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-遺されたモノ-

先日始めたばかりのfacebookの洗礼を連日受けている。

あまり繋がりたくはない人からの友達申請、当たり前のように繋がれると思っていた元・友人からの非承認(推測だが)、そして、男女問わず結婚や仕事での幸せ投稿の数々。

見なければいいのに、つい覗いてしまう。

この衝動の止め方を私は知らない。


「知り合いかも?」にMは出てきた。

出てきたから少し驚いた。

もう死んでいるのに。

さすがに遺族もネット上でのアカウント全てを削除するのは不可能だ。

そして、例に漏れず、衝動に駆られて中を覗いてしまう。

その時は、こんなにも虚しい気持ちになるなんて思わなかった。

ただ、Mの思い出に、一人感傷にふけりたかっただけだ。


直近のMの投稿は、仕事のことばかりだった。

出張や転勤が多いMの職業柄、国内いろんな地から投稿されていた。

スクロールして遡っていくと、それは突然現れた。

100枚以上の写真と共にアップされた、Mの結婚式の様子。

妹からMが結婚したことを聞かされた当時より、遥かにショックを受けた。

結婚式を挙げたことは知らなかったからだ。

婚姻届だけの提出で結婚したんだと勝手に思っていた。

投稿から読み解くに、婚姻届を先に提出してから半年後くらいの挙式か。

初めてまともに見る、Mの初めての結婚相手。

照れている時に見せるMのはにかんだ顔は、昔と何も変わっていない。

ただその愛しい表情は、私に向けられたものではない。

そこにいるのは、私ぢゃない女性。

「嫁さんが」という文章と共にその女性の楽しそうな写真もアップされている。

その女性の顔を、自分に当てはめて見てみる。

それは、Mが死ななければ、もっと再会が早ければ、叶っていたかもしれない光景。


Mが離婚後、私にプロポーズしてくれた時、なぜ私はちゃんと向き合わなかったのか。

なぜ、その時の本当の気持ちをMに打ち明けなかったのか。

なぜもっと、Mに頼ることができなかったのか。


ステータスは「離婚」になっていたが、離婚したことは投稿されていなかった。

もう更新されることのない、Mの生きていた記録。

友達にすらなれない。

その記録に、私が登場することは絶対にないのだ。


私に幸あれ。






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