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25年目の話


もうクリスマスも終わってしまって、あとは年越しを待つ雰囲気が漂ってきましたね。

ちょっと前まで冬の気配なんか無くて本当に12月?とかぼやいていたのに。めっきり寒くなっちゃって。

私が枕草子なら冬の項目には湯たんぽが最高だって絶対に書くんだって決めています。
寝る前の微睡みの幸福度たるや。
みんな湯たんぽを買え。健やかに眠れ。


今年1年、かなり価値観が落ち着きを見せ始めたのでちゃんと書いておきたいなと思った次第です。

まず、今年1年間(と言うよりもずっとだけれど)考え続けていた忘れられないアイツのことに終止符を打てそうな件について話させて?

今年、noteに忘れられない男の話をつらつらと書いたんだけれどアレがすごく効果を発揮した気がしていて。

やっぱり言わない気持ちという代物は消化するのに随分時間がかかるみたいで、悩んで言語化してみたら誰かの目に止まって受け止めてもらえたような気がしたというそのプロセスが良かったみたい。

あんなに長かったのに、ちっとも面白くなかったのに、読んでくれていいね押してくれて本当にありがとう。お陰様ですごく救われたような気持ちになりました。

心境の変化と言うよりは受け入れられてきた、と言った方が近いかもしれない。

実際、あの人以外に好きな人なんて全然いらないし、車が通りすがっても煙草を吸っても思い出すのは相変わらずだし、あの人の事が大好きだった自分はとっても大事だし、あの時の痛かった“きゅん”は今でも痛いし。きゅんとするって暴力だった。勝手に痛がってるだけなんだけど。

他人から「恋愛経験が浅い」と言われようが「勿体ない」と言われようがもうどうでも良くて、ただあの人に恋していた、もとい、恋している自分で別にいいや。と心の底から思えるようになってきています。

好きな気持ちを押し殺すのって自分への信頼もなくすみたいだから。
だからね、もう好きでいいの。

好きでいるのを諦めてみたり、諦めるのを諦めてみたり、何年も何年も頭でぐるぐる考えてたけど、ようやく好きの気持ちを自分で肯定できるようになったようです。好きな気持ちを自覚してはいたけれど肯定はずっとできていなかったから。
好きな気持ちを相手から認めて貰えなくてしんどかったから、距離を置いた今やっとあの人の気持ち関係なく自分の気持ちと向き合えている気がします。

距離を置いたのも後悔してるけど、距離を置いたから自己中に自分の気持ちに整理をつけられている、とも言えるし。人生ってムズいね。不幸中の幸い?人間万事塞翁が馬?

すっごく好きだったけど好きだから故にすごく傷ついたし、きっと分かってて傷付けられてたし、あの人のせいで本当に恋愛上手くいかないけど、私がした仕打ちも相当酷いからお互い様って事にさせてよね。すごく私に都合がいいけれど、都合が良いように使ってたんだから許しな?
私の事はもういなくなった過去の人としてすっかり忘れているだろうけど、その調子で忘れたままでいてくれ。

note書いて思い出していた時とかに血迷って会いに行かなくて良かった。本当に良かった。
どの面下げて会いに行くんだよ、って冷静な自分は正しかった。と思う。
たぶん、あの人と私の人生はこの先交わらない。交点はあの数年間だけで良かったんだと思う。

1人の人間を盲目的に好きになった恋愛の経験を忘れないで生きていくのは悪くない、と思えた事が今年の物凄く大きな収穫でした。





それとは別に。

社会人になる前、自分自身について考えないといけない機会がたくさんあって自分の事がなーんにもわかんなくなっちゃったことがありました。

今年はその頃の自分が救われたような、そんな年でした。

ここ数年、自分の好きという気持ちをできるだけ素直に受け取るように心がけていたんですが、やっと自分のリズムが分かってきたような気がして。好きだと感じる物の大枠が分かってきたり、心地いいペースが分かってきたり。

幼少期から興味のあった物や事は今でもやっぱり好きで、それらが分かったことが今年の収穫だったな、と思う。

よく私は心に3歳ちゃんを飼っている、と言うけれど、窘めてばっかりだった3歳ちゃんとちゃんとお話をするようになったみたいなそんな感覚。

心の中の3歳ちゃんは、好きな物、快い物だけを集めて日々生きていて絶賛イヤイヤ期で、やりたいこととやりたくないことがハッキリしているんだけど、25歳の私はそんなこと言ってられなくて。嫌なことも不快なこともやらなきゃいけないし、我慢しなくちゃいけない。

今までは3歳ちゃんを窘めて、我慢させておしまい。日々の忙しさに忘れ去っていたけれど、今年は休みの日には3歳ちゃんがやりたがっていたことをぜーーんぶ叶えてあげたいなと思って今までよりも随分丁寧に暮らしの基盤を整えた年でした。(休日も活動しようと思ったら中々体力が必要なので、、)

3歳ちゃんのやりたいことは私の心の底からやりたいこととイコールで、心の底から好きな物事と向き合う時間が出来た気がします。そのお陰でストレスも受け流せる耐性がついてきた気がする。メンタルも強くなったもんだ。

それに、暮らしの基盤をできる範囲で整えたら薄々知ってはいたけれど暮らすこと自体そんなに嫌いじゃない事にも気づいたし、なんだかんだこうやってちゃんと自分を気にかけて生活する事が大事って気づけたのが良かった。

ずっと漠然と幸せになりたいと思っていたし、それと同時に幸せってなんなんだよ。と思っていたけれど、幸せってたぶん、暮らしの中にどれだけ自分の好きと快いを詰め込むかだと思うな。なんとなく25歳のわたし的結論はここに落ち着いた。

手っ取り早く毎日幸せに生きるために、自分の好きを見つめて好きの輪郭がはっきり見えるようにしていきたいな。
25歳の私と3歳ちゃんの共同生活はこれからも続いていくので。

わたし的に25歳、2023年はいい年でした。
上手くいかないこともそれなりにたくさんあったしたくさん悔しい涙は流したけれど、結果的に自分の事をよく知れた1年になりました。
自分の人生の責任を取れるように、自分を最大限幸せに出来るのは自分だという自負を持てるように来年も生きていこうと思います。


皆さん今年も1年お世話になりました。
来年も、どうぞ宜しくお願いします。

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