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軍艦島 訪問記
こんにちは!大谷翔平よりもポロニアの偉業に注目してほしいサメ子です。
さてさて、今回はあの軍艦島に行ってきました!
私が暑さで眠れないとき、井上陽水のような声をした何者かが枕元に立ち、「サメ子よ…軍艦島へ行きたまえ」と言われたので思い立ったという話はもちろん嘘で、なんか知らないけど「よし!軍艦島に行こう!」と思ったからです
軍艦島:過去と未来が交差する島
軍艦島は長崎県にある無人島で、かつて炭鉱で繁栄しました。最盛期には約5,000人が住んでおり、狭い島に高層建築が立ち並びました。その外観が戦艦に似ているため「軍艦島」と呼ばれています。炭鉱は1974年に閉鎖され、2015年に世界遺産に登録されました。
軍艦島への訪問は個人では難しく、クルーズツアーでの上陸が一般的です。いくつかの会社がツアーを催行していますが、私は「軍艦島コンシェルジュ」さんを選びました。
集合は軍艦島デジタルミュージアム。
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これがまた面白そうな場所で、ツアー前から島の雰囲気を味わえそうな予感。大浦天主堂のすぐ近くにあるってのも、絶妙なロケーション。アクセス抜群ってやつです。
入ったら受付、ここでチケットを発券してもらうわけです。
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予約は絶対必須ですからね。
チケットは3種類。スタンダード、プレミアム、スーパープレミアムと、なんだか航空券みたいです。私はプレミアムを選択しました。別に贅沢したいわけじゃなくて、単にスタンダードが満席だったからなんですが、結果的にはラッキーでした。
ミュージアムの中に一歩踏み入れると、そこはもう別世界。軍艦島の歴史や当時の生活を臨場感たっぷりに体感できる展示の数々。島の繁栄期にタイムスリップしたような気分になりました。
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そしていよいよツアーの説明が始まったんですが、ここで驚いたのが外国人観光客の多さ。半分以上はそうだったんじゃないでしょうか。世界遺産になった効果でしょうか、軍艦島の魅力は国境を越えて伝わっているようです。
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説明を聞いた後、いよいよ出発です。デジタルミュージアムから徒歩で数分。港に到着すると、そこには私たちを待つクルーズ船の勇姿が。思わずテンションが上がります。
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船内に入ると、またびっくり。スタンダードクラスの人は船尾の外側スペース、プレミアムとスーパープレミアムクラスの人は船内でクーラーが効いており、ドリンクも飲み放題という、ちょっとした格差社会。
ちょっと奮発してプレミアムを買って本当に良かったと、心の中でガッツポーズです。
航行中は、知識豊富な案内役の女性が軍艦島の歴史や見どころを詳しく説明してくれます。その語り口が絶妙で、まるで修学旅行に来たような懐かしくも新鮮な気分に。
👆(会社から仕事のメールがあり対応してたので船内の写真撮り忘れました💦)
そして、クーラーの効いた船に揺られること40分…ついに水平線の彼方に姿を現しました!
軍艦島です!
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思わず息をのむような光景に、船内がざわめきました。
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👆 この角度から見ると、島の形がまさに軍艦のように見えるんです。そのため、正式名称の端島(はしま)ではなく、「軍艦島」と呼ばれるようになったんだとか。
実はこの瞬間、さらなる特典が明らかに。なんとスーパープレミアムとプレミアムコースの人だけが船首に出て写真を撮れるんです!
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私があげてるこの写真はそこから撮ったもの。ここでもなお格差社会が顔を覗かせるとは(笑)
そしてついに、待ちに待った上陸の時。船から降り立った瞬間、独特の空気感が肌を包みます。
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実は、上陸できても移動できる範囲はごくわずかなんです。安全第一ですからね。第一見学広場、第二見学広場、第三見学広場と、きっちり決まっているんですよ。
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まずは第一見学広場
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船内で案内をされてた女性が解説をしてくださいます。
もう一人外国人の案内役の方もいて、その方は私の隣で英語で解説されてました。二重音声が楽しめるというまさに一回で二度おいしい?かな?(笑)
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👇ここは生活エリア
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かつては盛期に約5,300人が生活していました。特に1959年には約5,259人が暮らしており、これは島の面積がわずか1.2平方キロメートルであることを考えると、当時の世界でも非常に高い人口密度を誇っていました。
👇その中でひときわ目を引いたのが、端島小学校跡でした
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かつては500人近く在籍してたそうなのですが、1974年に閉鎖。ここにかつて児童たちが通っていたのか…想像力が膨らみます。
右の手前にある鳥居の様な形をしたコンクリートが石炭の貯蔵と運搬に使用された「貯炭ベルトコンベア」。これも島の重要な設備だったんですね。
小学校跡も貯炭ベルトコンベアも、近くには行けないんですが、この距離からでも十分すぎるほど存在感があるんです。廃墟となった建物を見ていると、かつての賑やかな様子が頭に浮かんできて、何だかグッとくるものがありました。
さて、次は第二見学広場です。
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とにかくこの日は暑かったんです。日影が一切ありませんからね。島全体がコンクリートだらけで、日差しを反射して、まるでフライパンの上に立っているような感じでした。
👇ここで目に飛び込んでくるのは、軍艦島の総合事務所跡
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島の中心的な建物だったんでしょうね。この総合事務所は島全体の炭鉱運営を管理していた中枢だったそうです。
具体的には、労働者の勤務管理や資材の調達、炭鉱の安全対策など、炭鉱の効率的な運営に関する業務が行われていたんだとか。島の中では重要な指令塔のような存在だったんですね。会議室での戦略会議や労働条件の改善についての討議なども、ここで行われていたそうです。
今はもう朽ち果てた建物ですが、かつてはここで島の未来が決められていたと思うと、何だか感慨深いものがあります。
右側にある階段付きの建物が二杭口桟橋
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炭鉱労働者が坑内に入るために使われていた重要な施設だそうです。毎日大勢の労働者がこの階段を上り下りしていたんでしょうね。今は静まり返っていますが、かつての活気が想像できます。
面白いのは、これらの廃墟に鉄骨を組んで崩れないようにしていること。
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廃墟を保存するために新しい骨組みを入れるなんて、なんだか現代アートみたいでシュールです。過去と現在が交錯しているような不思議な光景でした。
そして最後は第三見学広場です。
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ここは軍艦島のメインといってもいいのではないでしょうか。軍艦島といえばこの建物が紹介されるくらい有名なんです。
その主役が30号棟
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1916年に建設された日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートなんだとか。まさに軍艦島のシンボル的存在です。
7階建てのこのアパート、当時の炭鉱労働者やその家族が住んでいたそうです。約140戸の部屋があったらしいんですが、今はもうボロボロ。現在では崩壊の危機に瀕しており、建物の一部は既に崩れ始めているんだそうです。
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まるでマッドマックスや北斗の拳で見るような荒廃した世界…。想像力が掻き立てられますね。
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👇ここは仕上げ工場。
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島内の炭鉱で使用される機械や道具の修理や製造を行う場所だったそうです。今は静まり返っていますが、かつてはここで機械の音が鳴り響いていたんでしょうね。
正直、私はそんなに廃墟に興味があるタイプじゃないんです。でも、この光景を目の当たりにすると、思わず大興奮!廃墟マニアの人たちの気持ちが少し分かった気がします。こんな場所なら、何度でも訪れたくなるかも。
そしてあっという間に見学終了。
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全部で40分ほどの短い時間でしたが、軍艦島の歴史と魅力を十分に堪能できました。名残惜しさを胸に、私たちは帰りの船へと足を向けます。
まとめ
さて、いかがでしたでしょうか?正直、行く前は「ただの廃墟の島でしょ?」って軽く考えていたんです。でも、実際に訪れてみると、その考えは見事に覆されました。
軍艦島は、ただの廃墟じゃない。そこには、かつての日本の産業を支えた人々の汗と涙の歴史が刻まれていました。みなさんもぜひ訪れてみてください。ただし、天候によっては上陸できない時もあるそうです。そこはご注意を。晴れの日を選んで、この不思議な島の魅力を体験してみてくださいね!
それでは皆様!シャークと共にあれ(May the Shark be with you…)