野球の勝ち負けだけが大事なのか
しばしば100年以上続く野球の歴史が現代の野球には
しっかりと受け継がれており、
それは厳しい練習に耐えること、監督、チームメイトの
罵声、罵倒、暴言をひたすら浴びせられ耐え続けること
長時間暑い日差しのもと練習、試合することが美談として語られること
甲子園こそが野球をする上で一番大切な目標であり
そのためならどんな理不尽にも耐えなければならない
そして、勝ち負けこそが日本の野球なのだ。
あげればもっと多くの価値観の古い伝統、
文化が受け継がれているが、今回は「勝ち負け」
に焦点を当ててお話ししたいと思う。
これはあくまで自論だが、
現代の日本の野球(特に高校野球)では
野球の「勝ち負け」で得られること
と同じくらい、またはそれ以上に大切なものが
一つだけでなく、いくつも犠牲にしていると思う。
小さなものでは、勉強や趣味、リラックスの時間、
人間関係の構築、将来のためのスキルアップや
自分と向き合う時間
大きなものでは
それは世代間を超えた野球の楽しさ、面白さを知ること
体験すること、そしてそれらを文化として後世にも受け継がれるか
いろんな年代の人たちと関わることで生き方そのものを
考えさせられるきっかけになること
あげればキリがないほどに「勝ち負け」と同じくらい
またはそれ以上に、現代の日本の野球(特に高校野球)は
野球という文化において、人それぞれの人生において
大事なものを犠牲にしているのが
考えるとわかるのではないだろうか。
今年のコロナによる夏の選抜大会の中止により
球児が泣き崩れる様子がメディアによって取り沙汰され
「甲子園こそが高校球児の1番の目標であり
それ以外考えられない」と言わんばかりの光景がはっきりと見えた
しかし、コロナによって何万人何百万人と
「命」が失われたのだろうか。
そして、何千万人、何億人、何十億人が苦しめられたのだろうか
果たして「甲子園」は「命」よりも大切なのだろうか
もし「甲子園」が「命」よりも大切なのであるのならば
彼らは何のために「命」を蔑ろにしてまで
「甲子園」をしなくてはならないのだろうか
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ここまで見てくださりありがとうござます。
ですが、この考えはサンプル個人の考えであり、
誰一人としてこの考えに100%一致する考えではありません。
ですので、あくまで参考程度(約1割)にしていただけると
あなたの人生をよりよくするでしょう。
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