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ギャローデット大学同窓会日本支部のニュースレター

袖山由美(旧姓:谷口)さんは1996年にギャローデット大学附属英語学院に入学し、2000年にギャローデット大学を卒業しました。

ギャローデット大学同窓会日本支部のニュースレター「地平線」Horizon 2000年11月25日 から転載させて頂きます。

**Yummy's Essay **

私とアメリカの出会いはヘレン・ケーラーに始まります。6才頃だったと思います。3重の障害をもっている人がハーバード大学まで行けるなんてすごいと、ケーラーの生き方に感動しました。 またアメリカに興味をもちました。

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6才の頃、日本の状況は、障害者に優しい社会ではなかったことを今でも覚えています。私は聾家族で育ってきたので、手話と聾文化が当たり前でした。胸に箱型の補聴器を2つぶら下げた私は手話で両親と話すと、周りの人にじろじろと見られていました。しかも顔の表現が大げさった私にとっては、いつどこへ行っても注目の的でした。どうしてみんながこんなふうに私を見るのか理解できませんでした。また、聾だから無理だという言葉を何回も聞いてきました。それに比べると、ケーラーは障害にも負けず、周りの人たちの温かい協力で偉業を成し遂げたのです。そんな自由で個人の力を伸ばしているアメリカに憧れました。

幸いに、私は筑波大学附属聾学校在学中、多くの先輩たちがギャローデット大学を卒業していたので、大学そのものの存在は知っておりました。でも、当時の私は英語力など考えずに、ケーラーと同じようにハーバード大学へ行きたいと思っていました。ただ、ケーラーのようになりたいと思っていたのです。

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↑母校のシンボルの欅

時が流れても、アメリカに行きたいという気持ちは変わりませんでした。ただ機会が無く仕事に就きました。2年目の春に、私の会社がたまたまギャローデット大学青少年プログラムを支援することになりました。会社の広報部に協力して欲しいと言われたので、手伝いをさせていただきました。その頃は、ASL(アメリカ手話)のことは少しも知りませんでした。何とか身振りで会話しました。そうすると、私の中に眠っていた想いが蘇って来ました。

アメリカに詳しい人に相談し、ELI(英語学院)がギャローデット大学にあると聞き、そこから英語の勉強をし直せたらと思い入学を決めました。なぜなら、高校を卒業して以来ずっと英語にふれていなかったのですから。英語の基礎はまだ覚えていますが、自分の英語力に自信はありませんでした。また、英語もままならないのに、いきなり英語の世界に飛び込むのは大冒険です。まず、ウォーミングアップをと思ったわけです。それが大成功!中学部と高等部とあわせて6年間英語の勉強をしていたのになかなか英語が理解できなかった。それなのに、ELIでは半年くらい大体理解できました。しかも、アメリカ手話がつくので理解度がバッグン!です。

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ふと思ったのは、やはり私は聾家族出身だなあということでした。手話を母語としているので、いくら日本語で説明してもらっても分からなかったのに、アメリカ手話で説明してもらった方がわかりやすい。なぜなら、アメリカ手話には文法の表記があるからです。うまく言えませんが、例えば、on,at,inといった文法の使い方が手話で表現されるのです。こうして日本語で考える英語とはさよならし、英語で考えるというふうに私の頭の構造を変えました。そのまま、ギャローデット大学に進学した方が私の英語力が良くなると思った訳です。
↓ELI仲間とASLを学ぶ 先生の誕生日お祝い

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毎日いろんな人と会ってASLを使いながら生の英語を身に付けたいと思いました。健聴者は話しながら、聞きながら英語を覚えるように。教授はみんなASLを知っていますから聞きたいことがあればいつでも聞けるそんな環境が気に入りました。もし、健聴者の大学へ行っていたら本だけの情報に頼りがちになり、生のふれあいが欠けると思います。1年後には大学2年に編入しました。日本の専門学校でとった単位を幾つか大学の単位として認められたのです。

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いざ、大学生になるとこれが大変!ELIでは国際学生のための英語クラスでしたから先生も生徒もみんなお互いに理解し合うことを努力しているので、ゆっくりとASLを使います。文化もアメリカ文化と言うよりも国際プラスアメリカの文化と言ったような感じです。ところが、大学ではみんなアメリカ人です。本場にやってきた!今でもはっきり覚えています。大学になって初めての授業は統計数学でした。生徒が5人くらいの小クラス。教授が話し始めたら、さっぱりわかりませんでした。教授は難聴で、手話を使いながら話すのです。ASLというよりもSEE(英語語順対応手話)で、しかも学生が使うASLは早い。初日の授業だけでもうグッタリでした。

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↑ELI仲間とパレード

私の英語力はまだ十分ではないので、ENG60から始めました。ENG60とは読み書き、文法構成、単語、作文ですが、すべてが大学基準に達していない英語科目のことです。くやしかったねえ。12月の期末テストに恐怖の EPT(English Placement Test) が待っていました。結果は作文を除いてすべ合格しました。ENG80に変更しましたが、不満だった私。ENG80は作文力を中心に勉強しました。そして2度目のEPT !合格してめでたく大学単位のENG102。それは読解力を中心としています。

次にはENG103と進むのですが、それが難敵!恐怖のFWE (Freshman Writing Evaluation)!大学1年レベルの作文力で書かないといけないわけです。それに落ちるとクラスごと落ちて単位がもらえません。もう一度やり直す必要があります。ちなみに私は1度落ちてしまいました。涙が出るほどくやしかったなあ。テーマによるけど、その時のテーマは国際学生にとって不公平でした。沢山の人が落ちたそうです。クラスのみんなで慰め合っては次の学期ーにかけました。そして、ENG203と進む。それは論文が中心です。自分でテーマを決めて、本などで調べて真実に基づいて自分の意見を書く。最後にはENG204 となり、英語文学を読みます。

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その全てのENG102,103,203 ,204が終わらない限り大学を卒業できません。いくら卒業単位124を超えていても英語4基準に達していなければ出来ないのです。ちなみに、私はぎりぎりでその全てを合格し卒業できました。本当に英語は難しいです。会話程度の英語は出来ていても大学となると大学に見合った英語力が必要です。私は今でもまだ大学の英語力に達していないと思います。

英語の読解力は幸いに私は沢山日本の本を読んできただけにあってだいたい読みとれます。問題は知っている単語が少ないこと。もう少し単語を沢山知っていれば楽に読めただろうに。また、テレビの字幕を読むことで沢山単語を覚えていく。とにかく英語にふれあう時間が沢山あるのでそれを大いに活用することですね。友人と話すのもよし、教授と話すのもよし、雑誌を読むのもよし、AIM(AOL Instant Message),ICQ (AIMとICQはインターネットで会話できます。アメリカではとても人気があります。インターネットに詳しい人ならご存じかと思います。)

TTY(タイピング式電話) 等でタイピングしながら英語力をのばしていく。信じられないほどここに来てから沢山の単語を知らずに身につけました。単語のみならず、イデオムもです。日本へ一時帰国し、いつもの癖で本屋に寄っていろんな本を立ち読みしました。そうだ、イデオムの辞書を読んでみようと思い、読んでみたら結構知っているのです。日本にいたときはほとんど知らなかったというのに・・・生で覚える英語は全く違うんですね。

日本だと、ぜいぜい一日2時間くらいしか英語にふれないので、覚えては忘れるという繰り返し。ここでは知らずに強制的に覚えさせられる。問題はいくら英語が読めても書く機会が無いことです。書こうと思っても書けずに・・・いつでも書くかタイピングする習慣を持たないといざとなると書けません。私は出来るだけ毎日メールをタイピングしています。

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↑トーマス・ギャローデット牧師とアリスの像前にて

アメリカに来て感じたことは、アメリカにいる私の方がもっと日本人になれるんですね。日本にいたときは自分が日本人だという自覚は持っていませんでした。ある日のことです。アメリカ人と日本とアメリカの政府について討論しました。これほど私は日本の誇りを持っていたことに初めて気づかされました。

そしてホームシックになったとき普通は親か日本食が恋しくなるのに対し、私は富士山が恋しくてたまりませんでした。私の家からは天気のいい日は富士山が見えたのです。ここでは全然見えません。

アメリカの聾文化は根本的にはあまり日本と変わらないと思います。ただ違うのは文化が違うということです。例えば、アメリカではなんでも個人主義で他人に妥協しません。意見もはっきり言います。日本だといちいち他人に妥協します。

また、TTYでリレーサービスがあることで本当の意味での自立が出来ます。航空券の予約など全て自分でそのサービスを利用します。日本だとファックスがないといちいち健聴者にお願いしてもらいます。個人のプライバシーが損なわれます。

その反面、日本の方が障害者に対して過保護になりすぎではないかと思える部分があります。アメリカについても日本についてもプラスアンドマイナスがあります。アメリカはアメリカで日本は日本で。それでいいのだと思います。その国にあった条件でやっていけばいいと思います。

日本は確実に昔と比べて良くなっていると思います。今、街で手話を使っても、周りの人達は当たり前のように見ますから。一つ、感じたことがあります。アメリカではテレビ番組で障害者が主役とかとエキストラ等頻繁に出ます。それに対して、日本では健聴者のみで障害者の出る番組は滅多にありません。ですから、日本の子供には障害者が珍しく映るようです。ここでは障害者は一人の人として見ています。こういった環境の差があります。マスメディアの影響力を考えてみてください。

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↑プエルトリコ🇵🇷事務所でインターンシップ

大学ではスペイン語を専攻していました。何故スペイン語なのか?私は専門学校時代、アントニオ・ガウディの建築に魅せられ、いろいろ彼について調べました。また、インディア文化にもすごく興味を持っていました。その共通点はスペイン語でした。

大学では第2言語を取る必要がありました。私は既に日本語を知っていたので省かれましたが、興味津々で一応スペイン語を取りました。その教授がスペイン人で丁寧に説明してくれるのでまずまず興味を持ち専攻になりました。

大学3年の夏にはインターンでプエルトルコ政府内で働きましたが、それは本当にいい経験でした。スペイン語で書いて会話したり、英語で会話したりしました。プエルトルコ人はアメリカ人よりも陽気で親しみやすかったでした。

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↑卒業証明書 クリントン大統領のサイン

そして、今年の5月12日に約3年で大学を卒業しました。やればできるものです。違うのは英語だけです。その後の進学はサンフランシスコ州大学院生になり、聾教育学を専攻します。聾教育免許を取って聾学校の先生になりたいと思っています。聾学校で日本語や日本文化をアメリカの聾者に広めたい。

何故なら、大学時代アメリカ人の友人から日本に興味があるから教えてと言われて教えてあげたことがあったからです。また、メリーランド州聾学校で小学1年生は日本について勉強しています。毎年講演に行きました。自ら先生となりアメリカ聾学校生徒に教えてあげられるといいなと思いました。将来的には交換留学制を設けて毎年行うこと考えています。また、日本のホームステイ・プログラムも設けたい。いまや、ポケモンで日本語が人気好調中!

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長い文章になりましたが、最後に言いたいことがあります。もし、アメリカで勉強したいのなら軽い気持ちで行かないこと。出来るだけ、社会の経験をしてからアメリカに行くことをお勧めします。留学とはお金がかかります。ちゃんと自分像が出来てから行くことをお勧めしたい。私のように大学を卒業した日本人はまだ少ないのです。(私は 10人目くらいになると思います。)

だいたいの日本人は ASLを覚えて交流の目的として行く人が多い。たった1年間だけのアメリカ生活の経験なのに何もかも知っているかのように講演したりして間違った見方で日本人に伝えたりしないで欲しいと思います。アメリカに来て聾文化に目覚めたといって180 度人生を変えることは無いと思います。もっと自分の個性を大切にして欲しい。また、周りから気持ちよくアメリカへ行くことを認められることも必要ではないかと思います。その方が学業に専念できると思います。後は自分の努力次代で夢をつかみ取って欲しい。人それぞれ違った目標がありますが、それに向かって頑張って欲しい。

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↑ウィスコンシン州立聾学校で代理教師時代(St. Patrick day)

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アメリカ文化を知りたい、ASLを知りたい。ASLを通して英語も一緒に覚えたい人は、これを読んでイメージして、仮想実践体験してもらえたらと思っています(^^♪

ゆんみがアメリカ7年半滞在したことでASL脳が出来上がっています。ゆんみが見てきたアメリカ文化を思い出しながら、ご紹介します。ASL動画も…

犬との暮らしはどういうものか?異文化に触れると感性豊かになれます(^^♪ワクワクを毎日あなたに届けて、楽しんでいただければと思います(^^♪