イスラームの世界に惹かれて
初めてのコーラン
最近YouTubeでコーランを聴いて寝ることがある。コーランとはイスラム教の聖典だ。初めて聴いたのは2年前、ふらっと行った代々木上原・東京ジャーミィの礼拝に参加したとき。アラベスク模様の美しいモスクの中で始まった読誦に、祈る教徒の方々の姿に圧倒された。ドームに響く音律、一瞬で神秘的な空間に包まれて、自分は一体どこにいるんだと感覚が揺らいだ。仏教の読経とは異なる音でありながら、なぜか身体的に心地よさを覚える不思議な時間だった。
▼世界で最も美しいコーラン朗読
https://youtu.be/eaJq5yyYlB4
世界における“イスラーム”
世界の信者数の割合で言えば、イスラム教徒はキリスト教に次いで世界2位の規模に当たる。21億と16億の差だ。サウジ、トルコ、イラン、イラクといったイメージに上がりやすい中東だけではなく、アフリカ北部の10カ国以上、そしてインドネシアでも国民の8割以上がイスラム教徒だという。イスラームが世界を占める割合は大きく、彼らの理解なしには世界を立体的に語れない。たしかに戦後米国文化が浸透してキリスト教は身近になった。そんな日本人だからこそ、セカンドマジョリティまで眼差しを向けてもいいと思う。実際、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になるとの予測を米調査系シンクタンクがまとめている。いま20代の自分は、転換の過渡期の世代なのだ。それほど距離感は近づいている。
▼日経「イスラム教徒、2100年には最大勢力 世界の宗教人口予測」
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H0I_W5A400C1EAF000/
イスラームへの誤認
7年前の学生時代、米国人学生と現地で議論していたときのこと。グループの発表か質疑で、ある米国人が「テロリスト、たとえばイスラムのような〜」と口走った瞬間の場の凍った空気が忘れられない。次の瞬間本人も言い間違いに気付いてすぐに謝罪したが、既に学生全体がザワついており、誰かが声を上げるまで静まらなかった。しかし日本人学生の一部は波に乗り切れていなかった。中東の、一部の過激化集団のイメージと、同地域分布の信者を同一視して誤解していた自分と重ねたからだろう。指摘できるほどの確固たる信念と正確な理解が足りていなかった。つまり「イスラーム=危ない」といった単純で、誤った図式で留まっている人が多いと気づいた。それほど日本人にとって近いようで遠い存在なのだと。
美しきイスラームの世界
そんな「距離感」ゆえかイスラムの世界に惹かれてきたし、好きだ。コーランしかり、2019年の国立新美術館・トルコ至宝展には感動した。薔薇の産地が産んだローズウォーターの器たちが心に残っている。モスクの壁を彩る色鮮やかなタイルたち、描かれるイスラーム装飾も素晴らしい。モチーフは「幾何学」「植物」「アラビア文字」の3つに大別され、人物や動物は描かれない。イスラームの基本コンセプト「偶像崇拝の禁止」が理由だという。どちらかというと動物モチーフは好みなのだが、イスラム芸術に関しては特に気にならない。文字すらも格式高い装飾に昇華する部分はどこか書道に通ずるものもあり、精神性に共鳴を覚える。
さらに現代でいえば、サウジを始め原油産出国は近未来国家に様変わりつつあるのも魅力だ。これだけ化石燃料が〜と逆風が吹く中、そして原油量にも限界がある条件下で、脱石油依存、持続可能な産業・エネルギー構造シフトが進んでいる。スマートシティ「The Line」の構想は大胆で美しい。
いつかトルコとモロッコには絶対行きたい。気球に乗って、トルココーヒー、チャイ飲んで、市場でランプやラグ見て、砂漠をラクダで歩いて「本物のアラビアンナイトだ!」って言いながら夜までわちゃわちゃしたい。先の未来に期待🧞♂️
※ちなみに僕は無宗教。トランプ元大統領およびバイデンと今後の中東情勢も書きたい部分はあるけれどまた次回に。