やんわりコスモポリタンを目指す
私がデンマークでお世話になっているのが、在丁10年以上の中国人の大家さんだ。私の良きルームメイトであり、友人であり、頼って相談できる人生の先輩だ。
どちらかが始めようと言ったわけではなく自然に始まったのが、二人でする定期的な大掃除だ。週末になるとキッチンに集まって、背中を合わせて黙々と作業をしていく。その間に、他愛もない会話や近状報告をするのだが、この時間が私たちの関係を円滑にする上で、結構大事だったりする。
何かの会話から派生して、「典型的な日本人とは?」という話になった。
私が出した答えはこうだ。
「お礼が丁重で、謙遜するところ」
これを聞いたルームメイトがこう言った。
「それって一般的に良しとされることが多いからいいね」
ここで少し手を止める私。
そうかも、いや、そうなのか?いくら他愛もない話とはいえ、固定的な意見を伝えるべきではないわ。
そして私は付け足した。
「確かに良い時もあるけど、それが裏目に出ることはあると思う。例えば、良い反応や態度を貫くことで本音が言えなかったり、見えなかったり、そういう状況は起こり得るかも」
するとルームメイトも、
「あ〜、確かに。日本のドラマや映画でも、そういう描写が多いよね」と納得していた。
全ての物事には明暗がある、それを知ることって異文化理解だけでなく、全てのことにおいて言えるレッスンだよね、とその日の私たちの会話は締めくくられた。
以前、芸人フォーリンラブのバービーさんがYoutubeで、「私のようなコスモポリタンな人間は〜」と言う発言をしていた。コスモポリタンとは、国籍・民族などにとらわれず、世界的視野と行動力をもつ人、だそうだ。
私はこの単語が結構好きで、自分の在りたい姿の一つになりつつある。
私は日本人であることにとても感謝していて、これは自分の目で見た現状と、第三者的な視点(海外で日本が評価されていることなど)が大きく関係している。典型的な日本人を聞かれた時も、率先して悪いことを言わなかったのは、やはり自分の国が好きだからだと思う。
一方で、この充足の気持ちの土台があるからこそ、物事の明暗を自分の感情と切り離して捉えようとしたり、異文化の違いをある程度受け入れられているのではないだろうか、と最近分かってきた。
そんな私がなりたいコスモポリタンを、自分の言葉にしてみるとこうだ。
目の前の相手と向き合えること、自分の興味関心に素直なこと。これらを国や地域関係なく、自分の行動範囲を広げられる人。
まだやんわり抽象的だが、このくらい余白がある方が身動きしやすいと思っている。
このように、ルームメイトとの些細な会話から、小さな答えを導いたことがたくさんあった。私が彼女を人生の先輩と仰ぐ理由だ。