わたしは最近エーリッヒフロムさんの『愛するということ』を読んだ。たまたま配信やnoteを読んでいるヒデさんがタイミングバッチリ企画されていたので絡みは浅いがこの機会に参加する。
わたしは恋愛の先に愛があると思っていた。
この本を読んで愛はあらゆる人に尽くすという解釈をした。
私は22歳で周りには「愛されたい」と言ってる人が多い。人に求められたり、好かれたりすることが自分の価値だと思っている。これを信じている人が多くて恋人という存在がいないとダメという風潮がある。相手のことを理解してなくて、好きでもない人と付き合って時間とお金の無駄という感情が発生する。そこまで自分が好きじゃないから別れるとなんで付き合っていたのかわからなくなる。うまくいかないパターンで学習できることはたくさんあるがこの人と付き合ってよかったとは思わない。
本当に付き合ってよかったと思う人は付き合っている時に自分の外見、内面が良くなってたらそう思う。その人と過ごして話してよかったと思える人。
そんなひとがまずどこにいるんだ。まずどんな人が私を理解してくれるのか、私に合うのか、自分のことを理解しなければならない。
長所、短所を自分で理解する。理解して自分をもっと楽しいと思うことを探す。何が良くて嫌なのか。それは色々考えたり経験すると自分で感じる。それが自分であると自覚する。
自分のことを理解するのに時間がかかる。考えることは一人になる時間が必要だ。
自分が自分のことを好きになり、もっと好きになるよう、愛せるよう色々な経験をする。自分で理解していたら相手のことも尊重できる。自分がここまでコストがかかったのに相手のコストを踏みいじることはできなくなる。自分のやりたいこと、大切にしていること、信念を肯定することは自分の尊重、知識、配慮がわかる。
自分で理解することは相手を理解することに近い。自分を愛することができるなら相手のことも愛することができると思う。尊重したうえで自分が相手にできることをする。それが私の思う愛だ。
自分がする事で自分の幸せになる。相手に与えることは自分を幸せにすること。相手か自分に与えるかその違い。
自分を愛せてる人は相手にも自分で愛しているように相手にも愛せる。