お彼岸に思うこと ♯呑みながら書きました
昨夕父の墓参りを兼ねて母の様子伺いに実家へ行ってきました。母が乳癌の全摘手術を受け、退院したのが一月前。電話とメール等のやりとりだけでずっと会っていませんでした。退院してからの母は私よりずっと忙しそうで、時間が出来るとすぐに遠方へも出かけていたので。
金曜日、私と早上がりして出向いた家人が実家に到着すると、華やかにコーディネイトされたダイニングで数々のお料理が待っていました。
…かないませんね、幾つになっても。
手術前よりもパワーアップしている気がしたのは私の気のせいでしょうか。何にせよ、元気なのはありがたいです。
先程帰宅して雨音を聞きながら。敬愛するmakiさんの記事を目にしました。
私なんかの記事を読むより百倍以上ためになるので、そのまま読まれた方が良いと思いますが↑
お姉様がバンクーバーアイランドで結婚式を挙げられたのが25年前、なるほど。25年前は私は台北に居て、バンクーバーに居たのは27年程前でニアミスかな、なんて無邪気に思って読んでいましたが、まさかのエンディングで。
以下、makiさんの書いていらっしゃる記事の引用です。
よく言われることだが、幸せは点だと。長く続く線ではなく、全体を覆う面でもない。真っ暗な夜空でひとつひとつ独立して輝く星のようなもの、それが幸せなのだという。
想像もできないような不幸が待ち受けていたとしても、姉は確かにあの瞬間、間違いなく幸せの絶頂だっただろう。それからの人生だって、幸せの点がどこかに散りばめられていたことと思う。
それは自分も、誰でも、同じで、おおむね満足していても、どこかに不満があり、不安があり、焦りがある。幸せの分量が多い時期が長く続くとは限らない。
逆にとてつもない不幸せに見舞われたとしても、あの時のあのひとのひと言に救われた、というような幸せの瞬間が点で存在するのではないか。
私が漠然と思っていても言い表せない事をきちんと美しく文章に表現されていて、嬉しいような悲しいような気持ちになりました。
どんなに幸せに見える人にも隠された不幸があったりするように、どんなに不幸に見える人にもこの上なく幸せな瞬間があるはず、だと思いたいのは私のエゴでしょうか。
本日父と義父の墓参りと渋滞で疲れ、帰宅後の赤ワイン作用で上手く言い表せなく、もどかしいです。まぁシラフでも上手く書けないのですが。
みんながしあわせでありますように。
誤字脱字乱文、お許しくださいね。