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次男の手術・入院を終えて、母として感じること

先日、次男が手術をしました。

次男自身のことなので詳細は伏せますが、生後すぐに大きな病院を受診することになり、生後9〜10カ月ごろに手術をする段取りで検査等を進めてきました。計画的に準備してきたので心づもりはしていたものの、やはり大変な11日間の入院生活でした。

生後10カ月と8日。息子と私は初めて離れ離れの夜を過ごしました。私は付き添い入院はせず、10時から21時(寝かしつけ)までの面会で対応することにしたからです。

我が家のバランスを保つにはこれがベストな方法だ、と決めたことですが、手術を終えたばかりの息子を病院において帰宅するのは、やはり心がザワザワするものです。また、普段ほとんど人見知りせずニコニコしている息子が、先生や看護師さんが来ると怯えたような、怒ったような表情を見せたり、私がいても授乳中以外は終始泣き止まない日もありました。

そんな時は、病院、手術のタイミング、付き添いしないことについて「全てこの選択でよかったんだろうか」と、考えても無意味なことが浮かんできたり、「いやいや、親の選択のうえで息子は頑張っているのに、なに私が勝手に心折れてるんだ!」と自分の弱さにガッカリしたりしました。

次男が寝たら、急いで帰宅し就寝前の長男と少しでも会話することにしていましたが、そんな気力も残っていない日も多々。。わざと遠回りして夜遅くに帰りました。

頼りない母でしたが、それでも母なんだと思う瞬間もありました。

回診に来た先生が、息子の様子を見て言った「お母さんがいると顔付きが違うなぁ」という言葉。

全力で泣き叫び看護師さんによるケアを嫌がる息子に「私はお母さんと仲良しなんだよ。大丈夫。味方だよ」と話しかける看護師さん。

毎朝、私が面会に行くと、嬉しそうな、怒ったような表情と声を出し、おっぱいが飲めるとわかると満面の笑みをこぼす次男。

夜、自宅の鍵を開けると、一目散に出迎えてくれ、嬉しそうに一日のできごとを話してくれる長男。

“あぁ、たぶん、私は、母親は、いるだけでいいんだ”

そう感じた11日間でした。

子どもの側にいるか、子どもに何をしてあげているか、子どもを思ってあげられているか、という観点で自分は良い母親なのかと考えてしまいがちですが、子どもにとっては、彼らの中に、私がただ”いる”ことが大切なんだろうなと思いました。

さて、当の本人はというと、入院中は夜中に目を覚ますことはほとんどなく、ぐっすり朝まで眠れたようです。入院3週間前から、突然夜間授乳なしで夜通し寝るようになり、彼なりの入院準備なのかな?と、私の都合の良いようにとらえていましたが、本当に準備していたのかもしれません。

また、入院から数日経ったころには、持前の愛嬌の良さを発揮し、看護師さんとも仲良しに。離乳食も毎回完食していました。子どもの適応能力と回復力の高さは、大人の心配を大きく超えていきます。

無事退院日を迎え、家族みんなで過ごす時間が戻ってきた我が家。今日も、「私はいるだけでいいんだ精神」で日常を過ごしたいと思います。


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