パリスグリーン(の設定を上手い事言語化しようとして捻り出した怪文書)

太陽の登り始めは、まだ肌寒く感じる様な、初夏。手入れの行き届いた広い庭園の中心に置かれたガーデンテーブルに座り、お姉様は凛とした佇まいで白く長いまつ毛を下に向け、本を読んでいらした。
「おはようお姉様、今日は何を読んでいるの?」
「あら、千代。おはよう。今日は太宰先生の斜陽よ。」
そう柔い笑みで私の目を見てお伝えになった後、また、お姉様は目を伏せて本を読み始めた。読書家のお姉様は毎朝こうして本を読んでいらっしゃる。朝日に、花緑青色の瞳が反射して美しく輝いていた。私はなんとはなしに向かい側の席に座り、頬杖をついてお姉様が本を読むのをじっと眺めていた。お邪魔かしら、とも思ったので、暫くもせずにすぐにその場を後にしようと、「朝食はフレンチトーストにするわね。」と告げて、屋敷の厨房に入った。
お姉様は白子症…アルビノ、というご病気?で生まれつき体の色素が不足していて、尚且つ日差しにめっぽう弱いらしい。だから、こうしてまだ陽の上がりきっていない早朝か、陽が寝静まった夜にしか、お姉様はお屋敷の外に出られないのだ。あのお美しさがご病気などとは思えるはずも無く、どちらかと言えば奇跡と言った方が適当であると私は常に思う。
 アールグレイティーの沸いたティーポットと、はちみつをかけたフレンチトーストを持って私はまた、私はまた庭へと向かった。相変わらずお姉様は本を読んでいらして、こちらにはまだ気づいていないようだった。
「お姉様、朝食の用意が出来たわよ。」
「あら、そう、先に本を片付けてくるわね。」
「書斎のでしょう?後からでもいいなら私が戻しておくわ。」
「本当に?ありがとう。じゃあお願いしようかしら。」
私はテーブルの上にフレンチトーストと、ティーセットを乗せてまた向かい側に座った。
いただきます、と手を合わせ2人きりの朝食が始まる。この時、普段はあまり会話が無いのだが、今日は珍しくお姉様が口を開いた。
「ねぇ千代、夏の花が好きな人は夏に死ぬらしいのよ。」
本当かしらね、と付け加えてお姉様は薄く微笑まれた。あぁこれは、お姉様なりの冗句だな。
「へぇ、そうなの。じゃあ、四季咲きの花…薔薇の花が好きな私は四回も死に直さないといけないわね。」
とまぁ、こちらも微笑みながら冗句で返したのだが、その時のお姉様の顔は今でも忘れられない。まさに、鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていた。そうして、また本に目を戻す時のように、白く長いまつ毛を伏せて、アールグレイティーをティーカップに注いだ。
「そうね。」
そんな、素っ気ない返事が返ってきたのを聞いて、あ、これは間違えたのかな。と焦った。
私も目を伏せて、フレンチトーストを口に運んだ。そしてお姉様はまた口を開いた。
「…千代は、斜陽、読んだことないわよね。」
「えぇ、ただの一度も。お姉様の書斎にあったのはなんとなく覚えていたけれど。そもそも私、本を読むのは苦手だもの。」
「そう…。」
また、沈黙が流れた。雲が動く様がいつもよりはっきりと見える気がする。こうして、いつも通りの黙々とした食卓に、戻った。いつもは、品が無いから…見たいな親戚からの教えで食事中は喋らないという習慣が身についているゆえの沈黙だが、今日ばかりは、少しの気まずさゆえの沈黙であった。
食べ終わって、片付けに向かおうと立ち上がった時に、お姉様は最後にまた、私に聞いた。
「ねぇ、千代。私も…千代も…おばあちゃんになっても、このお屋敷に、ずっと、ずーっと。2人で居てくれる?」
今度は私が面食らった顔をさせられた。
「当たり前じゃないの。ずっと一緒よ。」
お姉様は、とても嬉しそうな顔をしていらっしゃった。私は私で、屈託もなく返したのが小っ恥ずかしくなってきちゃって、すぐに踵を返し、また、厨房に戻った。
洗い物も済ませて、書斎に本を返して、掃除もして…他にも…といった具合に今日の分の家事は全て済ませた。両親の遺産があれば、この時間に学校へ通えないことは無かったが、病弱な姉と離れることは怖かったし、何より、買い出しに行く時より長く、姉が居ない時間があることの想像が、私には出来ないのである。そうそう、買い出しと言えば、日傘があったとしても滅多に外に出たがらないお姉様が、今日は買い出しに着いて行きたいと言い出した。
「どうしたの今朝から…少し変じゃない?お姉様。」
「あらそう? 私はずっと一緒って言ってくれたのが嬉しいだけの、可愛い可愛い千代ちゃんのお姉様よ?」
クスクスと、まるで子供のように笑っておられる。やっぱり少し、いつもとは様子が違い、変だが、今日のお姉様はいつもよりお元気だし、もしかしたら調子が良いのかもしれない。
「分かった。でも、少しでも体調が悪くなったらすぐに帰るから、ちゃんと言ってね。」
「ええ、それで良いわ。」
だが、これも買い出しが終わって見れば杞憂であった。お姉様は結局小一時間歩いても不自然な程お元気で、さらに最後は荷物を持つのを少し手伝ってくださった。久々に二人で晩御飯を作り、久々に姉妹二人でお風呂に入り、久々に二人一緒に寝て、そうして、一日は終わっていった。嫌な予感など、この時は微塵もしなかった。そして、次の日の朝5時に、お姉様は息を引き取った。いつものように椅子に座って、昨日も読んでいた本を読み終えたご様子で、眠るように、それはもう安らかに亡くなった。訳が分からなかった。最初は寝ているだけだと思い、呼びかけ、揺すれども、起きぬ。頬を触れば、冷たい。この冷ややかさが「死」だ。私はそう直感的に感じ取った。それからは、どうしたかあまり覚えていない。近くに住んでいる親戚に泣き付いて、姉が死んだ、姉が死んだ。と、訴えかけたところまでは記憶にあるが、葬式も何ひとつとして、何があったか覚えていない。その後しばらくして、屋敷を売って親戚の家に住むことを提案されたが、固く断った。最後にしたお姉様との約束、この屋敷でずっと二人一緒。せめて、この屋敷だけは私が死ぬまで手放さない。とはいえ、困ったことに今の私にちゃんと生きる気力なんて無い。とにかく、眠った。眠りは浅くとも、何度も目が覚めても、また眠った。家に残っている腐りかけの林檎を齧るだけで食事は済んだ。それ以上はもう胃が受け付けない。サンドウィッチの具材が残っていたのを見て私はまた、泣いてしまった。もう、涙は枯れたと思っていたので驚いた。驚いたが、それ以上に苦しかった。雨が降っている。窓際には、1冊の本が置きっぱなしになっている。
「…「斜陽」。でも、お姉様が最後にお庭で読んでいたのも、斜陽。二冊も…あったのね。」
片付けておかないと…長い間置かれていたようで、日に焼けて、雨に黴びている。
「ぁ…。此処、お父様の、お部屋。」
なら、そのままにしておこう。お父様も最期に読んだ本が、あの本だったのだろうか。そんなことを一瞬考えたが、すぐにどうでも良くなった。触れられなかったし、触れたくなかった。私の世界は、お姉様だけいれば満ちていたから。私が産まれてすぐに亡くなった両親なんて、本心を言えば本当にどうでもいいのだ。あぁ、そういえば、私はどこに向かっているのだろう。自分の部屋に戻ろうとしていたはずだが、どうもそういう訳には、いかないようで足は勝手に進んでいく、そして、鏡を見た。お姉様のお部屋の鏡だ。
「え、お姉…様…?」
いや違う、これは、私だ。すっかり髪の色が白くなってしまっているが、私だ。ボサボサになった白い髪、それに似つかわしくないパリスグリーンの瞳。それを見てふつふと胸に込み上げたのは、果てしない怒りだった。
「どうじて…?どうしてどうしてどうして??お姉様…なんで…なんで千代を置いていったの!?一緒にいてくれるって聞いたの、お姉様じゃない!!なんでなのっ…。なんで…。」
鏡を散々叩きつけたところで、鏡の向こうの白髪の人間は、残された憐れな妹と同じ行動を繰り返すだけで、返事をしない。気がつけば、私の視界は真っ白に染まっている。月明かりを跳ね返した反射光を、涙が暈しているせいだ。何処までも落ちていく気がした。小さい頃、お姉様が歌ってくださった子守唄を思い出す。
「…ねんねんころりよ、おころりよ、千代はとってもいい子だね…。」
違うの、違うのお姉様。千代はいい子なんかじゃないわ。だって、私お姉様のことを憎んでいる。それなのに愛している。どうしようもないほど狂っている。
「…でもこれで白い髪、お揃いねお姉様。もう良いわ。お姉様、疲れていたのよね。大丈夫、千代は悪い子だけれど…大丈夫。きっと、きっとね。」
そう、呟くまま、私はお姉様のベッドに倒れ込んだ。
「…まだ、お姉様の…優しい匂いがする。」
また、子守唄を思い出した。私は安心して、そこでようやく、気を失うように眠りについた。いや、実際に気を失ったのかもしれない。お姉様の声が、今も聴こえている。いつかの会話をぼんやりと思い出す
「まるでまほうね、おねえさまのおうたをきいていたら、すぐにねむってしまうの!!」
「そうよ、魔法なのよ。可愛い妹に…千代だけに効く、特別で大切な魔法なの。」
この夜が、明けなければ良いのに。私は、忘れることが怖い。お姉様の横顔を、声を、その全てが、いずれ抜け落ちるのが…とても怖くて、嫌だ。それでも、私は生きないといけないのでしょうか?お姉様。貴女が居ないこの屋敷。ただでさえ2人で持て余していたこの屋敷。一人でいるには虚しすぎます。あぁ、千代を許して、お姉様。私は、明日が怖いが故に、千代は今死のうと思います。全てを捨てて、貴女に逢いたいと思います。神様が本当に居るとしたなら、お許しくださいな。正直に言って私は、例え針の山の向こうでお姉様に逢えなかったとしても、死にたいのです。この現世という地獄で、お姉様が居ない世界なんて私は、息をするのも苦痛なのです。さようなら、皆様。心底どうでも良かった皆様。千代はお姉様に逢う為に死にます。実は千代は毒を呑みました。お姉様のお歌に酔って、強い毒を。お姉様の瞳と同じ色をした、パリスグリーンの顔料をお父様の部屋から持ち出して、飲んだのです。嫌に心が軽くなりました。もしかしたら魔法のお薬だったのかもしれません。ゆめをみたきがしました。どんなゆめかはわすれましたが、おねえさまがほほえんでいました。でもそれも、しだいにぜんぶとけてゆきました。あぁ、あぁ、しあわせです。そう、千代はしあわせ。まっておねえさま。おねえさま。まって。
そして目の前は真っ暗に。悲しく優しい姉妹のお話はこれにておしまい。例えカーテンコールが無くっても、誰も拍手をしなくても、これはしあわせな結末なのです。
姉妹はずうっと一緒。いつまでも、いつまでも。ずっと、ずっと。

「薔薇の花が好きな人は夏に死ぬのよ」
貴女はそう言って微笑って見せた
幽かに遺る涸れた花の香りが
きゅっと胸を締め付けたままでふわり

地獄の果てへ逃げ切れたなら
この痛みさえも忘れられるかしら?
錆び付いたティーセットの傍で触れた
眠る貴女の柔い頬の白 憂いだって

あぁもう良いよ それで良いよ
私は好き勝手生きるので
貴方は明日を棄てて仕舞えば良い
涙が溢れてしまうな (どうして)
その優しい歌声も聴こえないなんて (どうして)
そう飽きる程聴いたあの歌は
寂しい棘を持つパリスグリーン
私を夜に閉じ込めるひとつの呪い

「それなら薔薇の花が好きな私は四度死ぬのね」
私はそう言って笑って見せた
霞掛かった 記憶の中の貴女は
麗しくも目を伏せて
ティーカップにアールグレイを注いだんだ

最初から全部 決まってたみたいに
貴女はゆるりらりと死神を迎え入れた
雨で黴びた窓際の傍の古本は
とうに日に焼けて朽ちるのを待つ
だって触れられないもの!!

良いよそれで良いよ
だって私は貴方を許せないし
貴方が此処を捨てて逃げ出すなら
早く帰ってきてよねぇ(愛して)
仲直りに深いハグをしようよ(愛して)
そう二度と戻らないその笑顔
写真には残らないパリスグリーン
私を今日も壊してくひとつの贖い

あぁもう良いよ それで良いよ
私は好き勝手生きるので
貴方は明日を捨てて仕舞えばいい

あぁもう良いの これで良いの
私は貴方と他愛ない今日を
私も明日を捨てて仕舞えたなら!!
約束は守れないけど (どうして)
いつも貴方の事を困らせていたけど(どうして)
そう飽きる程聴いたあの歌は
優しい毒を持つパリスグリーン
私だけ救いを与える ひとつの魔法
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お姉様死ぬとこもうちょいこりたかったけど思いつかなかった…

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