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大学教員になってから精神的に変わったこと

大学教員になって3週間がたちました。挨拶まわりも終わり、だいぶ雰囲気にもなれました。同じ学科の先生方とは気軽な雑談もできるようになり、今のところ歓迎されている雰囲気を感じますので、一安心というところです。

ところで、この3週間で私自身の精神状態でかなり感じることがあります。それは「心穏やかになった」ことです。特に家庭で。

もちろん、夢である「大学教員になれた」という気持ちのボーナスステージ状態ですが、もっと深堀すると、やはり「焦り」や「プレッシャー」があったと思っています。

博士課程に進学しよう、博士号を取ろう、と決断したその日から、もちろん「転職」や「大学教員になる」ということを意識してきたわけですが、その裏には「なれなかったらどうしよう」という気持ちが隠されていたのは間違いありません。「大学教員になるためには」的なホームページや書籍を読むと必ずと言っていいほど、「運が必要」とか「実力以上のなにか」とか、「年齢制限」とか、とにかく、今の私の現状における大学教員になれる可能性についてはネガティブな情報が多くでています。

そのような情報に接しながら「博士課程に進学したことが役にたった」といえるのは少なくとも「大学教員になれた」状態であり、決して「博士号がとれた」ではないわけです。つまり、学位取得はあくまで通過点であり、最終のゴールは「大学教員になれた」ことです。家族に多大な負担をかけてまで、博士課程にいって、学位はとれたけど、大学教員になれず「ハイ終わり!」ではあまりにも、家族に対して申し訳ないという気持ち、いったいこの努力はなんだったのかという虚無感を味わいたくないという一種の強迫観念がある種のプレッシャーとなっていたのかもしれません。

どんなに、学会発表しようと、論文がアクセプトされようと、競争的研究資金が獲得できようと、すべてが通過点なわけで、心から「やった!」と思える状態、「心穏やかになる」ことはなかったわけです。

つまり、私は「大学教員になる」と決めて、仕事をしながら、実際に進学して、そして学位取得後も研究活動に注力し、公募戦士として活動している約8年間、そのプレッシャーとも戦っていたわけです。

今考えると、そのストレスを家族にも向けていたのではないかと、振り返ると思います。妻や子供にきつく当たったりしていなかっただろうかと。あったかもしれません。

今改めて「大学教員になって」本当に心穏やかに家族とも地域とも親戚とも接することができます。もちろん大学の先生方からすると「これからが大学教員としてのスタートだろ!」と突っ込まれるかもしれませんが、正直これまでの精神状態で仕事と家庭をみながら、学位取得と公募戦士をしてきたことを考えると、どんな困難でも乗り越えられるという自信はあります。

最後に、私自身は公務員という仕事がある状態での公募戦士であったわけなので、正直大学教員になれなくても少なくとも「食うのには」困らなかったわけです。しかし今でも、家庭を持ちながら、非常勤をしている方や、任期付きで公募戦士をされている方の心情を考えると、本当にきついと思います。軽はずみなことを言えませんが、健闘を祈るばかりです。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。今はとても心穏やかなsammytzでした。

明日も大学に出勤するの楽しみだなー早く明日が来ないかな^^

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