5/14(日) 

文字は常に考えに遅れすぎる、書き留めている間に考えが逃げていって、書いた瞬間から考えは書いた後の考えに進化するのでもう書いたものと考えは違うものになってどんどんゴミになっていく

しかも発言には自分が積み重ねてきたテーマや思考の癖、生まれてからずっと体験してきたものが全てが同時にベール、光のように何重にもかかっているのにその全てをそのように説明できない時点で不具合がある 
なぜ体に口が10個ついていて感じているもの全て同時に言えないんだろう?

そこまで言葉が嫌いでなんでこれを書いているのかも自分の中ではっきりしていないけど、記録という点で音よりもアクセスしやすい
ただ残り方が持ってる意味の割に強いから妙な揚げ足取りされてる人何人も見てきて、今から想像だけで怖いとも思う

あなたの意見には反対だがあなたがそれを主張する権利は守る、みたいなことを最近考えている


◆ネット大喜利の好きなところ
・「本当」があるところ
・絶対的な感覚に容赦無く切り捨てられるけど、どうしようもなく美しいところ

◆本当
自分のセンスに照らし合わせた時、絶対的に許せないものが世の中に存在する。若手の写真の展覧会に行った時の自分は一発でBANされるようなひどい言葉を言おうと思えば言えたと思う。そういった対象を持たない人間もいるのかもしれないが、自分は見ることすら耐えられないものが明確に存在してしまう。

圧倒的な本当、があると思っていて、それはネット大喜利でなくても

オーディションで一目見ればわかる
並んだ絵で一つだけ輝いている
聴いた瞬間これは違うと思う

みたいな、創作系に偏ってしまったけど店で皿を選ぶ時なんかもそう 
言葉の前に理解ができるものなんてその辺にごろごろある。別に「本当」という名前じゃなくてもよくて「輝き」とか「そう」でもいい。それは「本当」とは言いつつ自分が勝手に感じているだけで別に他の人と違っていてもいいけど、同じように感じる人がいると少し嬉しい。もちろん全然だめだと思ってたけど後にめっちゃええやんとなり土下座することもたくさんある。

ネット大喜利の好きなところはその本当みたいな美しさが稀に見られるところで、それの前にはどんな嘘もつけない。


◆辞めちまえ
M1で決勝行ったコンビはお前ら辞めたほうがいいよって言われたことがあるだろうか?別に決勝じゃなくてもいいけど、多分あるコンビもいたと思う。
例えば見てらんないくらい素人くさくて、舞台上でおどおどしっぱなし、信じられないくらい勘が悪い子というのがいたとする。ていうか全然いる。本当って、どこまで許容されるんだろうか?お前向いてないよと言った場合、例えばAさんはなんてひどい!そこまで言わなくてもいいじゃないか!と感じて、Bさんは逆にそこまで言ってくれる人はなかなかいない!本当に優しい!と感じる。(以下無限にバリエーション)他人が傷つくような(それはお前の設定次第だということに全員気づいているか?)ことは須く言わない方がいいだろうか?でも、それはその人のその時の「本当」だと感じることがあり、それがある場所、どうしようもなく感じたことが嘘偽りなく真摯に現れる場を、出力の形に引っ張られるのではなくて何を伝えているかを感じられる場を、自分はこれまで選んできたように思う。(あと売れる売れないはマジで誰も分からないけど、続けてないと売れないというのは言えると思う)


「これが評価される場は別にある気がします」と他人の回答にコメントしたことをたまに思い出す。いつもと違ってかなり踏み込んだことを言ったと明確に思った。ただ、この1年くらい棲み分けということについてずっと考えていて、どうしてもそう感じてしまった。


言い方で印象ってかなり違うらしい。
「辞めちまえ」と「君にはもっと輝ける場所が別にあると思います」「色々な他のことにも挑戦してみて見聞を広げてみるのもいいんじゃないかな!」の違いはなんだろう?わからなくなることがある


優しいですねって言われたことがあって、その時本当に優しいのは自分みたいにみんな面白いですね良かったです、しか言えない人間より、はっきり自分は面白くなかったって言ってあげられる人だと思いますって返せなかったことをたまに思い出す


でも感じ方も受け取り方も本当に人によって違って、そんなもの一朝一夕にどうにかなるものなわけがない。これは相互作用の拒否、人間の可能性への背信、異物への拒否の始まりで老いなのかもしれないが(仮想感想への事前防御)、なので最近の自分は色々なものがもっとたくさん乱立して、それぞれが住みやすい場所ができて、たまに遊びに行くとかで自分で好きに分量を調整できればと思うようになってきている。砂浜でBBQしたい時や、岩場で一人遊びたい時、限界まで遠くに泳いでみたい時、貝を集めたい時とかいろいろあるみたいに。


◆言い切りたくない
本当に、こういう開示を書く時言葉が一番嫌いになる。
自分も自分以外の人たちも単語で切り捨て表現されることの100%そうではなくて全ては多面で常に変化していて割合で、色や触感や音で表したらその重層性や同時性は一発でわかるのに言葉は不便すぎる、こんなものがコミュニケーション筆頭の顔をしていることにうんざりする。

ハイこれは〇〇とでかい主語で処理するのは速度が出るし効率がいいかもしれないけど、先にレッテルが来て処理してたら絶対に取りこぼしているものがあると思う、同じケースなんてないから。でも情報は多すぎて全部でそれやるのは無理だし、処理は有能感を味わえて楽しいのもわかる。ただせめて大切なものは丁寧に見ていくことを増やしたいけど、言ってる側から主語が大きくてきっとたくさんのものを見落としていて明日読み返したら消している気もする。

あと何事につけてもそれをやってない人というのが絶対的にいて、そういう人はとても気づきづらくてでもそういう人を見ていけばいいとも思う。こうやって騒ぐんじゃなくて。

少し話は逸れるけど、言葉に出したら魔力がなくなるものってあると思ってる


◆格付け
中身は馬鹿みたいな基準の格付けなのにそれが表示された途端従って交友関係にも影響を及ぼされる環境に数年間いてずっと違和感があったことがある。ただネット大喜利はそのバランスが本当に、本当に微妙な均衡を保っていて、なぜか嫌悪感を覚えない。というよりそこにある本当、みたいに感じる全てが綺麗すぎて、それ以外どうでもいいのかもしれない。あるいは心がもう死んでいる


◆評価
この間少し心が揺れて、揺れたという事実でより大きく揺れて、きっと色々なものが要素にあってそれもまだ自分で判別していないくらいなのだけどそれはやっぱり自分が信じた大喜利に対して失礼、そういうものが関与しない場所であることが一番の美しさだと思っていたはずなのに何を鈍っているんだろう。

自分はネット大喜利でここ1年ほど「評価とかじゃなくて大喜利するのが楽しいんで」的姿勢、あるいは防御を取っていて、それに特に疑問を持っていなかった。

でもよく考えると評価がないと思った状態はなくて、自分を評価してくれる人というのは最初からいた、というのは思い込みと言えばそれまでなのだけれど、いたように感じられたからここまでやってこれて、それはあの2票制限の中、カッコと等号の変な長い名前の人と女なのか男なのかわからない人が、自分が本当の本当に本当のところ、誰にも言えないし否定されたらどうしようって思いながら勇気を出して出せたものだけを、その2人は絶対わかってくれて驚くほど正確に、必ず投票してくれたからだった。その時彼らは得票率を争っていたのかもしれないけど、得票率の意味をわかっていなかったし誰とも知り合いでなかった自分は投票欄にあるその名前だけで理解してもらった気になっていた。ちなみに大喜利ってこんなもんでしょうとおもねった回答は驚くほど全て、本当に全て見破られて全然投票されなかった。

自分はどこかでこの世界を信頼していなくて、あるいは自分の小手先の技術でまだなんとかなるだろうと思っている節があってそれはもうとっくに期限切れで通用しなくなってるの周りが面倒で/大人で/優しくて/有能で言わないだけなんだけどそれに甘えてどうにかやれてる気になってしまっていて一言で言えば直そうとも思われてない自動反応ロボットなのだけど、その投票で、ほんの少しだけ世の中信頼してもいいのかなと思えた。

もちろん0票常連だったし、加えてどこかで自分面白いと思っていたから(これ大きいと思う)続けられていたんだと思う。でもその「わかってくれる人」の存在がなかったら多分違うものになっていたというのはストーリー付け過ぎ、でも続ける理由にはなっていた。

まあ全部勘違いと言われればそうかもしれないんですけれども。(言われそうなこと先に言っておくやつ一向に治らない)自分の発露の練習として考えている側面があるのでいつかもっと伝導率のいい形式を見つけたら離れるのかもしれないけど、やっていることは全部同じ。


◆プール
プールに行きたい。けれど他人と水を共有することへの拒否感の他に真っ白なビキニしかなくて、これは外国でくねくねしたお兄さん店員にンーアタシはこっちおすすめ♡って選んでもらったやつで3回しか着たことがない。別にこれで泳げるけど多分社会文化的には違う水着がいいということも知っていて、こうやって必死に学んだ人間の仕草をやるのが身体に染み付いててそれでやれてる顔しながら何も感じなくなっていってるけど、ただ大喜利では少し違ってもいいのかもしれない、体癖だから自分はもう難しいかもしれないけどそういう場があってよかった


◆うつ病/自死/不登校/無職のバイブス
暗黙の了解のうちにそういうものが感じられる場所が好きだった 人のいない工場の裏の川辺でだらだらしているみたいで(そんな場所は見たことも行ったこともないけど)



何度も同じこと言ってて終わってる
公開してから気づいたけどあと1ヶ月で1年になる

岩岩パニック ごろごろ