私のレイシズム
今回は私が小学生の頃に2年間通っていた習い事について書こうと思う。
私は超がつくほどの運動音痴で、走るのも遅ければ球技も全然ダメ。
ただ小学生の頃は水泳と柔軟は人並みにでき、クロールで50mは泳げるし開脚も余裕だった。
そんな中、親の勧めで始めたのはバトントワリングだった。
バスケやバレーと違ってマイナーなスポーツだがご存知だろうか。
以下、Wikipediaより引用
バトントワリング(バトントワーリングとも[1]、英: Baton Twirling)とは、バトンと呼ばれる両端にゴム製のおもりをつけた金属の棒を回したり、空中に投げたりする演技を行うパフォーマンスないし、それを体系化したスポーツである。
と、まぁこんな感じのスポーツをやっていた。
同じ教室の子は大体みんな同い年くらいの女の子だった。
中には中学1年生くらいのお姉さんもいたが、小学校4〜6年生くらいの女の子が8割。
年上や気が強い子とも、なんとなくみんな上手くやっていた。
ある日、教室に新しい仲間が加わった。
白い陶器のような肌と綺麗なブルーの瞳、金色の柔らかいロングヘア。
リリー(仮名)と紹介された彼女は、間違いなく"日本人"ではなかった。
正確に言うと、彼女は日本国籍なのかもしれないが見た目は完全に"日本人"ではなかった。
リリーはまだ小学校1、2年生くらいだっただろうか、小柄で華奢だった。
シャイな性格で、一緒にきた母親の後ろに隠れている姿は今思えばとても愛らしい。
だが、教室のみんなはなんとなく彼女とは関わりたがらなかった。
私も例外ではない。
その中でも、一番気の強いアミちゃん(仮名)は特に彼女を鬱陶しがった。
アミちゃんは小学校5年生だったが、みんなのリーダーのような性格でなんでも仕切りたがる。
なぜかはわからないが、みんな彼女の言いなりだった。
そんな彼女に目をつけられたリリーは仲間はずれにされていた。
パフォーマンスでペアになる時も、誰もリリーとペアにはなりたがらず私がペアにさせられることもしばしば。
やがて、リリーは教室に来なくなった。
きっと居場所が見つけられず辞めてしまったのだろう。
アミちゃんは満足そうだった。
そして次のターゲット、サキちゃん(仮名)を仲間はずれにし始めた。
私は後悔している。
高校生の時、私はオーストリアの留学生とお弁当を食べたり恋バナをした。
シンガポールへ修学旅行に行った時は、現地の大学生と観光したくさん異文化について話した。
彼らは私たち"日本人"と何も変わらない。
肌色や髪の色などの違いはあれど同じ人間で、文化と言語が違うだけだった。
なのに、まだ幼いリリーが仲間はずれにされている時、私は見て見ぬふりをした。
リリーも私たちと何も変わらなかったのに。
異国の地で、高校生の私は現地の人とコミュニケーションをとるのが怖かった。
日本語が通じない国で、自分の伝えたいことを100%で伝えられないのが怖かった。
リリーは幼いながらも、それをやろうとしていたのに私たちは手を差し伸べなかった。
手を差し伸べるどころか、リリーを一人ぼっちにした。
彼女はこんな日本人を見てどう思っただろうか。
彼女の中では、同じ習い事の教室に通う私たちが日本人の代表だったのに。
知らない土地で馴染もうと頑張る彼女の勇気を踏み躙ってしまった。
高校生で海外に行く経験をして初めて、言葉も通じない土地でコミュニケーションをとろうとすることがどんなに勇気のいることか思い知った。
小学生の頃の私は、外国の人とは縁遠い世界に住んでいた。
当時の私には、リリーは日本語で会話できるのか、外国人の彼女と共通の話題なんてあるのかと、まるで宇宙人を見るような感覚だったのだろう。
人類のる堝でもない日本で生まれ育てば無理もないと思う。
しかし当時の私には、同調圧力に負けず勇気を持って一歩踏み出してほしかった。
小学生にはなかなか難しいことだと思う。
だが、もしも当時の私に会えるのであれば、大人になってこんなに後悔する前に一度でいいからリリーと学校の話や好きな食べ物の話をしてほしいと伝えたい。
リリーへの懺悔にもならないが、リリーが辞めたことを少し気にしていた私は、次の仲間はずれのターゲットになってしまったサキちゃんとは仲良くしていた。
ターゲットが私に移った頃には中学校への入学準備で忙しく、教室は辞めてしまった。
リリーは今どうしているだろうか。
彼女に謝りたいが、今さら謝罪したところでただの自己満足な気もする。
彼女のことを1人の友人として、もっといろいろ知りたかった。
彼女がどこで何をしているか知らないが、幸せに穏やかな毎日を過ごしていてくれれば嬉しい。
レイシズムは無意識にいろんなところに潜んでいる。
幼い私の中にも潜んでいた。
大人になってやっと、あの時やっていたことは紛れもないレイシズムなんだと気づいた。
幼いながらも自分はレイシストだったと気づいた時のショックはかなり大きい。
私はこの罪悪感と彼女に謝罪もできないもやもやとした感情を抱えて、これからも生きていく。
これがせめてもの戒めではないだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?