
「教えることは、学ぶこと」イス坐禅での気付き
御朱印・神社お寺の検索サイト「ホトカミ」代表の吉田 亮です。
今夜も、北鎌倉・円覚寺の横田南嶺老師ご指導のイス坐禅会に参加しました。
この毎回の感想文を発信しているうちに、
「イス坐禅、どんな感じ?」と聞かれることも増えました。
最近、身近な方に限ってですが、いつものイス坐禅でのストレッチ方法などを伝える機会が何度かありました。
イス坐禅の魅力を普及したいと常々思っているのですが、いろんな事情で参加できない方もいるので、
その場合、一緒に時間をつくって、身体をほぐすところから順番に一緒にやっていきます。
一、首と肩の調整
二、足の裏、足で踏む感覚
三、呼吸筋を調整
四、腰を立てる
この4つがイスで坐るためのポイントです。
実際、私のつたないレクチャーでも、「身体が軽くなった」「すごい」「毎朝続けてる」などと感激してもらえると、とても嬉しいです。
同時に、横田老師ご指導のイス坐禅の再現性の高さにも驚かされます。
さらに、一人でやるよりも、誰かと一緒にやった方が丁寧に時間をかけてできるな、という発見もありました。
しかし、実際にレクチャーしてみると、「息を吸って〜」と言いながら、自分も息を吸うのは難しいなという当たり前のことから、足の指の人差し指、中指、薬指はよく言い間違えるな、言い間違える3本の指は親指と小指に比べて、動かしづらいから常日頃から意識が向いていないのかもしれないな、などと、これまでとは違った発見がありました。
どうやって伝えれば分かりやすいかな、と工夫するために、無意識にやっていた身体の動きに再度、意識を向けたりもします。
そんな今日この頃、1ヶ月ぶりのイス坐禅でした。
すると、これまでよりも、横田老師のレクチャーに細かく気付けるようになりました。
この動きのときはこういう風に伝えればいいんだな、いつの間にか自己流になっていたストレッチ方法があったな、などと、教えることは学ぶことにも直結するなと実感しました。
2021年9月3日の管長日記「教えることの難しさ」を引用します。
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森信三先生は、『修身教授録』のなかで、
「人を教えるということは実は教える者自身が常に学ぶ事である。」と明言されています。
教えることは、学ぶことなのです。
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教えることの難しさを感じると同時に、学びの質がさらに上がったことを感じました。
なんてことを思っていたのは序盤だけで、気付いたときには全部忘れて、
ただひたすら、いつものように横田老師の声のままに身体を動かして、前半の坐禅タイムとなっていました。
なんにも仕事もせず、このままずっと座っていたいと思ってしまうほどの時間でした。
その後、先日、円覚寺さんで一日禅修行体験をされた、WBCの栗山英樹前監督とのお話などをお聞きしました。
「食事と姿勢で人生は変わる」
栗山前監督へ、横田老師が伝えられた言葉です。
以下、第1479回「栗山さんとの対談本できる」2025年1月31日を引用します。
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禅はまず食事や坐禅の姿勢から入ります。
今の時代は特に食が乱れているように感じます。
その地の畑でとれたお野菜にお味噌やお漬物などの発酵食品を丁寧に感謝していただくと、それだけでも人は変わってきます。
そして坐禅の姿勢です。
腰骨を立てて坐ることは心地よいのです。
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坐禅や日常の姿勢については、1年半ほどイス坐禅に通わせていただくなかで、どんどん良い方向へ変化しています。
私の今年のテーマは食事。
食事と姿勢が良くなると、身体が元気になります。
身体が元気になってよく寝れるようになり、イス坐禅を通じて呼吸も深まり、心も落ち着くと、
感情を波立たせず、思考力を正しく働かせることができます。
そうすることで、(理想は)いつでも、どこでも、なにごとにも微笑むことができるようになります。
その状態を目指して、できることから少しずつ取り組んでいきます。とにかく今年は食事!
今日も素敵な時間をありがとうございました。
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