SAK YANT
台風が過ぎて急に横須賀は寒くなりました。
10月におそらくベイビーが日本に初めて来ることになると思うのですが、もしかしたら寒くてびっくりするかもしれません。タイは当然熱帯地方なので、タイで分厚い上着と言うのは基本的に必要ありません。タイで分厚い上着を持っているのはベイビーの兄夫婦くらいかと思います。彼らはオシャレのために自分を犠牲にするタイプの相当珍しいタイ人です。私はその潔さというか心意気を非常に尊敬しております。なので、来年あたりお土産として、本物のスカジャンを地元のお店にオーダーして夫婦に一枚ずつプレゼントしようと思っています。彼らは似合うのは間違いないし絶対にファッションの系統は一緒なので相当喜んでくれるんではないかと思っています。
さて、サクヤンについて今日は改めて書きたいと思っています。
私も日本人なので、もちろん刺青に対して抵抗感があります。
海外の人からするとなんで日本人は刺青を嫌うのか、理解できないかもしれません。歴史的な要因もあるようなのですが、決定的な要因としては反社会的イメージですよね。和彫が背中に入っている人は怖い人というイメージからきているのが圧倒的だと思います。
私自身は海外に若い時に出ているのでタトゥーに対して偏見はないと自分では思っています。でも日本でタトゥーを入れることは、リスクが非常に大きいです。それはそういう文化だからとしかいえないし、それを一個人がいくら主張したとしても覆すことは不可能だと思います。なので私はファッションタトゥーに興味を持ったことは一度もありませんでした。なぜなら仕事で成功したかったからです。
もし日本でタトゥーを入れてそれを人に見られた時の印象は、誰でも想像ができますよね。タトゥーが腕から見えてる人に、仕事頼みたいと思いますか?もちろんそれは人によると思いますし、業種にもよると思います。
私は少し前までプロのウェディングカメラマンでした。もしタトゥーをお客様やクライアントに見られたら私は仕事を失うでしょう。もちろん隠せば良いのだと思いますけど、じゃあ何の為に入れるんですか。という疑問が湧いてくるわけです。
要するにそれがいくら自分の信念だと主張しようとそれは通じないのです。例えばもう一つわかりやすい例を挙げるとベイビーの兄夫婦は全身タトゥーだらけです。Instagramを見た人はご存知だと思います。
彼らのタトゥーはサクヤンもありますが、ファッションタトゥーがほとんどです。そして彼らは本当にオシャレで、家もインテリアもお店も相当なこだわりがあります。私は彼らのファッションを非常にクルーだと思っていて尊敬しています。そして彼らは実際全く怖くないどころかとてもフレンドリーなのです。
例えば彼らが日本でビジネスをやりたいといって日本に来て、実際に営業したとしましょう。残念ながらまず日本人は誰も彼らを受け入れてくれないでしょうお読みになってるみなさんはほとんど日本人だと思うので簡単に想像できますよね。外国人でしかもタトゥーだらけの人を受け入れる懐の広さは一般的な日本人にはありません。彼らは非常に優しく、フレンドリーです。でもそれは全く印象には関係ありません。どう受けとられるかどうかなのです。
日本人であったとしても同様です。だから非常に社会に適応しずらくなる重たいリスクを背負うことになるわけです。
私はファッションタトゥーを入れている日本人は別に否定はしませんが、そう意味においては全くもってスマートではないと思います。それが文化というものです。
じゃあなぜサクヤンをタイで入れたかというと、それも同じ理由です。仕事で成功したかったからです。プラアジャーンクワンは私のサクヤン全てに事業成功の護符と、家庭円満の護符を授けてくれました。それは非常に強力な護符です。無宗教の方も多い日本人の感覚から言うと俄に信じられないと思う方も多いと思いますが。
そしてタイで仕事をする上で、このサクヤンを見せることが有利だと分かったからです。サクヤンを入れた後、タイ人は私をタイ人だと勘違いする人が増えました。要するにそのくらいサクヤンは素敵なものとしてタイ人の共通認識として存在しているわけですね。
実際にサクヤンを入れた後に奇跡は起こっていて、ベイビーはサクヤンを入れた約2ヶ月後に私と出会うことになったわけです。そしてサクヤンを入れた時に生涯添い遂げるパートナーとの出会いを願ったそうです。その願いはほんの2ヶ月後に叶ってしまったわけです。
もちろんサクヤンを入れただけで満足してはいけないのだと思います。その後にその軌跡を信じ続けること、さらに努力をし続けることは必ず必要になるのだと思います。ただ自分の体に護符が授けられていると言うことを日々感じることができるというのは確かに特別な力を感じ続けることができるというのが実感としてあります。
タイ人はそういう神秘的な力を心から信じています。Instagramを見ていただいているフォロワーさんはご存知だと思いますが、私は8月中は本当にたくさんのお寺に参拝をしました。そして一生懸命参拝をしているタイ人の人たちを目の当たりにして、感じたのは信仰心というものが彼らの生きる糧になっているということです。
私は日本人は基本的に神道に入信していると思っています。日本には八百万の神がおられます。トイレの神様という歌がありましたが、まさにそういうことです。水にも火にも森にも海にも山にも至る所に神様がいるのです。
私にはタイ人ほどの信仰心はないですが、家には神棚がありますし、仏壇もあります。毎日両方に手を合わせますし、定期的に先祖の墓参りに行きます。
日本の神様は他宗教を受け入れることができる寛大な神様なのです。みなさん、初詣に神社にいくし、お墓参りにお寺にもいくわけです。さらに結婚式はチャペルで行う人も多いですね。そして仏教もそういう懐の広さがあります。キリスト教やユダヤ教、イスラム教はそうではないですね。だからずっと彼らは戦争をし続けているわけですが。
日本神道と仏教というのは両方とも平和的な宗教です。なので私はタイ仏教やサクヤンを受け入れることができたのです。こういう考え方ができるから自分が日本人で本当に良かったなと思っています。
ちなみに私は母親にはサクヤンを見せて、入れた経緯を説明しましたが、彼女はそれを父親には見せるなと言いました。これが日本における刺青の現実で、この話が全てを物語っています。
例えば私が現役でプロカメラマンをしていたらサクヤンは絶対に入れてないです。そういう意味では、タイミングもとても良かったのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?