”考える” ために ”学ぶ” んだ
うちには保護犬がいます。 今は過保護犬ですがw
殺処分という処分にかけられる前に施設から引き上げられ
保護団体さんが里親の募集をかけ 苦労して苦労して 我が家にやってきました。
うちの子は危うく死ぬところだったんですね。
今日は、うちの犬について語りたいわけではないんですが
ペット業界も様々な根深い問題を抱えている。それについて、犬を家族に迎えてからたくさん学びました。そしてリアルと原因、何をしなければいけないのかを考えました。
この動物の殺処分問題・ペットショップの課題についてわたしが単に文章で訴えることはできるが・・・
文章を読んでくれる人に表現することで共感してもらうことだけでは
「へぇー そうなんだ ひどいじゃん」と思ってもらうだけでは
不十分なんだと記事を実際に書いてみて感じました。
本当のことを知るだけでなく、
自分の意見をもつまで、
一人一人が学ばなければ
行動には至らないだろう・・・
文章のゴールは読んだ人の心や体を動かすことですもんね
なので興味関心を強く引き寄せるようなきっかけが社会問題にも必要
多くの社会的問題について
人々(私を含む)は、自分は何を知っているか、なかなかわからない
様々な社会問題についてのニュースを聞くだけでは、それについて詳しくは知っていることにならないですよね
そして大半は、Yahoo!ニュースを読んで社会を知っているつもりになっている・・・
LINEニュースでみたことある
池上彰が言ってた などなど 「あー それ知ってる」です。
じゃあどう思うか?なぜだと思う?と問いかけられると
知ってるけど「よくわかんないや」と・・・ 意見を持たない状態
知見ではなく、タイトル程度の誰かの表現に触れたにとどまる。
知っている”つもり”
それについての意見をもつことはできていません。
意見がないことと≠意思がないこと ですが
環境問題 イジメ問題 国際問題 地球温暖化 格差 などなどについて意見がない状態ということは
意見がない=関心がないこととなる・・・
これは悲しい、今まで多くの社会問題について学んできたつもりでしたが、意見を述べよ問い分けれると答えられない
殺処分についてもそう。
知っているつもりだったという関心のない状態。要は不勉強である・・・
私のような人はとてもとても多く・・・その問題についての意見もなければ当然アクションもない。これは変わらない。
何を言っているかではなく
誰が言っているか、という人々にリーチするかしないかは当然大きいが
問題の根幹を揺るがしていくにはやはり、小さな小さな意見の集合とそれらを改善へと進める小さなアクションの集合
意見をもつところまでそれぞれについて知ること
様々なことからきっかけを得て
自ら主体的に学ぶことが必要だと
そこまでいって関心があるということになるんですね。
問題解決のために、考えるために、学ぶんですね
私自身の反省でした。