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茶畑で働くきっかけ

 日本茶を作っている人、生産者の方やそこで働くアルバイトの方々はいろんなきっかけで茶畑で働いている。おそらく一番多いであろうきっかけは、茶農家の子として生まれ育ち、小さいころから茶畑が遊び場だったとか、一度会社員として働いていたが、親の後を継いだ、または会社員・公務員をしながら実家の茶畑を手伝っていたが、気がつけば自分がやっていた、など呼んでなくても茶畑の方から来るパターンであろう。

 そういう人は生まれながらにして茶農家になる運命だったりもするが、他にお茶が好きすぎて茶畑で働くようになった人もいるだろう。
 日本文化が好き、自然が好き、お茶の味が好きなど働きたいという夢を実現した人たちだ。前者は比較的受身の姿勢で茶農家になることもあるだろうが、後者は100%積極的に茶畑に入っていく。

 私はそのどちらでもなく「ただのお金を稼ぐアルバイト」として茶畑にやってきた。

 中高一貫の私立からエスカレーターでそのまま大学に入った私は「やりたい事」をとにかくやってみようという生活をしていた。大学1回生でスキーにはまり、初めの3年は長野のスキー場へ、その後北海道のスキー場へ2年間冬の間に住み込みバイトをしながら人生を謳歌していた私は、現地で同じような人々に出会うことになる。

 当時の記憶が確かであるのならば、雪山に住む人々が山を下りた春にする人気のアルバイトとして言われていたのが「道路のライン引き」「さおだけ売り」そして「茶摘み」であった。おそらく関東方面から来ていた人たちだろう、彼らは静岡にお茶摘みに行くと言っていた。当然、京都から来た私は思った。京都には「宇治茶」があるじゃないか。

 人気のあるアルバイトは全て雪が融けて数ヶ月で終わる高給取りのアルバイトだった。そう、みんなは茶畑で働き、その稼いだお金で夏に南半球に滑りに行く程スキーに狂っている人たちだった。私はそこまでスキーが上手くなく、でも短期間で稼げるという茶摘みはやってみたいと思った。山から帰ってきた23歳の春、お茶摘みができるところを探した。

 そうして探した末に辿り着いた茶農家の居心地の良さにはまってしまい、気がつけばお茶にまつわる仕事もしているのだから人生はわからないものだ。

#SAMURAICHAJIN
#岩本博義


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