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幸福への不可能な接近(島田啓介)

 こうして締め切り過ぎても書きあぐんでいるのは、幸福というテーマのせいだ、ということにして重い指を持ち上げるようにして書き始めている。「幸福」、ぼくがもっとも使わない単語のひとつだ。そもそも幸福について考えたことがあまりない。考えなくてもすんでいる自分は幸福なのかもしれない。
「幸福とは?」と考えない自分が幸福なのは、胃痛がないときに胃のことを考えないようなものかもしれない。幸福というものに胃のような実態はあるのだろうか? あえて問題にするまでもないことなのだろうか? 幸福について考える人はどんな人で、どんなときに考えるのだろうか? それは胃病もちのような人なのか?
 さまざまな問いが浮かぶ。問いの中を漂っているような感覚の中で、ひとつ、ふたつと拾った言葉を並べてみよう。幸福は、幸福以外の言葉を並べた輪郭によって縁取られ、浮かび上がってくるものかもしれない。
 幸福は数ある概念のひとつだ。だからそれに<ついて>書くときには、言葉で輪郭をなぞることしかできない。「幸福への不可能な接近」として。それでもあえて書く。普通自分がしないようなことを頼まれたとき、自分がどう反応するのか興味があるから。

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