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5.何者かになりたい、何者にもなりたくない
何者かになりたい。
— さむ¦沖縄一熱い女子大生 (@Sam_mi_36) May 5, 2020
「さむといえば」の続きがほしい。
でも、まだ、何者にも縛られたくない。
ずっとそんな葛藤と闘ってる気がする。
以前、こんなツイートをした。
Twitterをみれば、同じように考えている人がいるし、学校の友達に聞いてもそう思う子は多いから、そんなに気にすることじゃないんだろうというのはわかっている。
でもその反面、学生団体の代表やイベントの主催者、自分の学部の学問に本気になっている子を見ると、どうしても「何者かにならなくては」と焦ってしまう。
今日はそんな、少しかっこ悪い私のお話。
※ツイートには「ずっと戦っている気がする」とあるが、ブログを書いてみて全然ずっとじゃないと分かった。葛藤し始めたのはここ1.2か月の話だ。
その葛藤が生まれるまでと、現状の私の結論をゆっくり見ていってほしい。
会うまで
「熱くなりたい」と言ってみたり、Twitterやnoteで夢を語ったり。
今はそんな私だが大学に入って半年間は全くそんなことはなかった。
私が変わったのは10月末、首里城火災がきっかけだった。
あの時「首里城のために何かしようと思ってるんだけど、さむもやらない?」と先輩が声をかけてくれなかったら、私はきっと、ずっとなんだかよくわからない学生生活を送っていただろうと思う。
それまでの私は、人生の目標を失っている状態だった。
医学部を目指していたのに落ちた。
農学部は考えて選んだ学科ではあったが、自分の中で「逃げだったんじゃないか」という劣等感がずっと残っていて、だから私はそこから目をそらすように遊んだ。
もともとロックが好きだったこともあり、ロックバンドのライブのために県外まで行った。そのためのお金を稼ぐべく、バイト続きの日々。
苦しくはなかった。1か月に1回、本気ではしゃぐために必死で働いて、思いっきり遊んで、また沖縄に帰ってくる。
バイト自体も嫌いじゃなかったし、すごく楽しかったけれど、なんだかずっと満たされない日々を送っていた。
首里城が焼失したあの日も、私はライブのために沖縄ではなく広島にいた。
広島でその日知り合った友達に「沖縄から来てるん?今日首里城燃えたやんな」と言われ、急いで調べたのを今でも覚えている。
その日の内に先輩が「首里城のために何ができるか考えよう」と言ってくださった。
その流れで学生団体に入り、さらに1月にはもう1つ首里城のために活動している学生団体にも誘っていただけた。
学生団体で活動を続けていると「なんで首里城のために活動してるの?そんなに首里城好きなの?」と聞かれることが増えた。
嫌味な聞き方をする人は少なかったが、私からするとかなり嫌な質問だった。
なんとなく首里城が燃えたのがショックで、その時に先輩に誘っていただけたからしているだけ…だと思う。
そんな中途半端な気持ちのまま、1つめの団体はバラバラになり、2つ目の団体もみんなのやる気がうまく合わずになあなあになっていった。
「なんで活動してるんだろう」
将来的に沖縄に貢献したいとは思っていなかった。
正直、活動を始めた時には卒業後は関西に戻りたいとすら考えていた。
もし沖縄でやりたいことができれば就職も沖縄で、くらいの感覚だった。
今自分が活動している意味も、これから自分がやりたいことも、イマイチわからなかった。
そのことを先輩に相談すると「自己分析してみたら?」と言われた。
これが私の今の夢や、沖縄に来た理由を振り返るきっかけになった。
そうは言ってもすぐに自己分析に取りかかれた訳では無い。
そもそも自己分析なんて言葉そのときに初めて聞いた。
だからどう進めていいか見当もつかないし、調べても色んなサイトに方法論がたくさん載っててよくわからなくて投げ出した。
でも投げ出したって悩みは尽きないし、自己分析した方が良いんだろうなと思っていたとき、Twitterである方を見つけた。
その方はきしもとさんという方で、兵庫県在住の社会人、名前にも「自己分析」の文字があるほど自己分析に関するツイートをしていらっしゃった。
ネットに山ほど方法論のある自己分析にウンザリしていた私は、運命的な出会いだと自分に言い聞かせ、きしもとさんをフォローしてそのnoteの通りに自己分析をすすめていった。
自己分析がすらすら進んだかと聞かれれば、そんなことは無かった。
よくある一般的な自己分析のやり方といえば、縦軸に感情の起伏・横軸に歳をとって、これまでの人生の感情が起伏している部分とその原因を探るというものだと思う。
しかし、きしもとさんのnoteにある自己分析はとにかく300個、自分が興味のあるもの・やって楽しいことをあげるというところから始まる。
くわしい内容は、きしもとさんのnoteを見てほしい。やる価値はある。マジで。
ほかのnoteにくわしいやり方も載っているのでぜひのぞきに行ってもらえると喜んでくれる、かもしれない。きしもとさんが。
興味のあること300個って多い…と思ったのはやり始めてから。
300個も出すとなったら今現状興味のあることだけでなく、過去のことも引っ張ってきて、以前興味があったことや昔やって楽しかったことを思い出す必要があった。
そうして自己分析を進めていくと、今まで叶えたいと思ってきた夢はすべて「環境で苦しむ人を減らす」ことに繋がっていると気づき、今後の夢を見つけることができた。
また、農学部を選んだ理由・沖縄に来た理由も考え直すことができ、勉強に対するモチベーションをあげることができた。
このあたりの詳しい内容は、私の過去のnoteを見てもらえると嬉しい。
それから、学生団体で活動する意味も見えた。
そもそも沖縄を選んだ理由が「沖縄がすき」だからで、すきなもののためになにかしたいと思うのって普通じゃない?ってところにいきついた。めちゃくちゃ単純だ。
自己分析の答えが出る前から、ずっと思っていたことがあった。
「『私と言えば』の続きがほしい」
冒頭でも言ったが、私の周りには活動的な人がたくさんいて、「誰々といえば」の続きを持っている人がたくさんいる。
そして、そういう人は自分の意思や自分なりの目標を持ち、それを語ることができていてかっこいい。
私もあんな風になりたい。
ああなれば、きっと周りから「面白いことやるで」って誘ってもらえるだろうし、自分ができることが明確だから、きっと団体やコミュニティにも貢献しやすい。
自分のコンテンツがあれば申し分ないのだが、残念ながらそんな実績はない。
だからせめて、自分が組織に貢献できるポイントはどこか、自分の強みみたいなものが欲しいと思っていた。
2月に入ったころだったか、きしもとさんは「対面で自己分析を手伝います」という発信をしていた。
それを見た瞬間、私は「会いに行きたい」と思った。
2月末に大阪の実家に帰省する予定があったから、そのタイミングで会うこともできる。
ただ、私の中ではかなりの葛藤があった。
会いたいと最初に思い始めたときは、自分がしたいことや沖縄に来た理由が全く何もわかっていない状態だった。
だが直観で、自分一人の力でそこまではたどり着ける気はしていた。
わざわざ忙しい社会人の方を捕まえて、自分一人でできるものを一緒にやってもらうのはかなり気が引けた。
だから「自分で夢が見つけられたら、自分の強みを探すのを手伝ってもらうために会おう」と決めた。
それから私は自分と向き合う時間を取り、自分のやりたいことをなんとか言葉にできるくらいまで考えた。
なんとか言葉にできたときには、実家に帰る一週間前になっていた。
そこでまた新たな葛藤が生まれる。
「こんなギリギリのタイミングで誘ってもいいのか!?」
しかも空いている日が2/26か3/2、どちらも平日だった。
でもこれ以上遅くなってから連絡する方が失礼だと考えた私はめちゃくちゃ悩みながらDMを送った。
「今週末から大阪に帰省します。
自分の強みがわからず悩んでおり、もしきしもとさんとお話できたらヒントがもらえる気がして、お会いしてみたいと思いました」
DMの内容を要約するとこんな感じだった。
久しぶりに送ったDMを読み返してみたがひどかった。
まわりくどすぎて内容伝わらない。
よくあれで「いいですよ」と言ってもらえたものだ。
しかも「今週末に」というのがまたひどい。
DMを送ったのが2/20だ。お会いしたのは忘れもしない2/26。
つくづくこの出会いは奇跡だと感じる。
私が待ち合わせのスタバを間違えるというハプニングがありながらも、当日きしもとさんとお会いすることができた。
「大学1年生の私でよかったのか」
と尋ねると、
「ツイートを見てDMに会いたいって反応をくれる人って意外と少ないから、うれしかったよ」
と言ってくださった。優しすぎる。
そしてきしもとさんと話を進めていき、一緒に中高生時代などの過去を振り返っていった。
きしもとさんは一貫して「強みと弱みは表裏一体だよ」という話をしてくださった。
たしかに、その時上がってきた「私の強み候補」たちの中には、私がずっと「これって自分の欠点なんじゃないか」と思っていたものも多かった。
そしてその「強みと弱みは表裏一体」という考え方は、最近で言えばバイトの面接で自分のことを話すときに役立ったし、もっと言えば自己肯定感を上げるのにも大いに役立っている。
そうして私の強みっぽいものをいくつか挙げていったところで、きしもとさんはふとメモしていたペンを止め、顔をあげてこう言った。
「今思ったけど、まだ1年生の子に『これが君の強みだよ』って押しつけちゃうのはもったいない気がする。
今『これが強み』って断定しちゃわないで、いろいろ挑戦していく中で可能性をもっと伸ばしていくべきじゃないかな」
それを言われた時の気持ちは、いまだに言葉にできないくらい複雑だった。
先に誤解のないように言っておくが、きしもとさんのことを悪く思った気持ちは1ミリもない。
だが「自分なりにかなり悩んで強みが欲しいと考えていたのにわからないままがいいってどういうことだろう」という不安な気持ちと、
その日話した中にたくさん私の可能性が転がっていて「確かにその中で選ぶ作業って今は必要ないのかもしれない」と思う気持ちが混ざり合っていた。
会ってから
私は沖縄に帰ってきてからも複雑な心境で過ごしていた。
それはきしもとさんが言ってくださった「もったいない」の意味が分からなかったからだと思う。
だから私はやっぱり「さむといえば」の続きが欲しくて、約束したブログやきしもとさんに会う前から始めていたITの勉強を進めていた。
3月中旬にインターンが始まったあたりからは、忙しくなって「自分が何者か」を考える時間が少なくなったようにも感じる。
インターン、それが終わったころに前述した2つめの学生団体・RISE OKINAWAを再編成し、より活発に活動する運びになった。
コロナの影響で、団体の活動はオンラインが多くなり、活動が難しい場面もあった。
しかしその分、別のオンライン活動も増え、Twitterで「オンラインで話してみませんか?」というDMを2件頂き(ありがとうございます)、朝読会などのオンラインコミュニティにも参加させていただいた。
これも自己分析の中でわかったことだが、私は割とフットワークが軽い方で、そんなフットワークの軽い自分が好きだった。
何かに誘われたときは基本的に「日程が空いているか」だけで判断するし、そうできる身軽さを持っていたかった。
だから、そうやっていろんなコミュニティに顔を出したり人脈を増やしていく中で「自分が何者か縛ってしまったら、私がコミュニティに求める基準もそこになってしまうのでは?」という疑問、そして「だったら私は何者にもなりたくない」という気持ちが芽生えた。
きっとこれが、きしもとさんがおっしゃってた事なんだろうと2か月たってやっとわかった。
自分ができること、貢献できる範囲を自分の中で決めてしまったら、成長の度合いが小さくなる気がした。
ただそんな中でもやっぱり「何者かになりたい」という気持ちはあって、特にたくさんのコミュニティと関わっているからこそ「かっこいい」「熱い」と思える人にたくさん出会えて「私もそうなりたい」と思ってしまう。
だからTwitterで「沖縄一熱い女」なんて名乗ってみたりする。
ただ、それも全然悪くないのかもしれない。
「何者かになりたい」
「私といえばの続きが欲しい」
どうしてもそう思ってしまう私へ
今はあなたの可能性を広げている最中だから、今あるものの中から必死で探し出そうとなんてしなくていい。
ただ「こうなりたい」というものがあるなら、あるいは「何者かになるためにこれにチャレンジしよう」と思うものがあるなら、それはそれでいい。
何者かになりたいという気持ちは現状に満足するためじゃなく、向上のために使っていこう。
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