境界線の話
自分と人の間には、境界線が2つあるらしい。
これを知った時、私の目からはぽろぽろ鱗が落ちました。これを知ってたら、落ち込まずに済んだ出来事がいくつかある気がする。
今日は自分と他人の境界線の話です。
自他境界という単語を知ったのはここ数年の事で、メンタルが終わってた時期が過ぎ去ってからの事です。
境界線が2つある。と冒頭で書きましたが、この境界線、私はずっと1つだと思い込んで生きてきました。仲が良ければ良いほど、です。
自他境界をふんわり説明すると自分と他人の境界線のこと。自分と他人は別の人間である。という根拠になる部分?と言えばいいかなぁ。(気になる人は調べてみてくださいまし。ざっくり説明だからね!)
境界線が2つあるというのは自分側の境界線が1つと他人側の境界線が1つ。合計で2つです。
ここまでは自分という輪郭。ここからは他人という輪郭。みたいな。伝わってるかな。
親しくない人とはこの境界線が割とハッキリしてるんだけど厄介なのは親しい人達。
親しいが故に、境界線が曖昧になりがちです。
そして曖昧になればなるほど、病みがち。(私調べ)
親しい人から提示された意見に対して嫌だと思っていても承諾したり、親しい人が仲良いからって嫌いな人のこと好きなフリしたり。だって嫌われるの嫌だし。
自他境界が曖昧ってコレのことだった。
親しい人だけど自分では無いから意見が食い違うことなんて普通にある事です。文字にすると当たり前に感じるけど、それが過去の私は理解できていなかった。
親しい人と意見が同じでないといけないと思ってました。同じにならない私は変なんだ、って。
自他境界が曖昧で意見が食い違うのが怖いからする同意と、相手の意見を尊重しているからする同意は全く違うことも知りました。
「尊重する」というのは"相手の事が大切だから、相手の意見ごと大切にする"という意味であって、嫌われたくないからとか違う意見を出すことの恐怖とは全もって次元の違う話だった。
嫌われるのが嫌だ、と自分のことばっかり考えてたはずなのに自分の気持ちがすっからかんで中身のない人間だったな。
自他境界の概念を知ってから自分の意見ってなんだろう、私の気持ちってどこにあるんだろう。って頭使うようになったな。
自分の意見や自分の頭で考えてること、それをずっと無視し続けてるとわかんなくなっちゃうんだよな。空っぽになっちゃう。
私って本当に面白くない人間だな、って痛感した瞬間でもありました。だって自分の頭使って考えずに他人の意見に乗っかってるだけだったから。
面白い中身のある人間になれているかどうかは今もわかんないし、まだまだ精進するべきだとは思うけど少なくとも空っぽYESマンだった頃よりかはマシになってんじゃないのかな。
こんな事を言っていても未だに曖昧になることはあるけれど。
それでもこの概念を知らなかった頃よりは随分と生きやすい。
こうやって裸足で歩いてた所に靴をみつけて履くみたいに、歩きやすい方法とか歩きやすい道とかを探して生きていきたい。しんどいのは嫌だからね。
おわり。