51.大阪出身大学生が首里城にかけた想い
もう、何度も書いた話になる。
「なんで大阪出身なのに首里城火災に関わってるの」
心無い人から言われた言葉。でもこれがなければ、私はここまで走れなかったかもしれない。
■始めたきっかけと関わっている理由
2019年10月31日午前2時40分頃。
首里城は燃えた。
最初はフェイクニュースだと思った。
でも、大々的に流れるニュースと、動画と、みんなからのLINEで、事実なんだと知った。
正直ショックだったし、無くなるものだなんて想像したこともなかった。
最初に感じたのは、喪失感だった。
首里城関連の学生団体に関わらせていただいたのは、ちょうどその時お世話になっていた先輩からお誘いが来たからだ。
「首里城のために何かしようと思ってるんだけど、一緒にやってくれる人いますか?」
そのLINEに反応し、そのまま流れで団体に加入した。
現在所属しているRISE!OKINAWAとは別団体だが、その団体に所属したことがきっかけで、RISE!OKINAWAの元代表 照屋と知り合うことができた。
冒頭の言葉をかけられたのは、11月。
「沖縄県民じゃないくせに『沖縄のために』って偉そうじゃない?」と言われた。
その時初めて、自分がなぜこの活動をしているのか立ち返った。
何度も「なぜ」を問いかけ、すごく単純な結末に行きつく。
「自分が好きだと思って選んだ沖縄だから、
沖縄や沖縄の人のために行動したい。」
生まれた場所ではなく、選んだ場所だからこその愛。
その愛を、首里城を通して注いでいきたいと感じた。
だから、私は大阪出身でありながら、沖縄の人をターゲットにして、首里城や沖縄に関する発信や活動を続けている。
■私にとっての首里城、関わっていく中で知っていった首里城の像
始めたきっかけや、県外出身としてかかわっている理由は上述したが、首里城に関わり続けた理由はまだある。
1つは、私自身、よく首里城に行っていたから。
焼失後も合わせると、7,8回は言っているのではないだろうか。
那覇にある観光地なので、アクセスがいいのが頻繁に通っている要因かもしれない。
よく行っていた場所だったし、西のアザナからの眺めや鎖の間で出されるお菓子も好きだった。
だから、首里城に対しては、愛着があった。
活動してわかったが、沖縄の学生は意外と首里城に行ったことがない。これは、県内・県外出身を問わずだ。
だから、人より愛着が強い自信はある。
もう1つの理由は、「活動を通して知った意外な首里城の顔」がたくさんあったことだ。
私にとっての首里城は、観光地であり、眺めを楽しんだり、沖縄の文化を感じる場所だった。
だが、沖縄の人の中には、もっと違う視点を持った人もいる。
例えば、首里城から一番近い首里高校の学生にとっては、首里城や首里城公園はデートスポットであったり、放課後の遊び場だったりする。
首里に住む人からすれば、首里の誇りであり、オジーやオバーには「戦争からの復興の証」と言う人もいる。
そんな首里城への意外な視点を知るたび、首里城はただの建物ではなく、いろんな人の想いが集まった場所なんだと知った。
■「あたりまえなんてない」
首里城火災を通して、たくさんの沖縄県民が「あたりまえなんてない」ことを痛感したのではないかと思う。
「いつも青春のそばにあった場所なのに」
「『いつか』行こうと思っていたのに」…
人によって抱える感想は異なるが、皆「いつでもあると思っていた」からこそのコメントではないかと思う。
「親孝行したいときに親はなし」ともいうように、あたりまえにいつでもあると思って「いつかは」なんて思っていると、失ってしまう。
だが、永久的なものはないとわかっていながら、それを意識することは難しいとも感じる。
いつも思い続けるのはどうしても難しいことだから、この10月31日、「あたりまえなんてない」と知った日にはせめて、身の回りにある「あたりまえ」を想像してほしいと感じている。
■活動の集大成、公開しました。
「10月31日が身の回りにある『あたりまえ』に目を向けるきっかけになれば」
そんな思いから進めてきた一つのプロジェクトがある。
それが、 #私と首里城 だ。
沖縄の地方局である琉球放送の番組「Aランチ」とコラボして、身の回りの「あたりまえ」の写真を集めてきた。
それが、下の画像になる。Aランチでの告知や、インフルエンサーの方々の協力のおかげで、1,238枚ものなくなって欲しくない「あたりまえ」の写真を集めることができた。
↑Aランチ放送内で印刷した写真を貼り合わせたもの
↑Aランチ放送内に投稿していただいたものも合わせたもの
それに加え、沖縄の若者にフォーカスして一本の動画を作成した。
出演を依頼したのは、首里高校出身の大学生。
彼らにとっては、首里城は青春の1ページであり、特に近い存在であった。
そんな彼らひとりひとりにとって、首里城とはどういう場所であったのか。そして、どんな沖縄にしていきたいと感じているのか。
その想いを動画にした。
↓ #私と首里城 動画
首里城火災で、確かに失ったものはある。
だが、そこから得たものも確かにあり、得たものを学びにすることが、これからの沖縄をになる世代には大事なことではないのだろうか。
私自身も、1年という長いスパンを通して、たくさんのことを学び得た。
日本のため、沖縄のためと大それたことは言わないが、周りの人を喜ばせたり、大事なことに気づいていこうと促す力が、少しずつ世界をいい方向に変えていくのではないかと思う。
この1年の集大成を、ぜひいろんな方に見ていただきたい。
いつも読んでくださってありがとうございます。