感傷論 一頁

 窓の外には透き通るほどの青い空とひしめきあう家々、そして町のランドマークである大きな赤い屋根の塔。あなたが生まれたときからそびえたっていて、町のどこにいても目にすることができる。灯台にも煙突にも見えるその塔にあなたは惹かれていた。
 何をしても面白くない。特にここ2年はなんの事件もなく平和な生活をおくっていて、面白いことなんて何一つ起こらない。映画や小説、他の趣味も、前の方がもっと楽しめた。世界がつまらなくなったのか、もともと世界はつまらないものだったのか、誰かが教えてくれるでもなく時間だけが奪われていく。
 時計の針の音と、窓から入り込むα波(アルファは)と、遠くに見える赤い塔が今のすべてだ。そういえば、あの塔に人が出入りしているところを誰も見たことがないことから、塔の中は廃墟でボロッちいんじゃないかと噂されている。誰も住まない、誰にも興味を持たれない、誰もに忘れられた塔に興味が湧いてならない。まるでその塔と共鳴してしまうのではないかというほどに。
 ちょうど同じとき、同じ場所に、同じことを考える人たちがいた。これからこの人たちのことを共鳴者と呼ぼう。

 全ての授業が終了し、皆我先にと教室から去ってゆく。
 共鳴者たちだけとなった教室で、彼らは掃除をしながら週末に何をしようかとでも考えているのだろうか。

「ねえ、今週末さ、みんなでカラオケ行かない?」
 一人の女子生徒が声を上げた。
同調するかのように他の生徒たちも賛同の声を上げる。
「よっしゃ! じゃあ予約入れておくよ」
「おっけー」共鳴者たちはその日を楽しみにして、またいつも通りの日々へと戻って行く。
 共鳴者たちはその日を楽しみにして、またいつも通りの日々へと戻って行く。

 共鳴者の一人は背の低い女子生徒だった。彼女は明るい性格だが、学業の成績は上がらず”頭の弱い子”のレッテルを張られている。
 しかし、そんな彼女の周りではなぜか楽しいことが起こっていた。
 ある男子生徒が階段を踏み外して落下した時、たまたま通りかかった彼女が受け止めて事なきを得た。
 その後、彼は彼女に感謝の言葉を伝えたが、それに対して彼女はこう答えたという。
―――私、何もしていないよ。ただ目の前にいたから助けただけだもの。
 それは嘘ではなかった。ただ本当に、彼女はそこに居合わせただけだったのだ。
 それなのに、彼女の回りでは不思議と楽しい出来事が起こった。
 ある時は、不良に絡まれている女子を助けたり、迷子の子猫を飼い主のもとに届けたり、電車の中で痴漢を捕まえたり……数えればキリがないほどの幸運に恵まれる。
 彼女に聞いたところで、どうしてこんなことになるのか全くわからないと言うだろう。
 きっと何か特別な力を持っているに違いない。
 彼女の名前は、潤間日和(うるま ひより)。

 共鳴者のもう一人は平凡な男子生徒だった。彼はおチャラけた性格だが、本当は内気で寂しがり屋だった。
 友達がいないわけではないのだが、自分からは話しかけることができないため、あまり親しくはない。
 そんな彼が最近ハマっていることはSNSゲームだった。
 彼のハンドルネームは"ユズキ"。
 名前こそ女の子っぽいが、性別は男だ。
 このゲームは自分の分身となるアバターを作成し、そのアバターを使って他のプレイヤーと交流しながらクエストをこなしてゆくというものだ。
 ゲームの中だけでなら彼は明るく振る舞うことができた。
 "ユズキ"こそが本当の自分であり、自分自身が"ユズキ"でありたいとさえ思っている。
 だから、普段学校で見せる彼の顔は、彼の言葉は、"ユズキ"の真似事でしかないのだ
 彼の名前は、神無月 光琉(かんなづき ひかる)。

 共鳴者の最後の一人はポニーテールの女子生徒だった。彼女は真面目な性格で成績もよく、クラス委員長を務めている。
 勉強ができるからといって物静かなわけではない。
 彼女のその低い声は生徒たちを奮い立たせ、恐れられる。
 勝ちにこだわり、負けることが嫌いで、自分の意見を押し通す。
 そんな彼女だったが、なぜだか人望があった。
 どんなトラブルにも臆せず立ち向かう姿勢に、共感する人間が多かったからだ。
 彼女の名前は、童 遊子(わらべ ゆうこ)。

「ねえねえ聞いて! 昨日さ、商店街のジェラート食べに行ったんだ!」
「へぇ、いいね。それでどうだったの?」
「うん! それはね……」
 日和と遊子は、今日も仲良くおしゃべりをしている。
 彼女たちの話題の中心にあるのはスイーツのことばかりだ。
 甘いものが大好きな女子たちが集まれば当然そうなってしまうわけで、会話の内容もお菓子作りや新しいケーキ店の情報などで盛り上がる。
 しかし、今日の話題には少しだけ違うものがあった。
 それは、先日オープンしたばかりのクレープ屋についてだ。
 そこは、開店前から多くの行列ができていて、学校の生徒の間でも評判になっている場所だ。
 メニューがとても豊富で、どれも美味しいらしい。
 なんでも、店長が一人で全部作っていて、その手際の良さや、盛り付けが美しいことから、若い女性を中心に人気が出ているそうだ。
 そんな話を聞いて、二人の心が躍らないはずがなかった。

「でもね。これは噂なんだけど、クレープを食べるとすっごい幸せになれるっていうの」
「幸せになれるのなら、良いことなんじゃなくて?」
「なんかね、違和感があるっていうか...上手く言えないけど、普通じゃない気がするのよね」
 日和の話を聞きながら、遊子の脳裏に浮かび上がった人物がいた。
 それは、彼女のと一緒に掃除をしている光琉のことだった。
(そういえば彼も、時々おかしなことを言っていたわ)

 日和と遊子の二人は、それぞれ別の理由で、ある共通点を持っていた。
 それは、二人とも不思議な能力を持っているということ。
 遊子の場合は、他人の霊気を見ることができるというもので、日和も同じような能力を使えるのだ。
 そして、その能力はお互いに共有することができる。
 例えば、誰かが落とし物をすると、必ずそれが自分にもわかる。
 誰かが困っている時に、自分が手助けできる。
 誰かが悩んでいる時に、自分も相談に乗ることができる。
 そういった偶然が起こりやすい体質なのだ。
 もちろん、それだけでは超能力と呼べるようなものではない。
 しかし、彼女たちには"わかる"のだ。
 それを彼にも感じていた。

「ねえ神無月君、この話についてどう思う?」
「え? あぁ、うーん、どうだろう。でも、ちょっとおかしいかなってくらいだよ」
「そっか。やっぱり神無月君はそういう風に感じるんだ」
「……?」
 彼女の言葉の意味がわからず、首を傾げる。
 その時、教室に担任の教師が入ってきたため、話はそこで終わりになった。
 面倒な掃除の時間も終わり、三人は解放された。
 放課後になると、みんなは部活に向かったり帰宅したりして、それぞれの時間を過ごすことになる。
 光琉は、いつものようにバイトに向かうため、帰り支度をしていた。

「ヒカルくん!」
 声を掛けたのは日和だった。
 彼女は光琉のことをなぜか下の名前で呼ぶ。
「どうかした?」
「あのね。今度の日曜日って空いてるかな?」
「うん、特に予定はないよ」
「よかった。じゃあさ、一緒にクレープを食べに行かない?」
「クレープ?」
「ほら、商店街にオープンしたお店で、すごい人気があるの。わたしが誘ったから特別に奢っちゃいます!」
「いいのか!?」
「うん!じゃあ決まりね!ゆうちゃんも一緒に行くから」
 こうして、日曜日に三人はクレープ屋さんに行くことになった。
 楽しみができたことで、自然と足取りも軽くなる。
 せっかくだから途中まで一緒に帰ろう、という日和の提案で、三人は並んで校舎を出る。


「神無月君は、クレープは好き?」
 突然、遊子が光琉に質問をした。
 その口調は、どこか真剣なものを感じさせた。
「俺は好きだぞ。甘いものは大好きだからな」
「そう。それなら良かったわ」
「?」
「…………」
「…………?」
「いえ、なんでもないの。気にしないでちょうだい」
「いやいや、気になるだろ!」
「ふふ、冗談よ。私は甘いものが苦手なの」
「へぇ、意外だな。でも、クレープは甘くておいしいだろ」
 その返事に、今度は遊子が黙ってしまった。
 そして、そのまま何も言わずに歩き続ける。
 そんな彼女を見て、日和は不思議そうな顔をしていた。
 何か変なこと言っただろうか。
 光琉は、二人の微妙な空気感に戸惑ってしまう。
 なんとなく、このまま別れるのは良くないと思った。
 なので、何か話題を振ろうとした時、彼女が先に口を開いた。

「ねえ、神無月君。あなたは、霊感とか信じるタイプかしら?」
「えっ……れいかん?……うーん、わからないけど……」
 霊感と言われてもピンとこなかった。
 幽霊を見たこともなければ、そういう話を聞いたこともないからだ。
 しかし、そう答える前に、日和が横槍を入れた。
 それも、光琉が予想していない答え方で……。
 光琉の視界に映る、日和の姿がブレた。
 一瞬にして、その姿が変化していく。
 そこに現れたのは、黒いフードを被った長身の"なにか"。
 その手には、大きな鎌が握られていた。
 その鎌が、ゆっくりと振り上げられている。
 その光景がスローモーションに見える。
 思考が追いつかない。
 どうしてこんなことになっているのか、全く理解できなかった。
 その刃が、自分の体に向かってきていることだけはわかった。
 殺される。
 直感的にそう思った。
 反射的に、その場から飛び退いた。
 次の瞬間、彼女のいた場所に大鎌が突き刺さり、地面を大きく穿つ。
 ドスンと音を立てて、地面に亀裂が入った。
「危ねぇ……ッ!!」
 なんとか回避することができた。
 だが、目の前で起こったことが信じられず、呆然としてしまう。
 今のはなんだ? なぜ、あんなことをされたのか。
 自分はただ普通に会話をしていただけなのに。
 混乱する頭で必死に考える
「……うっ!」
 そこで、光琉はあることに気がついた。
 先ほどまで隣にいたはずの、日和がいないのだ。
「ひよりっ!!どこに行ったんだっ!?」
 周りを見渡しても見当たらない。
 慌てて探そうとするが、それよりも早く、背後から声が聞こえてきた。
 それは、とても冷たいものだった。
 感情のない、抑揚の無い声で、彼女は告げた。
──日和は、わたしですよ。
 ゾクっと、背筋に寒気が走る。
 光琉は、振り返ることができないまま動けなくなってしまった。
 息をすることすら忘れてしまう。
 まるで金縛りにあったように体が動かない。ただ、背中越しに感じる殺気だけが、光琉の体を震わせる。
 呼吸すらできない緊張感の中、その人物は淡々と語り始めた。
──どうしたの、ヒカルくん。逃げないでよ。
 その声は、確実に日和の声だった。
 さっきまで普通に話していた女の子が、こんな姿になるなんて、到底理解しきれるものではなかったのだ。
 ついに光琉は振り返り、その人物の顔を見る。その顔は、笑っていた。
 その笑みは、今まで見たことがないような、冷たく恐ろしい表情だった。
 そして、ゆっくりと近づいてくる。
 一歩、また一歩と、着実に距離を詰めてくるのを感じる。
 それでも、逃げることができない。
 恐怖によって足がすくんでしまった。
 ただただ、この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
 早く逃げなければ。
 殺されてしまう。
 逃げたい。
 逃げなきゃ。
 逃げろ。
 逃げ......

「潤間直伝えんがちょーーっぷ!!」
 拍子抜けしてしまうような高い声が手刀で目の前の人物に切り込む。
 その声は聞きなじみのある声。
 またしても日和の声だった。
 しかし手刀は空を切り、目の前の人物にダメージを与えられたようには見えない。
「神無月君、意識は保ててるかしら」
 立て続けに聞こえてくるのは遊子の声。
「え?あぁ、大丈夫......てか童さん今までどこに行ってたの?!」
「あら、私のことは"ゆうこ"って呼んでくれないのね」
「今はそんな話じゃなくて!」
 目の前では日和が黒いなにかと対峙している。
 さっきより意識気がはっきりとしている、そんな気がした。
「神無月君が意識を失っていただけよ、潤間さんの名前なんか叫んで、いったいどんな夢を見ていたのかしら」
「あ、あれは夢だったのか」
 夢にしてはやけに現実味を感じていた光琉だが、日和と遊子が目の前にいることに今は安堵する。
「てか、あいつは何?!黒いし鎌振り回してるし!」
「あれは怪異」
「か、かい??」
「この世ならざるもの、いわゆるおばけよ」
「なるほど......ってわかんねーよ!」
「読書家の神無月くんなら、怪異もののひとつやふたつ読んだことあると思っていたけれど」
「俺が読んでるのは異世界転生ものだ、ってそういうことでもなくて!この状況を教えてくれよ!」
 光琉はやっと立ち上がり、黒いなにかを観察する。
 顔はフードで確認できない、鎌を持つ手は白く骨の形が見えるほど痩せこけている、背丈は日和の倍近くはある。
 まさに化け物と呼ばれるような形相をしている。
「鎌を持っているから死神にも見えるけど、階級で言えば亡霊ってとこかしら、話し合う余地はなさそうね」
 淡々と話す遊子の姿は普段と変わらず凛々しいが、今に限ってはそれがとても異様に感じる。
「ならどうするんだ」
「倒して勝つ!」
「なっ?!」
 遊子は突然亡霊に向かって走り出し、飛び掛かる。

「っらあ゛!!」
 そのまま両手で握った拳で殴りかかるが、その攻撃も虚しくすり抜けてしまう。
 殴った勢いのまま地面に着地すると、すかさず今度は蹴りを放つ。
 しかしこれも同じように、当たることはなかった。
 亡霊には実体がないのか、攻撃が全く効いていない。

「ゆうちゃん!鎌!」
 日和が叫ぶ。
 その言葉を聞いた瞬間、遊子は反射的にその場から離れる。
 直後、背後から大鎌を振り下ろす亡霊。
 紙一重で避けたものの、頬からは血が流れ落ちる。
 しかし、遊子は笑っていた。
「そういうことね!」
 日和の叫んだ言葉は、鎌への警告ではなく、"鎌には実態がある"という意味だったようだ。
 遊子の反撃が始まる。
 人とは思えないほどの素早い動きで、亡霊の周りを駆け回る。
 亡霊が鎌を振り上げる動作に合わせるようにジャンプをし、"鎌"に蹴りを叩き込んだ。
 その一撃により、亡霊は吹き飛ぶ。
 まるで苦しんでいるかのように、身体は震えていた。

「すごい、効いてる!」
 光琉は思わず遊子の戦いに見入っていた。
 あんな動きが人にできるのか。
 それも、クラスメイトで最近よく話す女の子だ。
 思い返せば日和も相当すごい動きをしていたような気もしてくる。
 その日和が光琉に声を掛ける。
「あとはヒカルくんだけだよ!ファイトー!」
「は?!なっ、なんで俺が!」
「ゴーゴー!」
 応援されたはいいものの、あの怪物と戦えるわけがない。
 光琉は恐怖心と困惑で立ち尽くしている。
 そんな時、日和は光琉の手を取り、こう言った。
「大丈夫、ヒカルくんならきっと祓えるから、自信もって!」
「自信を持つったって、一体俺に何をしろっていうんだよ」
 そこに亡霊のもとから戻ってきた遊子が補足を入れる。
「怪異って言うのは、思念の塊なの。だからあの亡霊の思念に呑まれて負けると死んでしまうわ、つまり」
「つまり......」
「勝つ!」
「いやわかんねーって!勝つってなんだよ!」
 二人の話に光琉は頭が追い付かない。
 その背後で亡霊がまた動き出そうとしているのが見えてしまう。
「お、おいまた来るぞ!」
「それは神無月君がまだ祓えていないからだ」
「祓えて?」
「私と潤間さんは力で勝ち取ったわ。なら戦う力のない神無月君は、思念で勝つしかないの」
「思念で勝つ......」
「そうだよヒカルくん!あの亡霊に、俺の方が生きてるんだぞー!生命力バリバリなんだぞー!って伝えるの」
「伝える......、それで勝てるのか」
「ええ、勝てる!」
「うん!」
 光琉の声はまだ震えている。
 しかし、ここで光琉がやらなければならないと二人は言う。
(やっぱり、よくわかんねーけど、ここまで言われれやらないのは男じゃないよな)

 光琉は覚悟を決め、歩き出した。
 そして大きく息を吸い込み......。

 立ち止まる。
「俺の方が生きてるって、なんだ?」

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