思春期の色
人に読んでもらうエッセイを書くのは高校の現代文の授業以来だと思う。
内容は覚えていないがたぶんネガティブな内容ではなく、高校生らしいキラキラした内容だった気がする。そのほうが先生にウケるから。
今回は中学時代の経験を書こうと思う。
正直な話、中学時代に良い思い出はあまりない。
今でも中学の同級生とは会いたくないし、出身中学で行われる成人式にも出席しなかったくらい筋金入りの中学嫌いだ。
決して不幸自慢をしたいわけではないけど、中学時代の私はぽっちゃりメガネで教室の隅で絵を描いてるような典型的なド陰キャキモオタクだったため、入学してすぐいじめの標的になった。
クラスメイトの男の子から毎日浴びせられる暴言と行方不明になる筆記用具達に日々耐えていたが、当時の私には心のオアシスがあった。
アニメや漫画、ボカロなどありとあらゆるサブカルを慈しみ布教する者達が集う場所…美術部。
面構えの違う奴らばかりだ。
まぁそれはさておき、部活で仲の良い友達や先輩ができたおかげで不登校にはなることはなかった。
その中でも特に仲の良い友達、アイちゃん(仮名)とは部活でも休みの日でもよく一緒に過ごした。
アイちゃんは小学3年生までは同じ小学校だったが、その後は父親の転勤で沖縄に引っ越して中学入学と同時に母親と一緒にこちらにまた戻ってきていた。
彼女は、中学生の私にとって完璧な人間だったと思う。
私にないものを全て持っていた。
部員の誰よりも絵が上手く、優しくて、頭がよかった。
優しい母親と2人で庭付きの大きな一軒家でふわふわの可愛いウサギを飼って暮らす彼女。
広い一人部屋も、中学生には高価なペンタブやPCも一人っ子の彼女専用。
彼女は私の憧れだった。
美術室の窓際いつもの席で、私の右利きと彼女の左利きの肘がぶつかり合うのを笑いながら手を真っ黒にして絵を描く時間、あれは紛れもなく青春だったんだろうなと思う。
そんな日々も中学2年生の夏休みが始まる前には終わった。
私は大好きだった美術部を辞めた。
顧問の先生は、コンクールで生徒の作品を入賞させることに必死な先生だった。
コンクールがあるたびに、アイデアスケッチを30〜40個描かせてそれを審査員ウケするように添削する。
中学生のころの私は、審査員ウケする絵を描けと言ってくる顧問が嫌いだった。
先生が添削した絵は先生の絵であって、私の絵じゃないと不満を感じていた。
今思えば、どちらが悪いとかではない気がする。
先生は、生徒を入賞させることで美術教師としての仕事の評価が欲しかったんだと思う。
私も、自分だけのアイデアや感性を制作にぶつけたかったんだと思う。
でも中学生の私には、芸術に点数をつけることに嫌悪感があった。
今もないとは言えないが、そういう文化もあっていいと理解している。
少なくとも、中学生の私には到底理解できなかった。
コンクールに出品するたびに顧問から、入賞しろとプレッシャーをかけられながらの制作に耐える日々。
ついに絵を描こうとすると手が震えて頭が真っ白になり、絵が描けなくなった。
部活では思うように制作できず、何かと理由をつけて帰るようになった。
夏休み前には帰る理由も底をつき、気まずくなって受験勉強を言い訳に休部。
夏休みは家に閉じこもってぼーっと過ごし、あれだけ描いていた絵もやめた。
夏休みが終わり、じっとりと暑い体育館で長い始業式を迎えた。
表彰の時間が本当に苦痛だったのを今でも覚えている。
アイちゃんは1年生のころからコンクールの最優秀賞や金賞の常連だった。
他の部員のみんなも、夏休み中の制作で佳作や入選と成果をあげていた。
1年生の時から私だけが何もないのが恥ずかしかったが、それでも審査員ウケする絵を描こうとは思えず葛藤していた。
ありがたいことに部員のみんなは優しくて、私が部活に行かなくなった後も普通に接してくれていた。
アイちゃんも例外ではなかったが、彼女の家に遊びに行くことはなくなった。
一緒にいるとつい、自分と彼女を比べてしまうのが辛かった。
絵が上手く、成績に伸び悩むこともなく、先生のお気に入りでみんなからも人望がある。
裕福な家のおかげか、進路先もあっさり高額な学費の私立高校に入学が決まっていた。
それに比べて私は、絵が描けなくなり、両親の離婚問題で家庭内は暗い空気が流れ、毎日のように泣き続けピリピリしている母の元に帰り、成績は伸び悩み、経済的な理由で絶対に公立高校へ進学しろとプレッシャーをかけられる毎日。
彼女とのあまりにも違いすぎる人生に目を背けたかった。
私の努力が足りなかった部分ももちろんたくさんある。
だが、中学生の私にはいっぱいいっぱいだった。
表彰式はいつも寝たフリでごまかすのが精一杯。
1人だけ取り残されたようなあの感じが辛かったが、みんなの前では美術部の幽霊部員です〜!なんて言って明るく振る舞った。
退部届はもらっていたが何となく退部理由を書くのがめんどうで結局、卒業するまで提出することはなかった。
卒業後、彼女とは疎遠になった。
連絡先も交換せず、彼女が今どこにいて何をしているのかもわからない。
当時、私にはないものを持っていた彼女は今もそうなのだろうか。
彼女を羨み、嫉妬し、自分の環境を憎んだ私の青春はぐちゃぐちゃに混ぜた絵の具みたいだった。
絵の具はいろんな色を混ぜるとどんどん黒に近い色になっていく。
私の心はあまりにも、いろんな色を混ぜすぎて黒くなっていった。
でも誤解してほしくないのは、彼女のことを嫌っているわけではないということ。
私は当時も今も彼女を大切な友達だと思っているし、私の変な劣等感のせいで彼女と疎遠になってしまったことを後悔している。
友達であり、彼女の作品のファンだった。
誰にも真似できない発想力と画力、人を惹きつける笑顔を持つ素敵な子だった。
彼女が描いた宇宙飛行士の絵は、今でも記憶に残るほど素晴らしい作品だと思う。
無数の惑星や星々の中で浮かぶ宇宙飛行士は、まるで彼女が実際に宇宙に行きその目で見たことがあるかのように写実的だった。
彼女にはずっとアーティストでいてほしい。
いつか再会した時に、お酒でも飲みながら私のくだらない劣等感の話を聞いて笑ってほしい。
もう一度、中学時代のように彼女が絵を描くところを隣で眺めたい。
でも、あの贅沢な時間は戻ってこないからこそ価値があるのだと思う。
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