あつ森のファッションは、新しい価値観を生み出す可能性を秘めている
先日「ヴァレンチノ」と「マークジェイコブス」があつまれどうぶつの森に参加し、公式の服デザインを配布しました。
これってめちゃくちゃ面白い試みだと思います。
実際にダウンロードして着替えてみると、新しい洋服に袖を通したときの様な気分の高揚があります(笑)
ゲームのアバターともまた違う、一つの自己表現の場所として新鮮な気持ちになりました。
早速ビシッと決め込んで、フレンドの島に遊びに行ったのは言うまでもありません。
※ちなみに、ダウンロードするためには、ゲーム内でエイブルシスターズという洋服ショップをオープンさせる必要があります。
店内の端末を操作して、IDを入力すると無料でデザインが手に入ります。
IDはそれぞれのブランドの公式SNSで公表されています。
さて、ここでファッションと言うものの本質を少し考えてみたいと思います。
人はなぜ服を着るのか
まず、衣服の起源について考察していきます。
これには諸説ありいくつか列挙していきます。
①羞恥起源説
世界一のベストセラー聖書に記された、アダムとイブの原罪に基づくものです。
蛇にそそのかされて知恵の木のみを食べたことで、2人は裸でいることが恥ずかしくなり、いちじくの葉を身にまといました。
主なる神はこれに驚き、永遠の命を奪い、アダムには労働の苦悩を、イブには出産の苦痛を与え、エデンの園から追放したというお話です。
禁断の実により知恵が備わり、相手と自分の性の違いに自覚し、羞恥の心が芽生えたことは、人間が他の動物たちとは異なる存在になったということを象徴しています。
身近な例として考えてみると、幼少期は人前で裸でいることが恥ずかしくありませんが、成長とともに羞恥の感情が芽生えてきます。
発達心理学者のヘレン・B・ルイスは、羞恥心について恐怖や不安等と違い、人の存在を認識できるようになって初めて思える情緒と指摘しています。
イチジクの葉という衣服は、自分と他者を別のものと認識する重要な役割を担っていたのかもしれません。
②装飾本能説
人間は本来、美しいものを好み、身体を飾る本能的な欲求から衣服を求めたという考え方です。
原始より人は身体に土や鉱物等で彩色したり、皮膚に傷をつけて入れ墨を入れたり、骨や羽根や貝などを耳飾りや首飾りにしたりして、身体を装飾してきました。
他の動物と違い、つるっとした皮膚への恐怖感や不完全感を抱いていたのかもしれません。
また鏡の無かった時代には、自分の身体、特に顔を自分自身で捉えることはできませんでした。
自分の身体でありながら、いちばん不確かであるという自身の曖昧さを埋めるために、身体装飾という行為が発達したとも考えられます。
③身体保護説
多くの人が真っ先に頭に浮かぶものがこれだと思います。気温、雨風、虫害、外傷などの環境から見を守るために衣服を着用するという機能的な働きに注目したものです。体温を保持し、快適に過ごすために衣服は重要な役割を果たします。
ただし、実際に私たちが身につけている衣服を考えてみると、ネクタイやハイヒール、フリルなど、機能性では説明ができないものも多いです。また衣服が身体を保護する一方で、ピアスや入れ墨など、痛みを伴ってまで施す装飾があることには矛盾があります。ファッションには機能性ということだけでは、説明がつかない要素が多く存在しています。
④権威象徴説
自らの権威を象徴するために、特定の装飾を施した衣装や、稀少な素材の衣服を身につけるということがなされてきました。平安時代の貴族の衣冠束帯や、エジプトのファラオの付けひげ、インドのマハラジャの豪華な宝石のアクセサリー等がありますが、現在でも、高級な腕時計やブランド品を所持することで、ステータスを表すことがよくあります。
衣服の社会的記号性と役割
さて、次に衣服の社会的記号性と役割について少し考えていきます。
衣服は性別、社会的地位、民族性、宗教など、様々な記号を発信しています。
我々は他人の衣服により、知らず知らずのうちに衣服をひとつの社会的情報として受け取り、認識や評価を行っています。
そこで衣服の記号的な役割を考える前に、まず身体(裸体)が発する情報を考えてみます。
その体つきから、性別、年齢、人種、体型などある程度の判別はできます。また、顔の表情や仕草により、感情も押し測ることができます。
しかしながら、裸体が示す情報は、衣服が示す情報に比べはるかに乏しいです。
もし仮に裸体に対する羞恥心がなかったとしても、社会の中で生活を営むためには、衣服の力を借りることなしには難しいと思います。
衣服はあくまでもその見に見える差異により、社会的な自己を位置づけするシンボルとなります。
衣服の素材、デザイン、色、飾り、着こなしなどによって、それを着ている人がどんな属性であるかを判別することができます。
制服やスポーツのユニフォームはその典型で、職業や経済状況、価値観などを示す区別の印はもちろん、ブランド品によりステータスを誇るなど、権威のシンボルにもなります。
それでは、衣服が果たす、社会的な記号について少し考えていきます。
①性別、年齢を表す記号
身体の性の違いは裸体を見れば一目瞭然ですが、自分で意識している自身の性が、生物学的な性と一致しないこともしばしばあります。
この時に衣服は、自身の心のあり様を表出するのに極めて重要な役割を果たします。
年齢に関しても、裸体からおおよその年齢を知ることはできます。
しかしながら、中学生の制服、大学生らしいカジュアルな衣服などを着ることにより、年齢を更に特定できるようになります。
また他方では、アンチエイジングに対する意識の高まりを背景に、40代、50代の女性の中にも若々しく美しい人が増え、20代や30代の着るようなファッションに見を包み、実年齢と見た目年齢が合致しない場合が増えています。
②職業、地位、階級を表す記号
衣服が果たす記号的な役割において、最も有効かつ、日常的になじみ深いものは、職業や地位を表す機能です。
特に制服の記号的な意味が顕著であり、警官、医者、消防官、サーファー、アスリート、僧侶、コック、バーテンダーなど職業と密接な制服を着用しています。制服を着ることで、自分たちと組織外のものとを明確に区別し、また自らがどのような役割を担ってるかを明示することで、職務に対する責任感が強まる効用があります。
また軍服などは、徽章やデザインなどによって、所属部署や階級序列、専門分野が明示されます。
もし仮に戦争中に兵士のすべての衣服が剥ぎ取られたならば、敵と味方の区別もできずに、戦争は成立しません。逆に考えれば、軍服を着ることで、戦意が高揚され、任務に忠実になりえたとも考えられます。
この様に社会的制度の中で制服が果たす役割は不可欠なものですが、それ故に個人としてのアイデンティティーの尊重を妨げることもありえます。
制服を着ると、ひとの存在がその社会的な属性に還元されてしまいます。そうすることで、良くも悪くも、ひとは「だれ」として現れなくてすみます。
制服を着ることでひとはそのなかに隠れることができるのです。
本来の制服のもつ記号性を逆手に取って、人格としての固有性から解放されることを望む人は少なくありません。
③帰属集団を表す記号
スポーツチーム、所属サークルなど、帰属集団の一員であることを示すために、類似の衣服を着用することがあります。
政治、企業、学校などの指導者たちは、自らのアイデンティティーの確認、帰属集団への忠誠心を維持するために、衣服を有効活用してきました。
他方、被支配者側にたてば、制服を着用することは集団への帰属、服従を意味し、自発性や個性の尊重は縮減されます。
就活中の学生たちは、没個性的なリクルートスーツの着用を、自主的に行う。これは、人と違った服装で目立つのを忌避するのと同時に、企業の方針や労働条件に服従しますという予告のようなものでもあります。
あつ森のファッションとは
あつ森にはキャラクターメイクや衣服の選択に制限があります。
限られた選択肢の中で、自ら選択し、その組み合わせによって自己表現を行います。
そしてそのことこそが、多くの人々に受け入れられている要因のひとつだと考えます。
どうぶつの森でプレイするということは、ひとつの帰属集団に属することになります。
自らがあの独特のタッチで描かれる住人になることを受け入れ、その世界のルールに服従するという選択になります。
そしてそうすることで、現実世界のアイデンティティーから解放されることになります。
人格としての固有性から解放され、その上でめいいっぱい自己表現に励むことができます。
言うなれば、あつ森の世界に入れば、誰でも同じ大きさの真っ白なキャンパスに向き合うことができるのです。
そしてお伝えしたように、あつ森のキャラクターメイクやファッションには制限があります。
そのため、表現するための組み合わせや方法が現実世界ほど複雑ではなく、スキルによる差が生まれにくいため、誰でもほとんど平等に表現することができます。
現実世界の衣服には、地位や階級を表す機能がありますが、あつ森の中のファッションには、それはありません。
一部、王冠など法外な金額設定のアイテムがありますが、決して手が届かないものではありません。
また、あつ森には年齢という概念がありません。
ファッションにおいて、年齢という概念は大きく影響力をもちます。
しかしあつ森には、それがないのです。
歳をとることもありません。
そして、自由に性別が変えられます。
LGBTに対する理解はどんどん拡がっていますが、それでもそれとは比較できないほど、あつ森の世界では自由です。
あつ森の世界では、ファッションは機能としての役割を一切期待されません。
身体の保護も権威の象徴も必要ありません。
冬に半袖を着ていても何ら問題ありませんし、特定の人だけが身につけられるアイテムというものも基本的に存在しません。
純粋に記号として、また圧倒的に平等な条件下で、それぞれの内面を表現するというだけの役割を果たします。
その中で、ヴァレンチノやマークジェイコブスが、参加してきたという流れは非常に面白く思います。
ダウンロードした人は、純粋にそのデザインに惹かれた人、現実世界では中々身に着けられないためせめてもと考える人、そのブランドが好きな人など、様々な理由があったかと思います。
そして今後も、ハイブランドに限らず、著名人や企業が参入してくる可能性は十分考えられます。
選択肢が増えていく中で、これからは、純粋にデザインや自身の島の世界観に従う、という選択肢の他に「そのデザイナーの考えに賛同する」という選択の基準が確立されていくのではないでしょうか。
例えばファッション業界におけるサステナビリティに本気で取り組む人や、動物愛護活動家の生み出したアイテムを身につけることで、その思想をフォローするという表現が可能となります。
どうぶつの森のファッションは、現実世界では到底なし得ない、自由と平等の世界というパラレルワールドの条件下で、新しい役割を果たしてくれるのではないかと期待をしています。