推し理論


昔、好きな人から「お前の言う『推し』と『恋愛的に好きな人』はどう違うんだ」 と問われた事があります。

当時の私はしっかりオタクで、見ていたアニメの一番好きなキャラや、好きなアイドルグループの贔屓さんを「推し」と呼んでいました。

「お前の言う推しがお前の事を好いていると言ったら?付き合って欲しいと言ってきたら、お前はそれをどうするのか?」
「『恋愛的に好き』と『推しとして好き』に差異はあるのか?」

当時の私には答えられませんでした。
無意識的に『推し』と『恋愛的に好きな人』は別として扱っていたのでなんとなく違うことはわかるけれど、具体的な説明はできませんでした。
その答えを出したくて、ずっと考え続けています。

あれから数年経って、少しあの頃を俯瞰してみれるようになりました。
あの頃よりは分かることが増えたので、今腑に落ちている考え方を残しておこうと思った次第です。




前提ですが、これは私の推し理論なので万人に当てはまる訳ではありません。学術的にも根拠はありません。とだけ明記しておきます。





『推し』と『好きな人』には明確な差が存在し、意識的か無意識的かは分かりませんが使い分けをしていると思っています。
『推し』についての考察、『好きな人』についての考察はこれが正しいという訳ではなく、人それぞれの考え方があって当然で、たくさんある中の一説程度に考えてください。
まずは『推し』と『好きな人』に対する今の考えのまとめです。


私の中で2次元3次元関係なく『推し』には、基本的に個人として私を認識して欲しくありません。
大勢いるファンのうちの1人がいい。
認知は嬉しいけれど、それはどこまでいってもいち個人の私ではなくファンのうちの1人だという認識であって欲しい。私個人のことは知る必要の無いことだと思っています。
『推し』は全員に対して“平等に”かっこよく素敵であって欲しい、と思うからです。


対して『好きな人』ですが、好きな人には
私個人を見て欲しい。
特別扱いをして欲しい。
好きな人のコミュニティの中の最優先事項になりたい。という気持ちが強く現れます。
自分の中身を知って欲しいという感情が強く出るし、シンプルに自分のことを好きになって欲しいという欲が出るのが『好きな人』だ、というのが今の私の認識です。




また、3次元に限った話になりますが、この世に生きている人間を『推し』にするには距離が遠くあるべきという持論があります。
『推し』は遠い憧れの人で、出来れば会えない方が良い。
基本的には画面の向こう。会えると言っても舞台上と客席の関係。この距離感が生きている人間を『推し』にさせているような気がしています。

また、『推し』と『オタク』の関係における距離がどんどん近くなるとホストやキャバ嬢と客の関係に近くなっていくと思っています。が、近くなってもそれは恋人関係のそれにはなれない。
なぜなら、立場が違うから。
『推し』と『オタク』が同じ立場に立つことは有り得ないと考えています。


『推し』(アイドル 歌手 YouTuber スポーツ選手etc)は恋愛的要素が有っても無くても仕事として『オタク』(所謂ファン)と相対しています。

『オタク』から見た『推し』は暮らしの一部でも、『推し』は仕事というフィルターを通して『オタク』を見ています。
その状態のままで『推されている側』が恋愛に発展することはまず不可能でしょう。


逆説的に、『恋愛的に好きな人』は同じ立場でなければならない、とすることができます。
自分のことを恋愛的に好いて欲しいという欲求は距離が遠いと満たされにくく、立場が違う場合、満たされたかのように見せかけることはできますが、本質的には別物です。
お互いに向いている関係性の矢印を『恋愛的に好きな人』にするには、物理距離や心的距離が遠いと難しいことが分かります。





『推し』と『好きな人』との違いについてを延々話してきましたが、『リアコ』についても少し触れておきたいと思っています。
リアコ勢は私にとって不思議な存在で、『推し』に恋をするという感覚がずっと理解できないでいました。
ここ最近、腑に落ちた考え方が見つかったのでまとめます。




リアコは、『推し』に対して恋愛感情を抱く人のことを指します。

今まで考察した通り、『推し』と恋愛をするのは非常に難しいと言えます。
しかし、一定数リアコと呼ばれる人は存在し、少なくありません。『推し』が恋愛の対象になるのはなぜなのか。


まず、私の間違いは『推し』に“恋することは可能か?”という疑問です。
そもそもの考え方が違っていました。

そもそも、「恋愛は現象の名前」ということです。

「恋愛をしている」と言うことはできても、「恋愛をする」とは言えない。
恋愛は自分の意思でコントロールする事は不可能で、いつだって受動的です。


恋愛という現象には必ず『嫉妬』という感情が付随すると考えています。
恋愛がなぜ己の意思でコントロールが不可能かというと、『嫉妬』という感情の表出が理由だからです。

『嫉妬』という感情を分解して辿っていくと、「好きな人に特別扱いして欲しい」「好きな人の1位でありたい」という願望に行き着きます。
その願望が何者かに邪魔されたり、何らかの理由で満たされなかった時、『嫉妬』という感情になって現れます。

「好きな人から特別扱いされたい」「好きな人の1位でありたい」と思うから『恋愛』になって、『嫉妬』をします。



リアコの話に戻ります。
リアコは『推し』に対して嫉妬をしてしまうから『好きな人』になってしまう。『好きな人』になってしまったから、『嫉妬』してしまいます。

立場上、恋人になれないことも、距離の遠さも関係ありませんでした。
簡単なことで、リアコはただ今まで『推し』だった人が『好きな人』に変わってしまったというだけでした。






以上が今の私の推し理論です。
とりあえずはこの考え方が1番腑に落ちています。

今なら、昔より多少マシに回答できるかもしれません。もっと勉強してきます。




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