8mmフィルムに愛を込めて 【前編】
僕は3代続いている写真館で働いている。
昨今、デジタル化が進みスマホひとつで自由に修正できる時代だ。もう写真屋は用がなくなってきているように思える。
しかしだ!
技術は発達しても人間味のあるアナログ的な仕事があるはずだ。祖父や父の仕事はまさにそうだったのだ。人の手を介して温かみのある仕事がしたい。この写真館を継いだ時からそう思っていた。
でも、今はそうも言っていられず最先端の技術の勉強に忙しい日々を送っている。
勉強に…忙しいのだが、写真館は閑古鳥が鳴いている…
なんとか、この事態を打破しなければ…
開店休業中という事もあり、父が亡くなって手付かずだった倉庫の整理をした。
8mmフィルムが出てきた。懐かしい。父がよく僕のことを撮ってくれていたものだ。
これを観たい衝動に駆られた。
祖父や父の映写機の取り扱いを子供の頃からずっと見てきていたので、思い出しながらではあるが何とか組み立てることができた。
そこには、誕生日や運動会、旅行に行った時、他愛もない日常が映っていた。
どの時も僕はアホみたいに笑っていた。『幸せだったんだな』
ふと、僕はある事に気がついた。
時間がどんどん遡っている。それと、父が全然映っていないのだ。観進めていくと僕がだんだん小さくなっていく。
そう、8mmフィルムは切ったり、貼ったり、繋げたりする編集ができるのだ。
最後は抱っこされている赤ちゃん、そしてカメラの映像が上へと上がり映し出された人は父だった。『やられた!』と膝をたたき大笑いをした。僕が必ず目にすると思ったのだろう。父らしいなと思った。
父が甦ったようだった。本当に仕事でも家庭でも、面白く楽しく過ごす人だった。父の面影や思い出が走馬灯のように現れては消えた。
そして、『これは仕事になるぞ』と父に言われているような気がした。亡くなってもなお、アドバイスと心配をしてくれる父は頼もしかった。
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思い出の8mmフィルムをデータ化しませんか?
眠っている思い出を呼び起こしませんか?
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ネットの力を駆使し、徐々にではあるが仕事の依頼が舞い込んでくる。
だが、ほとんどの8mmフィルムの保存状態はほぼ悪い。しかし、良い状態のところを切り貼りして繋げて、1本の作品を仕上げていく。
僕にしかできない仕事だ。
茶色のフィルムがくるくる回って奏でる音が好きだ。その音と共に映像が動き出す。古びた映像、昔のファッション、ヘアスタイル…8mmフィルムでしか出せない味がある。
良い所だけを使用するため出来上がりは、たったの20分。
それでもお客様はすごく喜んでくれる。
人の歴史を感じる。
その家の温かさを感じる。
撮影者の愛情を感じる。
父が教えてくれた…
本当に僕は、この仕事が大好きだ。
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