遅くなったけど、お父さんへ。
6月21日が父の日だということをすっかり忘れてた。
というか、6月10日はのお父さんの誕生日だったのにそれはもうすっかりというか全く抜け落ちていた。
せっかく?どちらもすっかり抜け落ちていたので、ゆっくりお父さんに手紙を書きたいなぁと思います。
お父さんへ
いつもこういう手紙の書き出しは迷うね。
何から書いていいかわからないけど、せっかくの誕生日と、父の日ということなので、感謝を伝えていきたいです。
お父さんと初めて会ったのは、小学5年生のときやったっけ。
年齢は覚えてないけど、万博公園にホタルを見に行ったのは覚えてる。その前にも会ってたらごめん笑
お母さんは私が小学生になる前に離婚してて、そこからしばらくはまさに女手一つで育ててもらった。
私がいじめられた時には一緒に登校したりもしてくれて、でもどうしても解決しないから転校もさせてくれて。お母さんには感謝しきれないです。
私は、そのお母さんを救ってくれた存在が、お父さんやと思ってる。
私らがそれなりに大きくなって、物分かりがよくなったのもあるのかもしれんけど、それを差し置いても、お父さんが来てからお母さんが怒る量は少なくなったと思っています。
お父さんが来てくれたことによってお母さんがそんなにカリカリせずに毎日を過ごせるようになったのかな、と思っています。
それは、金銭的な面の話でもあり、私たちに「お父さん」という存在ができた安心感からくるものかもしれん。そこの理由はわからんけど、でもお父さんのおかげ。
今でこそ、一緒におばあちゃんちに行けるくらいまでになってるけど、昔はめちゃくちゃ隠れてたよね笑
おばあちゃんは一回離婚したお母さんのことが心配で、再婚には反対やったから。
おばあちゃんが急に家に来て、それがちょうどそれがお母さんのいない時間帯で。
靴があるのがばれて、おばあちゃんが2階に上がってこようとして必死に止めた日のこと覚えてるかな。
私がおばあちゃん止めてる間にお母さんが帰ってきて、めちゃくちゃおばあちゃんと喧嘩してたのを私は覚えてる。
それまでお母さんは、ずっと「離婚したのは私(お母さん)のせいで、あんたら(私と弟)は悪くないんよ、ごめんね」と言っていた。
でもその喧嘩の時に、実のお父さんは私らを見捨ててお母さんと離婚した、みたいな話が聞こえた。お母さんがそんな言い方をしたのはあの日が初めてやった。
その話を聞いたときは、実のお父さんのことをそこまで覚えてはいないこともあって、別にあまり傷つかなくて、むしろそういうところでお母さんは必死に私らのことを庇ってきてくれていたんだなって知れた。
私がいじめにあっていろいろ相談してた時にも、「あんたらをお父さんがいないからって、片親やからって、そういう目で見られるような人には育てたくない」という話をされたのを覚えてる。
お母さんはそうやって、ずっと一人で、お父さんがいない私たちの、お母さん役とお父さん役を一緒にやってくれていた。
金銭的にどっちもの役をするために、土日夜勤でいないこともあった。
でも私たちがつまらない思いをしないように、夜勤明けでもいろんなところに連れて行ってくれた。あの時はそれが普通やったけど、きっとしんどかったよなあと今更思う。
正月は手当てが出るからって夜勤に行って、私たちはおばあちゃんちで年越しをすることもよくあった。
それからお母さんは、私たちを育てるためにお父さん役もしてくれた。
だからたくさん私たちのことを叱ってくれた。
でもそれが今思ったらやりすぎちゃうかな、と思うようなこともあったことにはあった。
お父さんと再婚してからは、そんなことはめっきりなくなった。
お母さんが怒ることは今でもよくあるし、お母さんとしては私と弟に加えてお父さんにまで怒らなあかんくなって、怒る対象が増えた気分かもしれん。けど、前にあったヒステリックさを出すことは少なくなったように感じている。
それに、再婚前とは違って、年末年始は家族で旅行に行けるまでになった。
年末年始の旅行によく来ていた沖縄に進学することになるなんて、お父さんたちが再婚した中学生の時には思ってもみなかったけど。笑
今では看護師の仕事もやめて、ほんまに自由に好きなことをやってる。
ちゃんと風邪ひいたときは休めてるし、好きな着物も、イベントも占いも。楽しそうなお母さんがおるのはお父さんのおかげ。
私は、それを見れるのがほんまにうれしい。
お母さんが選んでくれたのが、お父さんでよかったな、と思ってる。
いや、もっと本当の話をすると、お父さんの前に1人「この人がお父さんになるかも」っていう人が実はいた。
その人が結構遊び人やって言うことがわかって別れた、とお母さんからは事後報告で聞いたけど。
弟ももともとその人のことが結構気に入っていた(って少なくともお母さんは思ってた)し、私もその人とお母さんが結婚するもんやと思ってたから、急に別れて、その次に付き合ったお父さんのことは最初はいまいち受け入れがたかった。
「またどうせ別れるんでしょ」ぐらいの感覚やったから、お父さんと結婚するかも、ってなったときも、めちゃくちゃ葛藤はあった。
お母さんがシングルやったときにできた、シングルのママ友の話はいろいろ聞いていたから、お母さんはめちゃくちゃ私らのことも考えて相手を選んでいる方やというのもわかっていたし、めちゃくちゃ恵まれているのもわかっていた。けど、それでもなんとなく受け入れがたかった。
でも最後は「お母さんが選んだ人やから」って割り切って受け入れたし、そうしてよかったと思ってる。
お父さんがお母さんと再婚してからも、お父さんはいろんな知らない世界を見せてくれた。
例えば、お母さんは車の免許持ってないから、なかなか家族だけで車に乗って旅行とかできんかったけど、させてくれたり。というか、飛行機に乗って旅行とかなかったけど、お父さんが沖縄好きなのもあって沖縄連れてきてくれたり。
お父さんおいしいもの好きやから、おいしいごはんやさん連れて行ってくれたり。
お父さんがいなかったらきっと見れなかった景色をたくさん見せてくれた。
ほんまにありがとう。
そして、実の子じゃないのに、ちゃんと想って育ててくれてありがとう。
「実の子じゃない」って言い方があんまり好きではない。
だって、きっと私がお父さんのことを違和感なくお父さんと想っているように、お父さんも私たちのことをそう想ってくれていると信じているから。
でも、それを当たり前と思っちゃいけないという気持ちもある。連れ子は自分の子どもじゃないと当たり前に割り切ってしまえる人も世の中にはいっぱいいるって知ってるから。
だからこそ、働いて一生懸命貯めたお金を私らの学費や生活費に充ててくれていることに改めて感謝しなければいけないよなと思ったので、あえてその言葉を使いました。ありがとう。
そして沖縄にいる私を、おおらかなお母さんよりも心配してくれているのではないかと思っています。
お母さんも心配してくれてはいるのは知ってるけど。お父さんがそれよりも心配性なのはなんとなく経験上わかってるつもり。笑
それでも強くは口出しせず、見守ってくれていることを本当にありがたく思います。
早く経済的に独立して、とりあえず迷惑をかけない段階に行きたいと思っているのが今の私の正直な気持ちになってる。
前お母さんのTwitterかFacebookで「孫ができたらちゃんと面倒見たいから、その時は働きたくない」と言っていると知った。
なのでそれまでにお父さんとお母さん養えるくらいの財力があるのが今のところの具体的な目標の一つでもあります。
できればそうなってほしい、という願望とか理想レベルやけどね。笑
世間一般から見たら「複雑な事情を持った家庭」っていう括りにされるのかもしれないけど、私は逆に、こういう家族だからこそ、家族でいてくれてありがとうとか、恥ずかしいけど、愛してくれてありがとうとか思えるし、お金とかご飯とか、そういったことが必ずしも当たり前ではないことに気づけて感謝できていると感じてる。
そしてその相手が、お父さんでよかったと本当に感じています。
しょっちゅう実家に帰るのに、友達とご飯に行って一緒にご飯食べへんかったり、帰省してる間はバイトできひんことを理由にお小遣いをせがみまくる私ですが、どうぞこれからもよろしくおねがいします。
仕事頑張りすぎて身体壊さないように気を付けてね。
みゆうより
追伸
もうお母さんから聞いたかもしれへんけど、今年は8月中旬から9月いっぱい大阪に帰ります。楽しみにしててね😏