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徒然なるままに書き綴ること


祖父はもう10年以上、とある場所に自分の人生の記憶を記しているのだが、よくその原稿を移動途中の電車内やカフェで執筆していた。

私が小学校の頃から、長い休みの度に2人でちょっとした遠出をしたり彼が生まれ育った海沿いの街へ行ったりと、祖父には両親の代わりに様々な場所へ連れて行ってもらった。とある夏の日に「どこか行きたい場所はあるか」と聞かれて、「涼しい場所が良い」と答えたら某県の山へ連れられたこともある。標高が高い場所はなるほど涼しかった。でも事前に教えてもらわんと。服装とか靴って大事やから。

そうやって祖父と会う度に今書いている原稿を見せてくるものだから、彼がどのような人生を辿ってきたのかはそこから拾っていった。


祖父の人生は祖父のもののためここで多くは語らないが、彼は家族を知らず、それ故に家族への憧れが強く、だがしかし上手に家族の構成を作ることができなかったために足掻き、時に、いや、長く周りも足掻かせて生きてきた。

そんな彼が書き綴ってきた人生の切れ端を本としてまとめる機会が訪れて、というかまとめてデータを作って入稿するのは私なわけだが、改めて今彼の人生を追っている。

彼の口から聞かない人生の一端がそこにあり、またそれを読みながら今こうして気まぐれに日記のようなものを書いている自分はどこか彼に影響されて生きてきたように思う。

ある大きな駅で待ち合わせをする度に、彼は改札近くのカフェで喫煙スペースの窓側の席を自分の指定席としてよく陣取っていた。

「ここからは人がよく見える」
と、いつも原稿を書きながら時折改札を出入りする人々を眺めていた。いつかそのカフェで、自分の人生についても教えてくれたことがある。

そのカフェは数年前に違うカフェに変わり、彼はもうその場所から改札を眺めることはなくなった。


あのカフェは無くなってしまったが、彼はそのすぐ近くの別のカフェの喫煙スペースに居着くようになり、そこでまた原稿を書きながら、今度は近くのエスカレーターを上下に流れる人々を眺めていたし、またそこでも自分の人生について教えてくれた。

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