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私の知っているビルゲイツ、その2

ビルゲイツくん、セキュリティ・ガードの人に叱られるの巻

昔NHKのドキュメンタリーや番組制作に、TVディレクターの魂を感じることが出来た時代に「電子立国」と「新・電子立国」という番組があったのを覚えていますか? その昔、相田 洋さんという数々の賞を受賞している敏腕プロデューサーと 大墻 敦さんという、当時はまだ若い(現在は、シルクロードなども手がけているけれど)プロデューサーのペアで、マイクロソフトを取上げて頂いて「ソフトウェア帝国の誕生」という素晴らしい映像作品を1996年にプロデュースして頂きました。事前取材として、マイコンと呼ばれるものの背景からパソコンへの道筋、それが何処でどう販売されていて、どのように組み立て、どう動くのか、それこそ1分の映像を仕上げるために数時間事前取材、モノの入手、無いものは当時と同じモノを作る、などなどそれは大変な時間と労力をかけて番組は作られていました。私も延べ時間にして40時間以上、3目並べのプログラミングから、当時のALTAIR8800とIMSAI8080の構造、紙テープとテレタイプの操作方法から、マイクロソフト創業時の逸話(といっても、私が知っているのは1978年以降のアルバカーキからシアトルに移転して以降のことですが)を事前取材の中でお話ししました。

MS-DOSが産まれる前夜に8ビット時代の標準OSとして存在していたCP/Mのデジタル・リサーチや、 MS-DOSの原本を開発したSCP-DOSのシアトル・コンピュータ・プロダクツにもそれぞれ取材をされ史実としてMS-DOSがどのような経過でIBMに採用されたかなど、大変興味深いドキュメンタリーに仕上がりました。特にデジタル・リサーチの社長キルドール氏が亡くなる直前の恐らく生前最後の取材であったと思われる取材内容はとても歴史的にも価値のあるものに思われました。

ビルゲイツの通った小学校の先生、ハイスクールの頃当時毎日訪問していたワシントン大学近くのコンピュータ・センターの技師の方、アルバカーキ時代から勤めた秘書でビッグママと呼ばれたミリアム・リューボウさん、上場の立役者であった社長のジョン・シャーリー、創業者としてのパートナー:ポールアレン氏などにインタビューを敢行しビルゲイツの素顔が沢山浮き彫りにされていたものです。

ビルゲイツにももちろん直接インタビューをしたのですが、その当時コニー・チャンさんというアジア女性で初めて米国のメジャーTVチャンネルの、メイン・アンカーウーマン(いわゆる女性キャスターですね)になった彼女との取材で、惨憺たる結果となり..(この背景は、そのうち書きます)TVの取材はなるべく受けない、事前に質問を用意してもらってそれに答える、という手法しか受け付けないとアメリカのマイクロソフト本社広報からキツイお達しが出ていました。当時、日本サイドから私とシアトルに勤務する「XXXX」嬢という日本人の広報PR担当者と一緒に何とかビルゲイツの時間を確保しようと奔走したのでした。

一度目は日本でインタビューを実施したので、時間の配分もビルゲイツのご機嫌もバッチリで、自然なビルゲイツの横顔が撮れたのですが、どうしても2回目の予約が米国で入りません。しょうがないので、ビルゲイツの出張中を狙おうとラスベガスのコンベンションに出かけたビルの時間を頂戴し、2回目のインタビューを実施…どうも部屋でインタビューだけというのは堅苦しいので、日常生活のシーンを撮りたいできれば彼の自宅でということになったのですが、ビル君はプライバシー特に自宅や家族を取材されるのを嫌う(これは好き嫌いの問題ではなく、誘拐や暗殺未遂など本当にあったそうで本当に神経質になっていたのは事実です)ので、自宅取材はダメということになりました。ならば、カジュアルにお昼ご飯でも食べているところという話もあったのだけど、私はビル君の”口からハンバーガー飛び出し事件”を思い出してしまってお勧めできなかったのです。

そこで考えたのが、ビルゲイツ君シアトルでは毎日の通勤に黒塗りのストレッチ・リムジンなど使うわけではなく、自分で自分の車を運転しているという姿は本当のことだし、自然な日常の姿で良いよね!!ということになったのです。昔から、マイクロソフト本社では身障者用の専用駐車場というのはあっても役員専用の駐車場というのは無かったのだけど、いつもギリギリに自分の車をぶっ飛ばしてくるビルゲイツ君、最後に自分の会社で駐車場がみつからずにイライラして遠くにようやくスペースが見つかってそこから自分のオフィスまで猛ダッシュをしているのをたびたび見かけていました。

さすがに、毎朝のダッシュは辛いだろうということで、コッソリ身障者用の駐車スペースの横にお客様用スペースと、もうひとつ余分にビルゲイツ専用の駐車スペースを確保していました。セキュリティの観点からそこにビルゲイツ専用であるとは何も書いてはありませんでした。私の狙い目は、米国広報を通して取材を依頼すると一つのメディアに一年3回も取材を受け付けられないとハネられるは判っていたので、相田さんとカメラクルーに、この駐車スペースで知らん顔してカメラを担いで待っていてください。ビルが運転したきたら、私が「ビル、おはよう」「前回取材したNHKのクルーだけど、おはよう!! って一言メッセージもらえるかな」とビルに説明しますからと、ゲリラ取材を敢行…ほとんどワイドショウの突撃取材か電波少年のノリで私も楽しんでいました

ビルゲイツ、キタキタキタァーッ(その頃はこんな言葉は無かったですが、まぁ気分は今の電車男ね)今日もいつものように日本メーカーのT社の「レXXス」を運転してきました。(もう何台同じ車に乗り換えているのだろう、でも毎回ちょっと変わった色なんだな、濃紺とか茶色とか、私と色の趣味は違うなぁ)

車が駐車場に入ってくるところからビルゲイツの姿がバッチリ映っていて最高の映像が撮れた感じ、良い良い、そのまま突撃インタビュー行きましょう!、「ビル、おはよう」、ビル君もご機嫌よろしく取材に答えています。

廻りを見渡すと、遠くの方からセキュリティ・ガードが走ってくるではないですか…まずい、敷地内でカメラを廻すには事前に許可がいるのに突撃取材なんでルール破りでやってしまった、後で報告されて本社広報からこっぴどく怒られるかな、参ったと思っていたところ…何と…

セキュリティ・ガードのおじさんは、ビルゲイツに向ってキツクお達しを言うではないですか..「君、君、ここはビルゲイツの専用駐車スペースなんだよ、ダメじゃないか此処に駐車しちゃ」ビルゲイツは、その間もNHKのカメラが廻っているのを見ているので、とても落ち着いた風に「あぁ、僕がそのビルゲイツなんだけど!」と顔を車から乗り出して、セキュリテイのおじさんは凍り付いていました。

その後も、セキュリティのおじさんはクビにならずに笑い話で済まされたのだろうけれど..

最後のオチは、NHK新・電子立国の最終修正編集したカットには、自分で車を運転するシーン、そして.「君、君、ここはビルゲイツの専用駐車スペースなんだよ、ダメじゃないか此処に駐車しちゃ」「あぁ、僕がそのビルゲイツなんだけど!」ノーカットで放映されちゃいました。まぁ、いいか..

では、ふるかわでした


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