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フレアバーテンダーの技術を学びにイギリスに行く話

 1997年、場所は大阪のホテル。目の前にテレビに出ていた人がいる。ボトルをシュッと投げて後ろでキャッチ。くるくる回したかと思うとグラスに注がれ、あっという間にカクテルが出来上がる。カウンターに座った私はひたすらイギリスから来たアクロバットなバーテンダーを目で追った。

 カッコいい。とにかくカッコいい。ジンジャーエールを注ぐだけでもカッコいい、華やかな世界がそこにあった。これだ、これだよ、やってみたかったことは。映画「カクテル」だけの世界と思っていたのに実際にやってる人が目の前にいる。

 「教えてほしい」と言った私に「ごめん、忙しくて時間がない」と申し訳なさそうに答える彼。そりゃそうだろう、パフォーマンスをして世界中を回っている彼は、そんなの世界中で言われているだろう。いちいち答えていたら時間が、体がもたない。でも私にとってはこのチャンスはもう二度とない。「とにかく、教えてほしい」とひたすら頼み続けた。

 「そこまで言うのなら、、、」と彼は何かを書いた。「これは僕の友達で、パフォーマンスの技術を教えるトレーナーをしている。一度彼に連絡してみたら?」と名前と電話番号、住所を書いたコースターを私に渡した。

 「サンキュー、サンキュー!」と嬉しくて泣きそうになっている私に笑顔でウインク。ちくしょう、こいつには一生勝てないなと思いながらホテルを後にした。

 さて、どうしよう。住所はイギリスだ。

 英語で電話なんか掛けられないし手紙を書いても届くかどうか、届いても理解される文章を書ける気がしない。中学二年の英語文法、不定詞で挫折した英語は赤点から抜け出せた記憶はない。

 でも私は英語はできる。
なぜそう思っていたかというと、話は半年ほど前にさかのぼる。

 その冬にニセコのバーで働いていた私はカウンターに座る旅行客にカクテルを作っていた。中年のダンディな男性にウイスキーを出しながら「どちらから来られたんですか?」といつものように会話のキャッチボールを始めた。

 「東京だよ」そう言った男性がふと私に聞いた。
「君、英語喋れる?」

「無理ですよ、英語、無茶苦茶嫌いでしたもん」そう答える私をまっすぐ見てこう言った。

「君は英語、喋れるんだよ」

え?と不思議に思った私に「ちょっと彼に英語で話しかけてみたら?」と、一つ席が離れた白人の若い男性を指差した。

「ハロー」と言うと「Hello」と白人。
「ハワユー?」「I'm fine」と白人。
「ほら、喋れてる」とダンディ。

 東京から来たダンディはNHKの英語講座の講師をしていると言った。君はアルファベットも知っている、会話もできた。だから英語が喋れるんだ。と。今から思えば結構無理があるが、その時確かに私は「英語は喋れるんだ」と思ってしまった。

 だから行けば何とかなる。そう思った私は初めての海外旅行に行くことにした。それまで海外旅行なんて行く人の気持ちは全く分からなかったし観光にも海外にも興味はなかったが、今私には「パフォーマンスを教えてもらいに行く」という目的がある。だから行くんだ、イギリスに。

 もちろんアポは取らずに住所があるんだからとりあえず行けば何とかなるでしょという気持ちになっていたのは当時流行っていた「電波少年」のお陰といってよい。

そんな無敵の私だったが、英語が全くできないことに気づくのはイギリスに着いてからだった。

 (続く…)

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