはいえ元々週4での出勤が前提となって採用されていたようで、これ以上シフトを減らすのは難しいと言われ、バイトを辞めることにしました。人には恵まれていたし、普通のバイトにはできないようなことを多々やらせてもらったので、少し残念でした。

さて、バイトを辞め、本棚を何気なく見ていると、過去に買い漁った「ニューエクスプレス」シリーズという語学書がありました。大学2年生の時に「とりあえずの積読」として買ったのですが、その中でもなぜかエスペラントが目に留まりました
こうして「ニューエクスプレス エスペラント語」を読み進めてみて、エスペラントの文法の容易さや、それにも関わらず表現が非常に豊かなことに感銘を受け、「よし、しばらくこれをやろう」と思いました。1日2課を目標にして進めていましたが、ハイペースに勉強しても頭がショートすることがなく、驚いたのを覚えています。後に1日8時間エスペラントの勉強をし続けたことがあったのですが、それでも頭は爆発しなかったので、この言語の簡単さは桁違いだと思います。

「ことのはアムリラート」という、エスペラントを扱ったゲーム。相関詞は未だにわからない

8月:コロナ感染&エスペランティストとの遭遇

唐突ですが、私は野球が大好きで、よく試合を見に行きます。そんな野球観戦の最中に、「南海トラフ臨時情報」が出されました。場内には地震注意のアナウンスが流れ、いつもとは違う雰囲気でした。地震に怯えながらも外野から声援を送りましたが、怯えるべきはコロナウイルスでした。日本のプロ野球では、外野席から大声を出して応援歌を歌いますが、それが良くなかったようです。数日後の夜に37℃台の発熱を出し、コロナ感染と診断されました。
感染中はゲーム以外ほぼ何もできずに過ごしていたのですが、「ついに流行病に罹った」ということから来る謎の高揚感のせいなのか、病状の経過をエスペラントの教科書などと一緒にアップロードしていました。JEI(日本エスペラント協会)さんとの関わりが始まったのはここからです。

まさにこのように

また、「エスペラントの本が欲しい」ということで、NEC(名古屋エスペラントセンター)さんにもFacebookを通じて連絡を取り、訪問しました。NECの存在は中日新聞の特集を通して知り、ホームページを覗いてみたところ、古本整理の名目でエスペラントの本を半額で入手できると書いてありました。無事に何冊かの本を入手し、エスペランティストたちが所属するメーリングリストにも加えていただきました。これが後にザメンホフ祭(エスペラントの祭り)に参加する契機となります。月末には上智大学のエスペランティストたちと繋がる機会も出来、人脈が大きく広がりました。

9月:「エスペラントサークル」に向けて&骨折

上智大学には「エスペラントサークル」があります。では、それをICUでも作ってみたらどうでしょうか?そのような至極単純な思いつきから、エスペラントサークルを作るために勧誘を始めることにしました。
先ず、いろいろなタイミングでエスペラントについて呟くツイートを増やしました。5、60年前なら良いのですが、そもそも我々の年代ではエスペラントの存在を知らない人が大多数ですので、単純接触効果を狙ってひたすら呟き続けました。結果として、それなりの数の人がエスペラントを話題にすることが増え、大学では「エスペラント人」と呼ばれ始めました。
また、JEIの事務所を訪れるようになったのもこの頃からです。学会員の皆様にはパンフレットを譲っていただいたり、裏の図書庫を見せていただいたりしました。エスペラントで書かれた讃美歌から毛沢東語録に至るまで、さまざまな書籍がありました。

そんな活動をしていた矢先、扉に足の中指をぶつけました。「どうすればエスペラントが広まるだろうか?」と考えることが多くなった中で、若干注意散漫になっていたということはあるかもしれません。2、3日経っても痛みが引かなかったため「これはひょっとしたらヒビが入ってるかも……」と思いましたが、普通に折れていました。以降1ヶ月に渡って松葉杖生活を余儀なくされますが、それよりも問題だったのは体重でした。夏頃から食欲が限界を突破し始め、気付いたら82キロを超過していました。これが後々大きな問題を招くことになります。

JEIの建物。移転の噂がある

10月:プログラミングで死亡

松葉杖をつきながらも、疲れから来る嘔吐などをしながら何とか大学に通っていたのですが、それよりもキツかったのは大学の授業でした。
昔からプログラミングには興味があり、未経験のくせにエンジニア志望で就活をしていたこともあります。その延長線上で何となくプログラミングの授業を取ったのですが、これが難し過ぎて頭が爆発しました。ChatGPTの使用は限定的ながらも許可されていましたが、それでも十分に難しく、夜に始めた課題が気付いたら朝までかかっていた……ということもよくありました。「これはエンジニア就活にコケておいて良かったな」と、自分の適性の無さを再確認しました。

エスペラント・ヴィーガンカフェ「ソーヨ」にて。
これ全部植物性原料、信じられる?

11月:エスペラントシンポジウム

11月の初めに、ICUでエスペラントとハンセン病に関するシンポジウムがありました。ここにはハンセン病の歴史に興味がある人のみならず、エスペラントに興味がある人も来ると考えたので、「シンポジウムの休憩時にエスペラントサークルの勧誘をさせてもらえないか」と、主催者の教授に頼んで、時間を作ってもらいました。当時エスペラントサークルには(名義貸しも含めて)4人のICU現役生がおり、あと1人集まれば、公認クラブ化の基準を満たします。そのため、何とかあと1人でも良いから集めるべく、呼びかけを行いました。幸いなことに、高校時代からエスペラントに興味を持っている人が1人加入を承諾してくれて、サークルとしての体裁を整えることができました。
ただ、全てが順調なわけではありません。このような時期に勧誘を行ったせいなのか、ほとんどの部員が何かしらのサークルに既に所属しており、都合がなかなか合わないのです(さらに悪いことに、ICU生は意欲の高い人が多く、サークルを除いたとしても基本的にとても忙しいです)。結果として現在、ほとんど集まりらしい集まりを開けないままになってしまっています。
とはいえ、「箱」を作ることはできたので、4月以降に盛り上がる可能性がゼロとは言い切れません。新入生歓迎会のタイミングに合わせて勧誘を行えば、サークルに時間を割くことのできる人が増えるかもしれません。私が関わることが出来ないのが残念ですが……。

ちなみにこのシンポジウムの日に、早稲田大学の近くで簡単なエスペラント講座を開きました。午前中はその講座、午後はシンポジウム、そのまま新幹線で帰宅と、忙しい一日になりました。帰りに新幹線が大雨で大幅に遅延し、立ち乗りで帰ることになったのはかなりしんどかったです。とはいえ、多種多様なつながりが一気に増えたこの1日は、私にとってとても良いものでした。

12月:肝硬変の危機 地獄のダイエット

「ちょっと太りすぎじゃないか?念のため血液検査をしよう。」内科で唐突に言われた時、私は驚きました。太っていることは知っていましたが、健康上の問題は特に感じていなかったからです(ちなみにiOSで「太った」と打つとブタ🐷が出てきます。悪意しか感じない)。
そして、検査結果を見て、医者は私に警告します。「このままだと死ぬぞ。」曰く、中性脂肪などの値はもはや論外として、脂肪肝まで発症しているとのこと。動脈硬化や心筋梗塞のリスクがあることは言わずもがな、肝硬変のリスクまで指摘されてしまったのです。私以上に太った友達が血液検査で怒られていないことをいいことに油断していたのですが、後日発覚した事実によると、私の家系は遺伝的に太った際に中性脂肪などが上がりやすいらしいです。
その日から私は地獄のダイエットを開始しました。食事はおおよそ1日1600キロカロリーに制限し、リングフィットアドベンチャーを1日1ワールド進めました(1ステージではなく、1ワールドです。ひどい時には1日4時間近くやっていました)。
ダイエット食として豆腐ヌードルを導入し、米を玄米に変えました。夜ご飯は毎日鍋を食べ、モヤシを2袋買って怒涛のカサ増しを行いました。気が向いた時にはリンゴ酢を飲み、アンチエイジング効果も狙いました。
結果として、1ヶ月で6キロ近くの減量に成功し、現在はおおよそ69キロです。ピーク時からは4ヶ月くらいで13キロ痩せたことになります。目標は60キロなので、とりあえずしばらくはこのままの生活を続けます。

最もイカれたリザルト。常人の8倍である

そして、2025年の目標

2024年は当初の予定も大きく崩れ、大量の予想外が起こった年でした。しかし、のちの人生の基礎となるようなことを多く経験し、ひょっとしたら今まで生きてきた中で最も実りある1年だったかもしれないとも思っています。今振り返ると「ここからでも『ガクチカ』って無限に作れるな……」と思います。

さて、今は2025年です。昨年のようなことにはなかなかならないと思うので、思い切って新年の目標を立てることにしました。あったほうが分かりやすくて良いからです。

1. 仕事を頑張り過ぎない

2025年4月に、私はついに社会人になります。今までは多くの「元」同期たちが働いている様子を後方で眺めている立場でしたが、ついに自分の番です。が、長く働かなかった分、働くことに関する情報はたくさんあります。
「元」同期たちを見て、気付いたことがあります。「意気込みすぎると空振る」という、この世の鉄則です。野球でも、打ち気を持ち過ぎて変化球に空振りしたり、ロクでもないコースの球を打ったりして凡退したりすることがしばしばあります。どうやら仕事においても同じことが言えそうです。
社会に出てからの働き方は、学生時代に持っているイメージと異なる事が往々にしてあります。また、過剰に仕事を理想視したり、身体を傷つけてまで無理をすると、メンタル的な息切れが早くなります。私のような鬱病経験者は尚更かもしれません。
ですから、あくまでもワークライフバランスを大事にして、過度に責任感を持ち過ぎずに仕事をしていこうと思います。自責の心も大事ですが、「自分が全て悪い」は白黒思考で認知の歪みです。

2.動画を投稿する

以前、友人同士でMinecraftをやっていた時のことなのですが、私の奇行や言動が大いにウケて、「一度マジでYouTubeにゲーム実況を上げてみてほしい」と言われました。それ以来ゲーム実況などの動画投稿に興味を持ち続けてきたのですが、そんなにモチベーションが高いわけでもありませんでした。
しかし、エスペラントに出会って、状況が変わりました。「こんなにも面白いコミュニティやコンテンツがあるのならば、それを広めたい。」私はエスペラントに関連した動画を投稿したいという思いを強くし、それを公言しています。
今年はこれを実行に移します。コンテンツはまだ考え中なのですが、エスペラントの解説動画や表現講座、或いはエスペラントを用いて様々な行事に参加した様子を投稿したいところです。

3.コスプレ(女装)をする

「……何言ってんだ?」って思う方もいるかもしれませんし、それは当然の感情です。しかし、以前から私はコスプレをしたいと何となく思っていました。
きっかけは高校時代の文化祭だったと思います。私の学校は男子校だったのですが、文化祭では様々な人が「女装」をしてステージに立ちます。まるでドラァグクイーンのように、女装とはある種の「誉れ」だったのです。
そして「そういうものだ」と思っていたので、当然のように「イニシエ(ICUの寮行事で、コスプレをしてダンスをする。その格好のまま授業に出る)」ではJKの格好をしましたが、クオリティはあくまでもネタの範疇を出ませんでした。後々になってみて、「これって性別違和を抱えている人に対してめちゃくちゃ失礼だったんじゃ……?」と疑うようになりました。
そして、大3の時に、プロセカの暁山瑞稀(生物学的性別は男性だが、女性向けの服などの「カワイイ」を好むキャラ)のコスプレをしないか?と誘われました(この人は今ユニドルという大学生アイドルをやってます。ある意味究極のコスプレです)。当時はそんなに関心がなかったのですが、12月から始めたダイエットを完遂した後の「楽しみ」や「自己表現」として、コスプレや女装を行うのはアリかもしれない、と思ったのです。
しかし、中途半端にやっては、先ほども述べたように性的マイノリティに失礼かもしれません(あくまでもこれは私の意見というか拘りです)。そのため、メイクからポージング、或いは変声に至るまで徹底的に研究してやろうと思います。

とはいえ、こういう予定や目標はよく変わるものです。「〇〇をやってないじゃないか!」と急かすことなく、気長に私の奇行を待っていただければと思います。そのために生きているわけではありませんが、きっと皆さんを退屈にはさせません。

それでは、Gis!

いいなと思ったら応援しよう!