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-トンの逆襲-

友人に誘われて、東京の川だか港だかをクルージングした時に出会った男との話である。

彼は、クルージングの後になぜか二人きりになって食事をすることになったのだが、とっかえひっかえ女を替えて、自由気ままに生きている様子が窺えた。

会話が楽しくてついついお酒も進み、酔っ払って関係を持ってしまう、私のような女が何人かいたのだろう。

翌日は平日だったけど、たしかお互い午前休か休んだかしたと思う。

それでも私は、体を起こしてからはあまり長居はせず、彼の部屋を静かに後にした。


一夜限りの遊びになるかと思いきや、その後も彼からの誘いはあった。

どんなに回を重ねても、泊まりはしても翌朝にはすぐに帰宅していた私。

(都合の)いい女の流儀とも言うべきか。

恋人でもない相手の部屋に長居は無用。

その配慮が、結局彼を射止めることになったのは予想外だった。

彼には当時、私以外に同時進行で3人程遊んでいる女性がいたらしいのだが、その誰もが起きてからも結構な時間を彼の部屋で過ごしたらしい。

彼によると、次の(女の)予定もあるのに迷惑以外の何物でもないとのこと。

かくして、しばらく特定を作っていなかった彼の彼女の座に私が腰を落ち着けることになる。


30歳を超えて、彼と付き合い始めた頃に結婚を意識し始めたのかもしれない。

元々20代の頃は、積極的な結婚願望なんてなかった。

時期が来れば彼女から妻に自動昇格していくものだと思っていたし、ましてや婚活婚活と目くじら立てて結婚相手を漁ることになろうとは、かけらも思っていなかった。

あの時、その後婚活孤児に陥る自分を知っていたなら、結婚を選ぶタイミングとしても相手としても、彼が最適だったのではないかと思う。

きっと浮気はするだろうが、シンクタンクに勤めている彼は将来も有望だ。

彼の父は大手デベロッパーの取締役で、母方は医者家系だった。

MARCH卒業で身長も180cm近くあり、いわゆる3高の彼はコミニュケーション能力も高く、友人もそれなりにいる。

イケメンとは言えずとも、スペックとしてはかなりの上位ランクだ。

だが、それが落とし穴だった。


彼の名は漢字二文字で、二文字目に「人」という字を書いて「と」と読む。

お腹が出てきて腕立て伏せができなくなっていた彼のことを、私は名前の最後に「ん」を付けて呼んでいた。(例:隼人→はやとん、勇人→ゆうとん)

部屋の鍵ももらい、彼の部屋にゲームセットや調理器具などを持ち込み、半同棲状態になっていった私達。

彼の部屋は二人で住んでも十分な広さのある1LDKで、私の部屋からもバスで行き来ができたため通いやすく、私の会社へもアクセスは良かった。

私が作った夕食を一緒に食べ、朝同じ電車で一緒に通勤する。

うまく行っていたと思う。


ある日の夕食時、突然彼から聞かれた。

「もし俺が海外勤務になったら付いてきてくれる?」

「もちろん!」

考えもせずに即答した自分に驚いた。

それまで、彼と結婚したら・・・などの将来の話をしたことはなかったから、その質問に結婚を結びつけるのは難しく、ただ純粋に、彼には付いていくだろうという自分がそこにいた。


なぜ、その質問をしてくれた彼を信頼することができなかったのか。

数日後、彼と一緒にいたいという想いより、自分は彼にはそぐわないという申し訳なさが前面に出てきてしまい、別れを告げたのは私からだった。

それまで振られたことがなかった彼にとって、プライドが許さなかったに違いない。


その後も、彼の部屋に置かれた私の荷物はそのままだったし、それまでと同じように毎日のように電話で話していたから、きっとこのまま何事もなかったかのように、また仲良くなれるんだと思ってた。

いつも行っていた彼の近所の焼き肉屋で、ヨリを戻したいと私が言うまでは。

「ないない!俺のこと信用もしてくれてない女なんかと付き合えるわけないわ!」

それまでとは一変して、荒げた声で彼は言い放った。

彼は別れた後も私に変わらず優しく接して、私から復縁を迫らせ、それを待っていましたと言わんばかりに、私を振り返したのだ。

そういえば、いつも頼んでいた私の好きな牛タンも、その日は豚タンしか注文してくれなかった。

彼の優しさは、もう私には向いていなかった。

トンが襲い来る。


彼の部屋に置いた私の物は何一つ返ってこなかったし、豚タン以降は本当に連絡もなくなった。

見事に踊らされた私は、しばらくは彼のことを恨んだが、時が経つにつれて、彼を裏切ったのは他でもない私自身ではないかと思えてきた。

海外赴任に付いてきてくれるか、という言葉が仮にプロポーズだったとしたら、彼の中で私の家庭環境やスペックについては既に織り込み済みだったんだろうし、それを理由に私が別れを選んだことに対して、彼は心外で虚しくて怒ってたんぢゃないかって、彼をいい人にしてみる。

まぁ、彼が果たして、あの質問を結婚を前提に聞いてきたのかは知る由もないが。


私に幸あれ。



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