ホンネシリーズ こども
こどもに対する本音を連ねるノートです。結論、こどもは素晴らしいです。
そもそもわたしは自然が好きです。こどもは人工ですが、同時に自然です。だからこどもが好きなのです。
7つまでは神のうち
この言葉をわたしは以下のように解釈しています。
7歳までのこどもは神様なので、いつ人間世界から神の世界に戻ってしまうかもしれない、儚く貴重なもの
7歳までのこどもは世俗に生きる人間とは異なる生き物、自然、宇宙そのものであること
わたしは人間社会よりは森や川などの自然環境の方が好きです。もちろん人間社会、自然環境それぞれ良いところと悪いところがあります。ですが、どちらかというと自然の方が美しいと思いますし、好きです。
そのため、自然そのものであるこどもが好きなのです。
少なくとも7歳までのこどもは人の形をした(神道的な自然の)神様であり、イデアを体現しているとも言えます。ファンタジーがこの世に実現してくれているのです。
雨や地震にイライラしたり、雪や晴れを怒る人はいるでしょうか。こどもにネガティブな思いを抱くことはナンセンスなのです。
こどもの目を通した世界
こどもは遊びに貪欲です。わたしも遊ぶのが好きなので、こどもと一緒にいると遊び、いたずら、自由を感じられて楽しいです。
物を手放すと落ちること
暑い日に水に濡れると冷たくて気持ちよいこと
お腹が空くこと
普通の世界がこんなにも驚きや未知に溢れていることを教えてくれるこどもは素晴らしいです。
人間社会を客観的に見せてくれるところも好きです。こどもは人間社会の経験が少なく学ぼうとしています。また、こどもは自然そのものなので、こどもの目を通して見た人間社会について気付きを与えてくれるところも楽しいです。
たとえば、普段何気なく歩いている駅の構内で、ポケモンのポスターを指差すこども。こんなところにポケモンがいたことに気付かせてくれました。ともだちを叩くと泣くこと、お互い嫌な思いをすること。困っている人がいたら助けると感謝されること。ある一面からみると世界がとても単純であることに気付かせてくれます。
過去のわたし
こども時代、近くに同年代の男子がおらずわたしは十分に遊べませんでした。また、一人いた仲良かった友だちは、母親同士の喧嘩に巻き込まれてこども同士で遊べなくなってしまいました。とても悲しかったことを覚えています。
思春期も思うように友人ができず青春謳歌したとは言えない感じでした。恥ずかしさや、プライド、真面目さ、性、怒り、孤独感、喜び、嵐のような感情に揉まれていた時期でした。
こうやって、ある意味報われなかった私の中のリトルこどもが他のこどもを讃えて応援させているのかもしれません。
こどもを十分に遊ばせ、素晴らしいこども時代を満喫させてあげることで、わたし自身のリトルこどもを満足させてあげようとしているのかもしれません。しかし、リトルこどもは過去から成立しているので基本的には満足しません。過去の捉え方を変えたらもしかしたら…
ぶっちゃけ子どもが好きな自分も好きなので別にリトルこどもはいつまでも心の中にいてくれて構いません。ただ、そのリトルこどもがもし暴れん坊だったら大変ですね。過去の清算、過去の変更というのはとてつもなく難しいですね。だからこそ、変わろうと努力している人は素晴らしいと思います。
ということでわたしはいま過去の自分を救うため、いまのこどもを保護しているという流れです。もちろん過干渉になってはいけませんね。
結論。こどもは素晴らしい、貴重な宝物です。
参考
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