
『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』 欅坂46=平手友梨奈の功罪
2020/9/8 TOHOシネマズ上野
欅坂46のライブを、過去に一度だけ生で観たことがある。
確か大学2年生ぐらいの時、弟と一緒にテレビ番組『ZIP』のライブイベントで観た。『サイレントマジョリティー』がまだ世に出る前の、いわばプレスライブ的な感じだ。まだ初々しい歌声とパフォーマンスを微笑ましく鑑賞していたが、一人、異彩を放っているというか、どうしても目で追ってしまう少女がいた。平手友梨奈。「彼女がこのグループのエースか」。アイドルに詳しくない僕でもそのぐらいのことはすぐに分かった。失礼な言い方になるかもしれないが、他の少女たちとは明らかに「存在感」が別格だった。「これは将来大物になるな」と思った。そして実際大物になった。
今作は『ガラスを割れ!』のライブ映像から始まる。平手がメンバーの輪から外れ、インカムが外れているのも気にせず激しくパフォーマンスを繰り広げ、曲が終わると同時に観客席にぶっ倒れる。明らかな事故だが、残されたメンバーたちは平然を装いつつ「欅坂46です!」と自己紹介を始める。
こういうグループなのだ。欅坂46=平手友梨奈。僕だけでなく他の方々もそう思っている人が多いと思う。実際そういうグループだった。それが為に壊れてしまった。「平手友梨奈」という天才を抱えきれなくなってしまったのだ。
今作を観る限り、平手が「表現者」として覚醒するきっかけになったのは『不協和音』からだったと思う。周りと同じであることを強く拒む、孤独だが力強いメッセージを含む曲だ。平手はこの曲のイメージするところを一身に背負ってみせた。ライブで叫ぶ「僕は嫌だ!」は彼女でないと表現することの出来ない種類のものだ。彼女の不在後、キャプテンの菅井友香がライブでこのセリフを代弁するようになる。彼女の叫びも心を揺さぶるものがあったが、平手のそれには届かない。
平手はよく不在になる。「気分が乗らない」「この曲では自分はパフォーマンス出来ない」。しかしそれは決して彼女が我儘だからではない。彼女が誰よりも「表現すること」に対して真剣に向き合っているからだ。そしてそのことをスタッフもメンバーもよく理解している。デビュー当初からずっと平手に振り回されてきたはずなのに、今作の登場人物で平手を責める人は一人も出てこなかった。グループとしての信頼関係が築かれている証拠だと思った。と同時に全員が「欅坂46=平手友梨奈」の構図に納得しているからだと思った。
今作ではメンバーにインタビューを行っているが、平手は出てこない。取材を断ったそうだ。しかしインタビューを受けるみんながみんな平手の話ばかりする。この映画の主役は明らかに平手だった。
しかし、この映画の作りがどうもそこに集中しきれていない。欅坂のこれまでの活動を概観するような作りになっており、意味のないショットや演出なんかが途中に挟まり、「私たち、グループ名は変わるけど引き続き応援してね!」と、経営陣の思惑が透けて見える、焦点のボケた映画になってしまっているのがとにかく残念でしかたなかった。
『ゴドーを待ちわびて』『桐島、部活やめるってよ』のような、空白の平手についてメンバーが語り、回想する作りに焦点を絞れば、かなりの傑作になったんじゃないか。
しかし、観る価値は絶対にある。意図的でないにも関わらず浮かび上がる強烈な「欅坂46=平手友梨奈」の構図、圧巻のライブパフォーマンス、他のメンバーのそれぞれの成長。「経営論」や「組織論」的な観点から見ても面白いと思う。欅坂のこと良く知らない人も是非。