どのタイミングで人を切り取るか
嫌いな人はハッキリしている。声が大きい人だ。「周囲への配慮・品性が欠ける、単純にうるさい・疲れる」が理由。ただ最近、こうした“変わらないであろう決定的な特徴”を持つ人を除いて、“後天的に変わりうる欠点”を持つ人や、自分と合わない性格の人に対して、寛容に向き合えるようになってきた。例えば仕事のスピードが遅い、興味関心領域が重ならない場合でも、別に大した話ではないなと思えてきた。なぜなら『人は変化する生き物だ』という大前提が自分の認識フィルターに確固たるものとして加わったからだ。
目の前の相手の仕事ぶりは酷いが、きっとそれは“巡り”が悪いだけ。とある友人は芸術に全く関心がないと笑っているが、もしかすると10年後には芸術だけを話しながら食事する仲になっているかもしれない。
重要なのは『どのタイミングで人を切り取るか』だ。そして『切り取りは一度で終わらない』ということ。一歩間違えると上辺で誤認して、自分の人生に大きな影響を与える人と距離を置いてしまうかもしれない。相手の芯を捉えながら、変動する付随要素たちを長い目で見つめる余裕が必要だろう。人間の変化・成長に対する希望的観測を支えに、人間関係は円滑に運ばれる気がする。
冬の晴れた日に、子どもたちが道の真ん中で母親のマフラーを“そり”みたいにして遊んでいた。母親は店の中。戸惑う周囲の大人たち。笑顔の子ども。