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町の七福神

ラジオ体操で出会った七人が悩みを抱えながら助け合っていくお話
「 交換リング ってなぁに?」  20,213文字


1.ラジオ体操

午前六時。まだ朝日が顔を出さない薄暗い中、神社の境内に何人かの人影が集まる。吐く息が白く、身を縮こませるように背中が丸くなって腕を組んだり、ポケットに手を突っ込んでいる。
その人影は、一人ずつ拝殿に向かってお辞儀を二回、拍手二回、またもう一度お辞儀を一回する。
「おはようございます!」町内会長の徳沢重雄が声高らかに挨拶をする。
「おはようございます…」それに続いて寝ぼけ眼の数人がもごもごと挨拶を返す。

軽快な音楽が神社の静寂を打ち破った。
「ラジオ体操第一、はい!」 

”伸び伸びと背中の運動から”
「気持ちいいよね〜最初にこれやると体がシャキッとする」フィットネストレーナーの香西麻衣子が言う。
「気持ちいいよね〜」徳沢が香西に同調する。

”腕と足の運動です”
「足腰を鍛えておかないとな。いつどこで転ぶか分からんし、膝もガタがきてるし、介護は誰が見てくれるか分らんしな」大真面目にラジオ体操に取り組む鳥取彰。
「ガッタガタだね…」シリアスに長坂笑子が突っ込む。

”腕を回す運動です”
「お母ちゃんにみてもらえばいいんじゃないか?」と徳沢が鳥取をちゃかす。

”足を開いて胸の運動です”
「毎日パソコンと向き合って縮こまっているから気持ちがいいですね」町役場に努める最年少の赤坂満が、小さい体を大きく見せるように両腕を天へと突きあげる。

”横に体を曲げる運動”
「うわー、脇腹つりそう…」お客様サービスセンターで電話受付をしている長坂は、一日中座りっぱなしの生活。ダイエットのつもりで参加している。
「俺も〜」と鳥取が顔を歪めている。

”前後に曲げる運動です”
「これは俺、得意だぜ」酒巻大地はキャベツやたまねぎを作る農家。
「大ちゃん、かっこいい!」と香西が満面の笑みで言う。

”体をねじります”
「ウエスト細くなーれ、ウエスト細くなーれ」と小さい声で長坂が言っていると、「メタボひっこめ、メタボひっこめ」と鳥取も小さい声で言っている。

”腕を上下に伸ばす運動”
赤坂が天高く腕を上げているその横で、徳沢も同じように腕を上げ、赤坂を微笑ましく見ている。

”足を開いて上体を柔らかく斜め下に曲げます。正面で胸反らし”
「おぉ~キャベツ収穫みたいだよ」「この間は楽しかったね」
なんだかイチャイチャ気味の酒巻と香西が目につく。

”体を回す運動”
町内会長の徳沢…もはや何かに操られているもよう。隣の赤坂も一心不乱に回っている。

”両足跳びの運動です”
「わ~お肉が揺れる〜」鳥取のお腹の肉がブルンブルンしながら揺れている。それを横目に長坂は不敵な笑みを浮かべる。

”腕と足の運動”
「最後よ!」香西の気合の入る一言が全体をまとめる。

”深呼吸、深く息を吸って吐きます”
朝の新鮮な空気を皆で吸う。そして静寂の中で白い息が一斉に吐かれる。「一同、お疲れ様です」徳沢が号令をかけ朝のラジオ体操が終わる。

二年前から健康寿命を伸ばそうと始まった取り組みのラジオ体操。最初は、町の役人やら小学生を連れたお母さんたちがたくさんいた。ところが、一週間が経つとその人数は半分に減り、毎週一人、二人といなくなって一か月後にはこの六人が残った。それから週二回、月曜日と木曜日に朝のラジオ体操を行っている。
「最近さぁ、売上落ちちゃってさぁ。客がだいぶ減ったって感じるんだよな」と鳥取がしょんぼりして言う。
「そうそう、うちの娘の同級生のお姉ちゃんが、今年高校卒業して東京に就職したんだって」長坂も続けて言う。
「三月は転出者が多いんですよね」町役場勤務の赤坂は事務的に言う。
「どんどん過疎化が進むなぁ…じーさん、ばーさんばっかりになっちゃうよ。もっと町を活性化させたいよな」町内会長の徳沢が真顔で言う。
花森町は、都心からニ時間ちょっとのところにある。昭和二十年を最盛期に人口の推移は減少傾向にあった。今では人口が一万人を切る状態であった。二年前この状況を打破し改革をやってきたものの、なかなか成果は出ず役場として人口流出は、頭を抱える問題であった。
赤坂は徳沢の息子が気になっていた。
「徳沢さん、息子さんは元気ですか? このラジオ体操に誘ってみたらどうですか?」
「いやーどうかなー」徳沢は手で頭を撫でまわした。
「赤坂君、うちの恵都のこと心配してくれてありがとう」
「絶対、この朝の空気を吸ったら気分が変わると思うんですけどね…」
赤坂は、二つ下の徳沢恵都の事情を知っていた。
「一応、声かけてみるよ。ありがとう」
「はい、ぜひ」

翌日、ラジオ体操の場に恵都の姿はなかった。
「ダメだったんですね」赤坂が言うと
「面目ない…父親なのにね。なかなか顔を合わせられないもんでね」と徳沢が申し訳なさげに頭をかいている。
赤坂は、徳沢の息子の恵都を知っている。同じ高校だった。赤坂が高三の時、恵都は高一でとても目立つ存在だった。人気者で華があり、文化祭の時はバンドを組みヴォーカルで歌を歌うと、女の子たちに”キャーキャー”言われるくらいの存在だった。
「高卒で入社した会社で鼻をへし折られたんだよ。人とすぐに仲良くなれる恵都を妬んで上司がパワハラをしてきたらしいんだ。まぁ、目立つっていうものは良い面も悪い面もあるよな。ハハ…」徳沢は少し悔しい気持ちの顔をにじませていた。
「女の子にすごくモテていましたよ。男の僕から見ていてもカッコよかったです」赤坂はフォローを入れる。
「え? そんなにカッコいいの? 徳沢さん、息子さんを絶対連れてきて!」香西がのんきに話しかけている。周りのみんなも”ぜひ拝見したい”と言わんばかりの顔をしている。
「参ったなぁ…」
「徳沢さん、明日、僕がお宅に伺ってもよろしいでしょうか?」

赤坂は、役場の仕事が定時に終わってその足で徳沢家に向かった。浮かない顔の徳沢が赤坂を招き入れ、恵都の部屋の前まで案内した。
「こんばんは、恵都君。赤坂と言います。突然お邪魔しちゃってすまない。ちょっと君と話がしたくてここに来た。僕は君とは何の脈絡はないけれど、僕は知っているんだ、君のこと。僕が高校3年生の時、体育館裏のわきで僕が一人でお弁当食べていると、恵都君が来たんだ。『何やっているの?』って僕に話しかけてきた。僕は『別に…』って答えると、小さく『ふーん』って言っただけ。だけど、恵都君パンかじってそのままそこにいたよね。それから『一人も良いもんだよな』って言ったんだ。『君は人気者だから大変だね、女の子に追い掛け回されて』ってちょっと皮肉めいたことを僕は言ったんだ。そしたら恵都君は『みんなとコミュニケーションをとるのも大事。一人になるのも大事だよ』って言っていたんだ。それ聞いた時ちょっと心が軽くなったんだ」
赤坂は何も返答のない部屋の前で独り言を言うように語りかけていた。
「僕はその時、『この人も何か悩んでいるのかな?』って思った。自分の心や気分をリセットするために一人になることをしていたんだね。あの高校生の時の自分には分からなかった。恵都君はすごいよ!」
赤坂はだんだん熱く語りかける。
「僕は恵都君より二つ上だけど、君の方が大人だなって思った。だけど今はずっとわがまま言っている子どもだよ! 上司にパワハラ受けていたってこと風の便りで聞いたよ。僕にだって『なんだこいつ』って思う嫌な上司はいるよ。そういう時に一人になるようにしているんだ。あの時の恵都君の言葉を思い出すんだ」
部屋の向こう側はシーンとしている。ダメ押しで赤坂は言った。
「自分で自分を守っていけばそれでいい、自分がいいと思う方向へ進めばいい、先が見えない分、足元をしっかりみようよ。このまま一生この部屋にいて野垂れ死にたいのか!」
ガタガタと戸が開いた。「…なんだよ、うるせーなぁ。おぅ親父、腹減った」
恵都が頭をボリボリかきながら赤坂の目の前に立ち、父にだけ視線を合わせて一階に下りて行った。
「母さん! 恵都が腹減ったって! 下に下りて行ったよ」
父の徳沢は涙を浮かべて赤坂の手を握った。
「ありがとう…ありがとう…」ぎゅっと握った手に徳沢の涙がぽたぽたと落ちる。
「良かったですね」赤坂は何かを成し遂げたような達成感があった。
「赤坂君、今日うちで晩ごはんを食べていってくれないか? 豪勢なものは出ないけど」
「お邪魔でなければ、ぜひ」
その日の徳沢家の晩ごはんは、久しぶりの親子の団らんと高校時代の懐かしい話に花が咲いた。豪勢な食事ではないけれど、特別おいしい味になった。

翌朝、ラジオ体操に新メンバーが加わった。

鳥取のいつもの嘆きから始まった。
「またこの町を出て行く息子の話を聞いてさぁ」
「俺、そいつ知ってる。イッコ下。高校の時、バンド組んでてベース弾いてたヤツだった」
鳥取が目を丸くしている。香西は両手を胸元で小さく拍手している。
「やっぱり快活そうなお子さんね」と長坂。
「普通にしゃべれるじゃん」と酒巻。
「いや~、ハァどうも」と徳沢。
恵都は、自分がここでどれだけ話題にされていたかと思うと、発言するのがちょっと恥ずかしくなった。
「気持ちいいね、恵都君」「あ、あぁ」
今日も良い天気のもと、花森町はラジオ体操から始まる朝を迎える。


2.心の物々交換

昨日から仕込んでおいたカレーを冷蔵庫から出して火入れをする。
ハンバーグのパテ、グラタンやドリア用のベシャメル、ミートソース用のトマトソースの量を確認する。
サラダに使うレタスや新玉ねぎ、キュウリを切っておく。
調味料の中で塩が足りなくなりそうなので後で買うことをメモしておく。
パートの従業員が出勤すると「入口とか窓をピッカピカに磨いてね。トイレもキレイによろしく〜」と鳥取は開店準備に余念がない。

三月末、町の洋食屋さんであるトットレストランの開店五十周年感謝祭が始まった。
「いっらっしゃ~い!」威勢のいい掛け声が飛ぶ。

父からの代を引き継ぎ、最近の過疎化が進む状況で鳥取は焦っていた。鳥取の父が二十五歳の時にこのレストランを始めた。高度成長期の真っただ中に開店し、売上は右肩上がりに伸びていった。町の中心にぽつんと一軒あるレストランだったので、皆そこに食べに来るというわけだった。だから集客がどうのこうのということはあまり考えていなかった。この五十年、町の住人に支えてもらっていたようなものだった。
しかし今、近隣に大型商業施設が開店したり、町を離れていく若者が目につくようになった。ようやく事態を飲み込んだ鳥取は、焦る気持ちはあっても何かを行動するといった策は何も持っていなかった。
「これとこれを一緒に頼むからおまけしてくれない?」いつも来る値切りのおばあさんに「持ってけドロボー!」と言っておまけしてしまう鳥取であった。
それを見ていた妻は、首を軽く横に振って『もう時間の問題だわ』とあきらめ顔の様子だった。
お昼休憩に妻は鳥取に詰め寄った。
「どうする気? あんなおまけをしていたら採算が取れなくなっちゃうよ。今に潰れるよ!」
「あ~あ~分っているよ、大丈夫だから」
全然大丈夫じゃない状況だった。

鳥取は気晴らしにパチンコに出かける。この日は往々にしてよく出た。景品をチョコやお菓子に替えて帰る。妻は嬉しそうな顔を一応はしてくれるが、さっきケンカになった仲直りの印ととらえているだけで、根本的な解決にはいたっていない。でも、こんなことで仲直りができる人間関係も単純だと思った。
妻は近所の人から「これ、もらい物なんだけど」といってよく物をもらう。もらいっぱなしもよくないので、「お返しは何がいいかしら?」といつも頭を痛めている。でも、そのお返しがパチンコの景品とはいえ、何かをお返しできるということに満足していた。
息抜きのパチンコも妻の笑顔と「ありがとう」を聞くと、役に立っているんだなと鳥取は少し自分を正当化する。



鳥取は、朝早く起きてレストランの仕入れに出かける。やはり自分の目で見たものを仕入れたい。仕入れてきたものを無駄なく消費するために今の在庫がどうなっているのか、古いものから順に出すことを基準とし、ロスが出ないことを目標にする。
世界の人口が八十億人いると言われていて、世界ではその人口に行き渡るくらいの食糧があるというのに、飢餓や戦争で食糧が足りない地域がある。しかし、日本では十万食のフードロスがあるというニュースを見て愕然としたのだった。



「おはようございます! いつもありがとうございます」と農家の酒巻がキャベツとたまねぎを届けに来た。
「いつも良いものをありがとな」鳥取は、酒巻が作るキャベツが大好きだった。この五十周年感謝祭でロールキャベツをおすすめメニューにしようと決めていた。
「酒巻さんの野菜は本当にきれいで形が良いんだ。お客さんも喜ぶよ。本当にありがたいことでさ、良い品を見つけるとうれしい気分になってね。目利きの自分にもうれしいんだ。その良い品を届けてくれる生産者さんの生き生きしている顔を見るのもうれしい。それをおいしそうに食べるお客さんの顔を見るのもうれしい。ここに客商売の醍醐味があると思うんだ。そういうことを先代から教わったんだよな」しみじみと鳥取が言う。
「心のプレゼントみたいなもので良いですね。そういうものって代々伝えられていくものですね。うちも地元の農家だけど、俺まで続いているってことはプレゼントをもらっているのかな」酒巻は鳥取の言うことが分かる気がした。

やる仕事は毎日決まっている。それを受動的にこなすだけなら誰でもできる。そうではなく、相手の考えを聞き、それを自分がどう思ったか意見を交わす。時には衝突する時もあるけど、このトットレストランをより良くしたいと思うのである。
妻が近所の人たちと物々交換でコミュニケーションを取るように、鳥取は心の物々交換をして店を繁盛させていきたい、そう願うのであった。


3.できること、できないこと

朝のラジオ体操で長坂は浮かない顔をしている。
「どうした? 辛気臭い顔をして香菜ちゃんと何かあったのか?」
同級生の鳥取が心配している。
「家に帰りたくない…」いつも笑顔の長坂が投げやりな感じで言っている。
「おいおいおい、みんなが見ているじゃないか、こんな朝っぱらから」
鳥取は何か勘違いをしている。周りにいる全員がそう思った。



新学期、長坂の娘 香菜子は小学六年生になった。もう一端の生意気な口をきく反抗期に差しかかっていた。朝は起きない、支度が遅い、登校班の集合時間に間に合わなくて友達を待たせてしまう。そのくせ、「こんなの無理無理イラつくなぁ」と言って努力も何もしない。長坂は毎日言って聞かせてもちゃんとしない娘に腹が立っていた。毎日のことだから長坂のストレスはピークに達しようとしていた。

香菜子が学校から帰って来るやいなや、ランドセルは床に放りっぱなし、靴下を脱いでも洗濯かごへは持っていかず、すぐスマホゲームをやりだす。香菜子の部屋はいつもグチャグチャに散らかっている。
物をもとの場所に返せない、全部、床に放り出す。それを親の長坂が愚痴を言いながら片づけをする。
「本当に何度言ったら分かるの!」
「・・・」
母と娘の二人暮らし。二人に逃げ場所はない。片付けようとしていたランドセルを床に投げつけ長坂は香菜子の部屋を出た。

晩ごはんを作り終えても長坂は香菜子を呼ぼうとしなかった。一時間前の出来事は母としてやってはいけないことだと認識していたからだ。ここでまた顔を突き合わせてご飯を食べるなんて到底、長坂の精神状態では無理だった。
『顔を見たら今度はののしるような言葉をかけてしまうだろう』
長坂は冷静さを必死に保とうとした。



次のラジオ体操の時、長坂はまた浮かない顔をしている。鳥取がまたチャチャを入れる。
「もうぉ!」長坂のイライラのピークが鳥取を襲う。一同びっくりして長坂を見る。
「本当にどうした?」町内会長をはじめみんながラジオ体操をやめ、長坂を取り囲む。
「…娘がね、言うことを聞いてくれないんです。反抗期に入ったのか分からないですけど、毎日同じことで怒ってばっかりで全然身についていかないんです」
「例えばどんなことですか?」徳沢が一歩前に出て長坂の顔を覗き込む。
「例えば…朝起きられないとか支度が遅くて間に合わない…それから忘れ物をしょっちゅうするから前の晩から持っていくものを確認してかばんの中に入れなさいって言っても入れない。『こうした方が良いんじゃない』ってアドバイス的なことを言ってもその時は返事するんだけど、もう数分経ったら漫画を読んでいるとかね、こんなんばっかりでホントに嫌になっちゃったのよ…なんでこうなっちゃったのかな」
「それ、恵都と同じだなぁ」徳沢は懐かしむように言った。
「そうそう、俺だ。長坂さん、それADHDかも」
「ADHD?」
「長坂さんの娘さん、頭の中がゴチャゴチャなんだと思う。目についたものが気になって今までやっていたことを忘れてしまうんだ。だから部屋の中が散らかったり、集中力が続かなかったりするんですよ。頭の構造が違うらしいですよ。もうねぇ、親のしつけがどうのこうのって言う問題じゃないみたいですよ」
「えー、そんなことがあるの? じゃあ、どうすればいいのかしら…」
長坂は訳が分からなかった。教えても、教えても、教えても…香菜子は言うことを聞いてくれない。それが頭の構造が違うからというのは衝撃的だった。
「その当時、私も分からなかったので恵都の担任の先生にお尋ねしてみましたよ。それから何らかの解決策を教えてくれたと思いますよ」
「はぁ…」
「怒ってしまうのは良くないそうですよ。ただ”怒られた”という記憶だけしか残らないみたいで、ひとつずつ物事をやらせて出来たら褒めるということを繰り返し繰り返し続けることみたいですわ、ハハ」徳沢は陽気に笑って見せた。

怒っても意味がない、本人の自尊心を傷つける。怒られてばかりだとやっぱり自分も嫌な気持ちとか投げやりな気持ちにもなるなと長坂は思った。親の立場で真っ当な子どもに育てなきゃいけないという気持ちが募ると、”怒る”という感情に走ってしまう。親のやりたいように子どもを怒って支配する。そんなふうに自分で仕立て上げてしまったのか、長坂は落胆した。
「そんなことがあるんですね、知らなかった」
「一概には言えないと思いますが、お母さんとしても辛いでしょ? 気を楽にして相談した方が良いですよ」
「分かりました、ありがとうございます。少し気が晴れました」
長坂は感情を表に出してしまって心もとなかったが、少し解決の糸口が見えて気が楽になった。



香菜子は学校のお知らせの紙を持ってきた。”家庭訪問の案内”だった。平日は仕事があるが有給休暇を取ってでも、先生に相談せねばと思った。自分の気持ちを救うためにも。
家庭訪問当日。香菜子の担任の先生は穏やかな感じの女性だった。女性ということもあって何だか親しみやすく、すんなり言い出せることができた。
「あの先生、相談があるんですけど…」
「はい、何でしょうか?」
「うちの子、決まった生活習慣が何ともだらしがないと思うのですが…学校ではどうなんですか? ちゃんとやっていますでしょうか?」
「う~ん、さして問題行動とかはないと思いますが、次の行動に移すのが遅いかな…と思ったことがあります」
「あーやっぱりそうですか。先生、実は・・・」
長坂は最近の香菜子の状態を説明した。思い出しながらどうにもならない現状を切々と話した。自分の感情を抑えきれないことも正直に話した。
「そうだったんですね、大変でしたね。今学校ではカウンセラーを配置してまして、どうかしら、ご相談なさってみては?」
「はい、よろしくお願いします」
長坂は解決の糸口を見つけることができると思った。自分の感情がこのままでも良いと思わないし、娘にも良くないことは分かっていた。少しずつでもいい。前へ進むことが何よりも自分の励みになる。人生は面倒くさいことばかりだけど、階段を一段一段と上がっていこうと思うのであった。


4.乱暴者

今日も気持ちいい朝がやってきた。春から少し進んだこの時期は、新緑のすがすがしさが周りの空気をも一層清らかにしてくれる。神社という特別な場所は心も体も穏やかにしてくれる。
その清らかな雰囲気を打ち破ったのは徳沢だった。
「昨日さぁ、うちより二軒先で夫婦げんかがあったんだよ。旦那が酒をかっくらって奥さんに手を上げたんだってよ。その奥さんうちに裸足で逃げ込んできて『助けてください』って言うもんだからびっくりしちゃったよ」
「ひどい話だよな…自分より弱い立場で身近な存在の奥さんをストレス解消の道具としか思ってない。自分のなかの不安が許容範囲を超えちゃうと人ってこうなっちゃうのかな…」と恵都が下を向く。
「で、その奥さんケガはしたんですか?」と香西が心配そうに聞く。
「頭から血を流してた。慌ててうちの奥さんタオル持ってきてくれて玄関先だけど横にして…それから警察呼んでさぁ、大変だったよ」
徳沢は事の成り行きを事細かく話した。その奥さんの額から出る血が、心臓の鼓動と同じようにドクドクと流れる。人ってこんな血の色をしているんだと生々しく脳裏に焼き付いてしまって身震いをした。
「町役場にDV相談室ありますよ」赤坂が冷静に言った。
デリケートな問題だけに徳沢は困惑した。
「その旦那さぁ、普段はおとなしくて感じの良い人で通っているんだよ。だけど、いったん酒飲むと人が変わっちゃうんだよなぁ。前に町内会の総会が終わった後で一緒に飲んだことがあったけど、コップ一杯飲んだ後からの口の悪さは嫌だったことを覚えているよ」
「旦那さん、お酒を飲んだら人が変わってしまうのでカウンセリング受けた方が良いですよ。人を殺しかねない。また、その逆もありますよ」
「逆?」徳沢をはじめ、みんなが声をそろえて言った。
赤坂が続けて淡々と言う。
「暴力を受け続けていた奥さんが、たまりかねて逆上して旦那さんを殺しかねないってことですよ。僕は、生活推進課にいるので町役場に入ってくる相談事はだいたい耳に入ってきてしまいます。最近、多いんですよ、こういうケース。人それぞれの資質があるにせよ、近年コロナが蔓延して経済が滞って、相次いで仕事がなくなるということを余儀なくされましたよね。精神的に追い詰められるし生活苦にもなる。コロナで亡くなる人もいた。支援金で国から十万円支給されても家計は火の車。焼け石に水でしたね。ここ数年で花森町の町並みもより一層寂しくなって活気がなくなってしまいました…」



数日後、またあの奥さんが徳沢家に駆け込んできた。倒れこむように徳沢に寄りかかり意識がなくなっていた。今度は本当に危ない感じがした。
「恵都!! 警察と救急車を呼んでくれー!! 早く!!」
その旦那は傷害で逮捕された。

「なんでお酒をやめられないんだろ?」恵都がつぶやく。
「飲まずにはいられない理由があるんだろうよ」切なげに徳沢が返す。
「飲んで暴力振るってストレス解消して…やられる方はたまらないよ」
「男ってのは弱いもんだぜ。手っ取り早いのが酒を飲んで嫌なことを忘れさせてくれる。けど飲んでも呑まれちゃダメだけどな。飲むならたしなむ程度がちょうど良いよな。」
徳沢自身も何度となくお酒の力を借りて嫌なことを忘れようとしたことがあった。だから、何もかもメチャクチャにしてどうでもいいと思う気持ちも分からなくはないが、人を傷つけてまで自分のストレスを発散しようとは思わない。理不尽に自分が殴られる立場に陥ったら誰だって嫌なはずだ。その時、あの旦那はどう思うのだろうと思いを巡らせた。
徳沢はもう二度とこんなことが起きないようにと天に祈った。


5.闇を抱える

週に2回のラジオ体操の日。
「いつもスレンダーでカッコいいわね」ぽっちゃり体系の長坂が香西を見て言う。
「ありがとうございます! 長坂さんも私の動画で始めてみませんか?」
「あぁ…私は…こっちのラジオ体操の方があっているかも」

フィットネスインストラクターの香西は、自分で考案した”痩せて魅せるBODY”を動画にアップしたところ評判が評判を呼び、今や3万人のチャンネル登録者数を持っているインフルエンサーだ。
「私も10年くらい前までは太っていたんですよ。その当時、付き合っていた彼が私の後姿を見て『凸凹になっているよ』って笑いながら言ってきたんですよ…」
「えー、それって”はみ肉”のこと?」
「そうなんですよ…お恥ずかしいことに。すごく悔しかったからダイエットを始めてみたものの全然効果がなかったんです。そんなこんなでその彼とも別れて自暴自棄になって、暴れたんです」
「え? 暴れた?」
「もうね、ストレス解消と思って、youtubeの動画でダンスをやっている人のを真似して踊ってみたんです。それが楽しくて楽しくて…で、少しずつ痩せていったんです。それで体のこと一から勉強をして今に至るってわけです」
「へ〜、香西さんってすごいね! 親近感わいちゃう」



「ワンツースリーフォー! いいですね! はい次、もも上げ〜」
「ウワッ! 先生キッツイわ〜」
「まだまだよ〜 がんばって〜」
ピンクのかわいいTシャツのすそを小脇にキュッとしばって、スラリとした腰のラインから脚にかけてバランスの良い肉付きの体形。完璧なボディラインを目指して生徒たちに教える。
「先生、ありがとうございました! はぁ、はぁ」
「はい、こちらこそ、ありがとうございました。またレッスンがんばりましょうね」
香西は、ZOOMの終了ボタンを押した。

香西の仕事は宅トレのインストラクター。”見た目は大事 心も鍛えます”をモットーに押し出したレッスン。香西の人生をかけたレッスンは、生徒たちの成果を格段に上げる内容だった。
自分で考案した体の動かし方でYouTubeにアップしたところバズり、個人レッスンをしてほしいとのコメントが多数寄せられた。その人たちを相手に50分のレッスンをZOOMで行う仕事を始めた。最初は数人だったが、だんだん口コミが広がって人気トレーナーとして評判になったのだった。
”痩せて魅せるBODY”のキャッチコピーは、『絶対に痩せてみせる!』という意気込みと『体を魅せる』という美の追求を押し出したのもが視聴者の心をとらえた。実際にレッスンを受けることによって血液循環が良くなり、筋がしなやかになっていくと同時に筋力アップもでき、結果代謝が良くなって痩せやすくなる内容だった。
”香西先生”と全国から慕われてレッスンを受けてくれる生徒さんたちがいる。こんな水物商売をしている私でも彼がいる。仕事も私生活もとても満ち足りて幸せなはずなのに、人気が出る一方で香西にはなぜか埋まらない心の穴があった。



今日は香西のレッスンはなく、久しぶりの休日を酒巻と過ごす約束をしていた。
昼下がり、気持ちの良い風が吹く。ランチでもしようと近くのカフェテラスで食事をする。ここの店は野菜を中心にしたのが売りで、酒巻の農家もここに野菜を卸している。
香西はアイスティーを飲みながら、昔、酒巻と出会った時のことを思い出していた。
「大地君とさ、出会った時のこと覚えてる?」
「ああ、覚えているよ」
「良く晴れていた日だったね。川沿いで私がヨガをやっていると、大地君の連れていたワンちゃんが私のところへ寄ってきて、ずっと離れなかったんだよね」
「そうだったね。あの時、”ぺぺ”がなかなか行こうとしないから困っちゃったよ」
「でも、そのおかげで大地君と付き合えることになって、ぺぺ様様だと思ったよ。かわいかったなぁ」
「あの頃はまだ、今みたいにインストラクターの仕事はしていなかったの?」
「ううん、全然やっていなかったよ。暗中模索な時代だったよ…何をやってもうまくいかない、自信が持てない、食べることもあまり興味がなかったな。本当に暗黒な時代だった」
「今もあんまり食べないなぁ。体を動かす商売をしているのに、食べないのは本末転倒だぞぉ」
「ううん…」
「じゃあさ、とりあえずここ食べ終わったらさ、うちで作ってる野菜食べようよ」
「え? また食べるの?」
酒巻はそそくさとスパゲッティをたいらげ、香西の残したピザもたいらげ、会計を済ませた。おしゃれなイタリアンレストランには似つかわしくない軽トラックに乗って二人は酒巻農園に行った。

青い空が広がっている真下に広大な敷地の酒巻農園がある。おもにキャベツ、たまねぎを収穫している。そろそろ春キャベツの収穫が終わりに近づき、畑は少し寂しい雰囲気になっていた。
「こっちこっち~」酒巻が手招きしている。キャベツ畑とは反対方向に足を進めていた。
「あっ、待ってください」香西はヒールを気にしながらも小走りで酒巻の後を追いかけた。
酒巻家の裏手に小さなビニールハウスがあった。酒巻はまた手招きをして香西を呼び寄せる。中には真っ赤なプチトマトが栽培されていた。
「トマトは温度管理をすれば一年中収穫ができるんだ。コレ、おいしいよ、食べてごらん」酒巻は香西に両手いっぱいにプチトマトをのせた。
「おっとと…大地君、こんなにたくさん落ちちゃうよ」香西は落としそうになるプチトマトをうれしそうにみつめている。
「ほら、口開けて」酒巻は香西の両手にのっているプチトマトを、一つヘタを取って香西の口の中にポンと入れてあげた。モグモグする香西を見て酒巻は微笑ましく笑った。
口いっぱいに広がるトマトの酸味。それがすっぱいではなく程よい刺激となって唾液と混ざり合う。あとからほんのりとした甘味が追いかけてくる。香西は目を丸くして”うんうん”とうなずきながら、口に入ってきたものが初めて”おいしい”と感じたのだった。次々とほおばるうちに自然と涙が流れていた。

香西が子どもの頃、父と母はとても仕事が忙しかった。父は大手商社の営業マン、母は弁護士、香西は一人っ子だった。学校から帰ってきてもテーブルの上にコンビニのお弁当かお金が置いてあるだけだった。それを一人でテレビを見ながらパクパクと口に放り込むような食べ方だった。”おいしい”という感覚があまりなかった。ただ、甘いとかしょっぱいを感じるだけの食事だった。
こんなにもトマトがおいしいなんて香西は今まで気がつかなかった。今、ほおばって食べているトマトは、香西の命の源から湧き出た泉になり得ようとしていた。人間が持つ五感は何のためにあるのか、人間らしく生きるために持っているセンサーなのだと香西は改めて気づかされたのだった。


6.食べる、そして生きる

週二回のラジオ体操。軽快な音楽が心を軽くしてくれる。
「やっぱり朝の空気は気持ちがいいですね。酒巻さん、今日の農業体験よろしくお願いします」快活に赤坂が言う。
「ああ、よろしく。ちょっと緊張するけどがんばるよ」まだ眠たそうな顔の酒巻。
「懐かしいなぁ、農業体験に行ったなぁ。俺も暇だから行こうかな」大あくびをしながら恵都が言う。
「おお! 手伝ってよ、恵都君!」酒巻、目が覚めた。
「じゃ、俺も行こうかな」鳥取が興味津々な顔で便乗して言った。
「わぁ、よろしくお願いします!」
赤坂は手伝ってくれるという気持ちがうれしかった。学生時代はクラスの学級委員長を何度も務めたことがある真面目な生徒だった。しかし、クラスごとで何かを決めるような時、決まってクラスメイトたちは”知らぬ存ぜぬ、お前に任した”という顔をして自分から意見を言ったりすることはなかった。それをいつも赤坂は悲しく感じていたのだった。だから、自分の関わる仕事に協力してくれる人がいるというのは、赤坂にとってかけがえのない存在になるのだった。



酒巻農園にゾロゾロと黄色い帽子をかぶった小学生がやって来た。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします!」赤坂が小学生たちや引率の先生にあいさつをする。続いて酒巻。
「おはようございます。酒巻農園へようこそお越しくださいました。私は酒巻大地と言います。どうぞ、よろしくお願いします」
小学生たちから拍手が出る。
「今日はみんなここに、農業体験をしに来てくれたんだけれども、まず、そもそも農業って何だと思う? 分かる人いるかな?」
「野菜を作ること?」
「はい、そうだね、他にあるかな?」
「野菜を作ってみんなに食べてもらう!」
「おぉ、そうだね」酒巻はうれしそうに小学生たちと会話をする。
「みんなの言った通り農業は、その土地の自然環境を利用して農産物を生産して出荷して利益を得る産業のことです。私たちの生活には必要不可欠なお仕事だと思います。そして僕の考える農業をちょっとお話するとね、この野菜たちはみんなと同じだと思うんだよね。野菜はね、何が一番大事かっていうと土。この土を栄養たっぷりにしておかないと育たないんだ」
酒巻は小学生たちに語りかけるように丁寧に話した。鳥取、赤坂、恵都も酒巻の語りかけに耳を澄まして聞いている。
酒巻の言う農業とは、『野菜』は『自分自身』で『重要な土』は『私たちの環境と日常』に例えて、『野菜を世話をする人』は『家族や友人』に置き換えて説明した。
「だからね、みんなは自然の一部だと思うんです。自然は循環しています。どの役割も大切で欠かすことのできないもの、無駄なことは何一つないと思います」
赤坂は感動して思いっきり拍手をした。つられて鳥取と恵都も拍手をする。小学生たちも拍手をした。
酒巻は照れくさそうに頭をかきながら、はにかんでいた。
「ねぇ、これって良い取り組みなんじゃない」恵都が感動して言っている。鳥取は首にかけていたタオルで目頭を覆っている。
「ラジオ体操が縁で声をかけたら、『ぜひ! やってみたい』って即答してくれてね」赤坂はその時受けたうれしさがにじみ出ていた。

最後にみんなでたまねぎを収穫した。赤坂も恵都も鳥取も、良い大人が小学生と混じりながら大はしゃぎをしている。青空の下、大人も子どもも歓声を上げ笑顔でいる。赤坂は満足していた。
「酒巻さん、ありがとうございます。特別授業すごく良かったです」
「こちらこそ、ありがとう。有意義な時間を過ごさせてもらったよ。本当に自然は与えてくれているんだ。太陽、空気、水、土、いつもあるもので野菜を作らせてもらってる。それで赤坂君とのご縁でみんなとも出会えた。こっちが『ありがとう』を言わないとね」
「循環して和が広がっていくって良いですね」赤坂は考え深げに言う。
恵都が何かひらめく。
「『ありがとう』を言うってことは誰かが誰かに何かをしてあげたってことでしょ。じゃ、何かをしてもらった相手はやっぱりお返しをした方が良いんじゃない? 酒巻さんのお手伝いとか…何か困っていることはないですか?」
「うーん…困っていること? うーん…草刈りかなぁ。土地が広いでしょ、雑草が大変でねぇ」
「そうなんですか、じゃ! 俺、草刈りやります!」恵都は手を挙げて宣言した。


7.町おこし・交換リング

夏の太陽が照りつける前の朝は、気持ちがいい。しかし、気温はすでに27℃にまで上がっている。ちょっと体を動かすだけでも汗が噴き出す。
「どうですか? 恵都君、草刈りの方は順調ですか?」
「何とかやってるよ~ 暑いけどね、気持ちが良いんだ」
「週二回は来てくれて本当に助かっているんだ。たい肥もできるしありがたい存在だよ」
「すごいじゃん! カッコいいよ! こういう循環ってすごく良い!」赤坂が興奮気味に言う。
「恵都、良いことしているよな」鳥取が感心する。みんなもうなづく。
「最近…トマトやらたまねぎが台所周辺にたくさんあるから…」徳沢が頭の中で探るように思い出している。
「それ、うちの野菜です。恵都君よくやってくれるから、お礼に家庭菜園のものですけど持たせているんです」
「いやぁ、これはこれは、どうもありがとうございます。恵都そんなことをしていたのか」恵都の方を見て父の徳沢は誇らしげだった。
「あああぁぁぁ!」突然、赤坂が何かを発見したかのように顔が紅潮し笑顔になった。
「こういうの、どっかの動画で見たことがあるんです! ”交換リング”って言ってたっけ? お金の概念を無くして命の軸に戻すっていうのを聞いたことがあります」
「物々交換的な発想がってこと? なぁに? ”交換リング”って」香西が興味を持って聞く。
「とにかくお金の概念を無くすんです。大昔からそうですけど、お金が人生の目的になってますでしょ。何でもお金を出して物を得る、今はそういう社会じゃないですか。それに付け加えてお金が原因で争いごとも起きてます。もう…社会に歪みが出てきているんですよ」
「ふむふむ、それで?」
「お金の概念がなくて争いごともない時代っていつだったか、分かりますか?」
「江戸時代? あっ、小判があったね、違うか」長坂が答える。
「良い国作ろう鎌倉幕府!」「それ戦国時代始まってるよ」
徳沢が鳥取につっこむ。
「もっともっと前で、縄文時代なんだそうです」
「縄文土器とか竪穴式住居とかの?」恵都が社会科のおぼろげな記憶をたどって聞いてくる。
「そうです、その時代です。縄文時代の日本人は、楽しく幸せに暮らしていたんだそうです。みんなと分かち合う精神や心があって”貧富の差”というものは存在していなかったんですって。実際、縄文人の骨から、争いで殴られた跡やけがをしたというようなものは、ほとんど見られなかったそうですよ。そういう時代が一万年も続いたんだそうです」
「えーーー! 一万年も! 教科書に最初の方に出てくる時代でしょ。ちょこっとやって終わりじゃん。そんなすごい時代だとは思わなかったよな〜」鳥取は感動に心が湧いていた。
「僕、そういう縄文時代の文化をこの花森町に取り入れたいと思っていて…皆さんどう思いますか?」
赤坂は、今までモヤモヤしていたものがハッキリと見え始めたことをようやく、みんなの前で話すことができた。しかし、みんなの反応は薄かった。
「皆さん、突然ではありますが、僕、”町おこし”をしてみたいと思っています!」
「はぁ??????」赤坂の突拍子もない発想に一同固まった。
「最初に言った”交換リング”をこの花森町で町おこしをやってみたいんです。皆さん、ご協力お願いできますか?」
「協力も何も…町長には話しているの?」「これからします」
「メンバーって他にも考えているの?」「必要であれば僕が交渉します」
「町おこしだから町全体になるでしょ、このさびれた町だよ、年寄ばっかりだよ」「だからやるんです! 若い人たちが来るように!」
「へ~ なんか面白そう」と言ったのは恵都だった。
「一緒にやろう! 恵都君!」赤坂は希望の光を掴んだと思った。



赤坂は、自分の考えはもちろん、お金の成り立ちや概念から話さなければならないと思った。
ラジオ体操を一緒にやっているメンバーをはじめに町長、町役場の人たち、商店街のオーナー、農業・漁業・酪農従事者などが集まった。そして、一つずつ丁寧に話をした。それは赤坂の全エネルギーを注いでいる状態だった。
「皆さん! お集まりいただきありがとうございます。興味を持って集まってくださった方々だと思ってます。この度、僕はこの花森町の町おこしをしたいと思って発案しました。花森町で作ったモノをお金で支払わず自分の労力や出来ることでお返しをするといったシステムにしたいと思っています。名付けて"花森モリモリ倶楽部"です」
「モリモリ…クラブ?」
「元気モリモリって感じ? 笑」
「ごはんをモリモリ食べる〜」
「こんなちっちゃい町でできんのか?」
「なんか、笑っちゃうけど」
「そうです! みんな元気に楽しく生活をすることがモットーです。そして、この町に住めば自身の生活に困らないという町のシステムを作りたいんです! そのために皆様の協力が必要なんです!」
「でもさぁ、なんで今なの?」
「日本は稲作文化から始まって作物を”貯める”という習慣が身に付きました。それが物々交換からお金へと変容していき、そのお金に今私たちは踊らされているんです。今現在、私たちが一生を通して働いたお金を、ある人は数秒で稼ぐ人もいます。”一生分が数秒で”ですよ。貧富の差が出ていると思いませんか? 私たちはマネーゲームに無理やり参加させられ…というかそんなことも知らずに勝手に負け続けているんです。この先、絶対、信用収縮が起こります」
「なぁに? シンヨウシュウシュクって」
「銀行などの金融機関が貸し出しを渋ることによって、金融市場に十分な資金が行き渡らなくなることです。本当に今、危機的状況なんだと思います」
「もしかしてバブルがはじけちゃうってヤツ」
「懐かしい〜、っていうかバブルほど全然景気良くねぇし」
「おいおい、やめてくれよ。もうたくさんだよ、あんなこと」
「だから! この花森町で危機的状況を乗り越えたいと思っているんです。それに生活が安定して送れるというアピールをすれば、若い層や子育て世代が移住してくると思うんです!」
「そんなん上手くいくかね?」
「では、具体的に掘り下げて解説していきましょう」
赤坂はホワイトボードに絵を描きながら説明した。
それは、どんなに小さい地域でも経済が回っていれば経済効果が生まれる。花森町で経済は回せるということを強調して言った。
今までは、経済を成長させていく概念であった。利潤追求、ノルマ達成、お金を稼ぐために仕事を選び、時間に振り回される生活を強いられる。余裕を楽しむ暇もなく、あくせく何かの支払いのために働く。
これからは地域社会で生きること、地域通貨が人の心に絶大なる良い効果をもたらすことは間違いない、地域通貨を推進していく時代だと断言した。
「皆さん、僕はこの町でしか使えない地域通貨を作りたいと思っています。全部これでまかなえるようになることが理想です。しかし、私たちが実際に生活していくためにはやはり、法定通貨も必要です。今の段階では、地域通貨と法定通貨を併用して生活をするという形です」
「その地域通貨っていうのはどうやって使えるようにするんだ?」
「はい、ご説明します。僕の考えている地域通貨は記帳する方式です。花森町に住んでいる人に花森町だけしか使えない通帳またはアプリを発行します。例えば、僕がお腹が空いたら鳥取さんのレストランに行き、ハンバーグセットを注文します。その料理は肉、野菜、米、みそ、これら全部花森町で作られたものであって、僕は美味しく頂き、最後のお会計はこの記帳でマイナス1500と書きます。そして、鳥取さんのレストランの記帳はプラス1500と書き、交渉成立となるわけです。ここポイントなんですが、花森町で生産や加工したものに限定します。地産地消ってわけです。ハンバーグセットを食べたあと、コーヒー飲みたいなと思って注文してもコーヒー豆はブラジルなど輸入ものなのでコレは法定通貨で支払うことになります。ですが花森町で採れたハーブでハーブティーを注文すればコレはOKです」
「わぁ! ただで食べられるの!」
「商売上がったりだな…」
「いいえ、鳥取さんも何かしてもらいたいことを募集すればいいんですよ。例えばデリバリーとか…皿洗いとか…手伝ってもらいたいことをこの地域通貨を利用して人件費を削減できると思います。できないところは助けてもらって得意分野のできる人がやるという仕組みとでもいいますか」
「でもさぁ、もらうことばっかりな人っているでしょ。そういう人はどうするの? みんな機嫌悪くなっちゃうよ」
「悲しいけど必ずそういう人っていますよね。ある程度一定数いると思います。でも、皆さん想像してみてください。もし、自分が大怪我をして下半身不随になったら何もできないですよね。そのための地域通貨としても考えてほしいんです。それから老後ですよ、衣食住を心配なく送りたいですよね。自分のためにも皆さんのためにも、この花森町を盛り上げていこうじゃありませんか! 僕はこの町を助け合いの町にしたいんです!」
「自分のためか…そうだよな、老後って言ったってそう明るい未来だとは思わないしな。花森町で貢献して老後もここで見てもらうっていうのも良いものかもな」しみじみと徳沢が言う。
「動こうぜ、みんなでさ! なんかさぁワクワクするんだよな俺は。心の充足感を得られそうで」恵都が目を輝かせていった。
「そうね、できる人ができることをするって自分に自信がつきそうだわ」長坂が大きくうなづいて納得している。
「花森町で丹精込めて作ったものを食べられるって、貴重なことかもね」香西も賛成の意を示した。
「俺、一生懸命、おいしい野菜を作る! それで草刈りや収穫の時期になったらみんなに手伝ってもらえたら、こんなにうれしいことはないよ!」酒巻は地域の循環をこの目で見られると心が躍っていた。
「じゃ、いっちょ、俺がハンバーグセット腕によりをかけて作っちゃおうかな」ちょっと腰が引き気味の鳥取もラジオ体操のメンバーが言うなら俺もという気持ちになった。
「本物思考が増えてきていると思います。今までが大量生産、大量消費とモノを取っ替え引っ換えで溢れかえっていました。使えなくなったらすぐ捨てる。それですぐ新しいものを買いました。でも、これからは違います。"本当にいいモノを長く使う" これだと思います。皆さんに愛される花森町にしていきたいんです。町長、いかがでしょうか?」
「これからいろいろな問題出てきそうだけど、まぁ…わしももうすぐ引退じゃし、花森町でお世話になりたいしのう。やってみる価値はあるじゃろ、赤坂君!」
「はい! ありがとうございます、町長!」
赤坂は、早速”花森モリモリ倶楽部”のモットーを掲げた。
一、みんなで助け合い。言葉を話せない赤ちゃんでも、体が動かないお年寄りでも人の役に立っている。
一、お金の奪い合いをしている場合ではない。分け合う精神でいこう。
一、地域に根を下ろす。この町にいる限り破綻することはない。

年を取ってからケガをして障害を負ってしまうことは多々ある。何もできない状態は、自己肯定感を下げ自分が家族の重荷になっているという負の気持ちを抱え込む。家族も本人の気持ちを察して関係がギクシャクしてしまう時、周りからの支援を簡単に受けられるようにしたい。サポートやサービスを受けられる当たり前の世界を作りたい。

「何かをくれ」とだけ寄ってくる人もいるだろう。その人の記帳はマイナスだらけになる。この花森町にいるのなら必ず、自分を見つめなおす機会を持てるはずだ。自分は誰かの役に立っていると気づくはずだ。自分の能力を再確認する。その気づきに大きな喜びを感じ、人として成長し続けるだろう。

ただ”お金を稼ぐ”という虚栄心ではなく、自分の能力を見つめなおしてそれをどう生かしていくかを考える。それがこの町全体を形作っていく。誰かがマイナスになれば、誰かがプラスになっている。この町全体を見ればプラスマイナスゼロなのだ。
地域に根を下ろして助け合っていくしかない。お金の奪い合いをしている場合ではない。



そして・・・時は過ぎ・・・
早朝から花森町役場の前で、テレビ局の人が慌ただしく機材のセッティングをしている。
インタビューする女性が、マイクを持ちカンペを見ながら口をモゴモゴと動かしている。その隣でどことなく緊張している様子の赤坂。朝の情報番組のワンコーナーに生中継で出演するのだ。
「はい! 本番に入ります。5秒前~3,2・・・」
「今日は”住みたいまちランキング一位”の花森町に来ていまーす! 早速、町長にお話を伺いたいと思います。今年も一位おめでとうございます。二連覇ですね」
「あ、ありがとうございます。これも町おこしの一環で始めた”交換リング”の賜物です」
「”交換リング”って何ですか?」
「簡単に言うと助け合いの精神で生活するっていうことです」
「助け合いというのは具体的にどういうことをするのですか?」
「自分ができる仕事をやって、できない部分は助けてもらう。それが町全体で循環しているということです。今度、花森町で植樹した木で介護施設を作りたいと計画中です」
「素晴らしい取り組みですね! 皆さんも花森町に遊びに来てみてはいかがでしょうか。今日は”住みたいまちランキング一位”の花森町からお伝えしました~」

交換リングを始めて十五年の月日が流れた。
赤坂は、三年前に最年少で花森町の町長になった。
「かっこいいね〜 赤坂君! 花森町の宝だよ」と鳥取が言う。
「いや~ 皆さんのおかげです」
「うちの町長をおだてないでくださいよ。まだまだ、これからなんですから」ずりさがった眼鏡を直す恵都が言う。
「徳沢恵都さんもお偉くなりましたな」鳥取が皮肉めいたことを言う。
「からかわないでくださいよ、僕は赤坂さんに一生ついて行こうと決めているんですから」恵都が口を尖がらせて言う。
「おはようございま〜す」香西と長坂と娘の香菜子も一緒に来た。
「この町に住んでいて楽しいよ、町長!」香菜子が言う。
「それは、お褒めの言葉、ありがとうございます。楽(らく)ではなく、私も楽しく過ごしたい気持ちです!」まだテレビ生出演の余韻が残っている赤坂。
「どうも、どうも、お疲れ様です。最年少町長!」徳沢が酒巻と一緒に現れる。
「本当に良い方向に進んだよな。農業体験に関わらせてもらえて光栄だよ」酒巻は目に涙さえ浮かべている。
「こちらこそ酒巻さんの存在がありがたいです。未来を担っていく子どもたちにお金の負担はかけられません。未来への希望を失わないためにも今、行動しましょう。明日という未来から変えていきましょう」と赤坂が言う。
「底辺を走っているこの僕たちが、世の中を支えているんだ」続いて恵都が言う。
「誰しもが何かしらの問題を抱えて生きています。それをみんなで助け合って解決をする。その意味は、自分と相手の心を成長させることであると思うのです」

朝日に照らされた花森町は、みんなの掛け合うあいさつで始まる。
この精神がある限りこの町は衰退しない。


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