-選ばれる基準-
「人生を狂わされた」なんて他人のせいにするつもりはないけれど、彼と付き合っていた時の私は、完全に自分というものを見失っていた。
出会い系で知り合った彼とは、前の彼氏との同棲を解消する際に引越を手伝ってもらったことから始まる。
私が引っ越した部屋から彼の部屋は、徒歩で行き来できるほどの近所だったため、会おうと思えばすぐに会うことができた。
私が彼の彼女だった期間は2年位、私だけが彼の彼女だった期間はその半分もないだろう。
彼には、私以外に彼女がいた。
付き合い始めた時から二股だった。
最初は私が浮気相手。
私は当初、彼に彼女がいることなんて知らない。
ただ、不審な点はいっぱいあった。
彼の部屋に泊まって迎えた朝のこと。
インターホンが鳴って、彼が尋常ぢゃないくらい焦りだした。
どうしたの?と聞くと、彼はシーッと人差し指を立てて口に当てる。
狭い部屋で右往左往した後に、音を立てずに玄関に向かい、私たちの靴を室内に運ぶ。
しばらく経って、誰も入って来ないことがわかると、彼は私に状況を説明した。
「すっごいしつこい勧誘が来て、前ヤバかったんよねぇ」
どうやら、部屋にいるとわかったら契約するまで帰らないくらいの勢いだから居留守を決め込んだ、と。
・・・黒だよね。
もう・・・真っ黒だよね。
彼女が来たと思って、私との鉢合わせをどう対処しようか、脳をフル回転させるも焦りと恐怖でどうしようもない、そんな感じだったんだと思う。
それくらい挙動不審ではあったものの、純朴そうな彼からはまさか二股なんて疑惑、浮かびようもなかった。
ケンカなんてなく、比較的楽しく残りの学生生活を一緒に謳歌していたと思う。
だけど時々、なんの前触れもなく、彼は神妙な面持ちで私と会うことがあった。
クリスマスもそうだった。
KFCのクリスマスバーレルを用意して部屋で待っていると、彼が来て言葉少なに食卓に着く。
あまり食欲がないと、ほとんど食事にも手を付けない。
そしてものの数分で、私とチキンを全て残して帰っていったのだ。
きっと彼女とのクリスマスの予定があったんだろう。
この時もまだ私は、彼の私以外の女の存在について知らなかった。
なぜ彼がそんな態度を取るのか、自分のせいなのかと答えのない何かを探し続けていた。
理由を伝えられずに冷たくされることが、知らないうちに私を追い詰めていく。
彼は決まって、いつも同じ親友と遊んでいて、私も何度かその親友を交えて遊んだりしていた。
ある日、私はどうしようもなく彼に会いたくなった。
留年が確定した時だったか、誰かに無性にすがりたかったし優しく包んで欲しかった。
もちろんその相手を私は彼氏に求める。
その日は会う約束をしていなかったが、彼の部屋近くまで行って彼に電話をした。
親友といるから部屋では会えないと言われ、近くの川辺で話をする。
落ち着きのない彼。
早く切り上げようとしているのがわかる。
部屋に行っていいかと聞いて拒まれ、親友なら一緒に遊べばいいと更に押してみると語気を強めて断られた。
あぁ、私、面倒な女になっちゃってる・・・。
落ち込んでいた私は、彼に会って満たされるどころか余計に寂しさを覚えてその場を去った。
きっと、部屋には彼女がいたんだね。
そんなこと知らない私は、ただひたすら闇に落ちていく。
いつも「親友からだ」と、彼に頻繁にかかってくる電話に女の勘がようやく働いた。
寝ている彼の携帯電話を見て、着信履歴の番号を私の携帯に登録した。
二股をかけられていたことを知ったのは、彼がその彼女と別れてしばらく経ってからのこと。
登録していた番号に思い立って連絡し、彼女と会って話を聞いた。
彼女は、私と会った時には彼の元カノになっていて、既に新しい彼氏ができていた。
短大を卒業して私たちより先に社会人となっていた彼女は、幼い顔つきながらもどこか大人びていて、二股をしていた彼のことを責めるわけでもなく、私が引っかかっていた出来事のことを嫌な顔一つせずに丁寧に答えてくれた。
元カノとのすり合わせで全てが繋がった時、彼の不審さは元カノが理由だったのだと納得できた。
それにしても、私がこんな乱心を起こしたのは、この彼の時が最初で最後だ。
こうして自分が壊れ始めていることを、この時の私はまだ気付けていなかった。
彼が二股をかけていたことは、彼にも正直に話してもらった。
もちろん多少のもつれはあったけど、既に過去の話になっていたし、それを理由に別れを選ぶことなんてできなかった。
土砂降りの雨の中、一番に私を乗せたいからと納車日に新車を披露してくれたり、私の誕生日には、平日にも関わらず時刻が変わった瞬間にバラの花束を抱えて部屋に来てくれたり、彼の愛情は十分に感じられていた。
過去に私を裏切ったから、今彼は私の信用を取り戻そうと、誠実に私に向き合ってくれている。
そう思えていた。
春からは、新社会人と留年した学生の軽い遠距離恋愛になっていた。
高速を使って1時間くらいの支店に配属された彼は、それと同時に、用意された支店近くの寮に引っ越したのだ。
数か月後、勤務先の都合で彼の住む部屋が変わったと聞いて、その部屋に初めて私が遊びに行った時だった。
「お風呂に長い髪の毛が落ちてたよー」って笑いながら言ってみた。
カマをかけて試したわけではない。
なんも疑ってなんかいなかった。
ただの冗談のつもりだったんだけど。
「そう、俺、時々あるんよねぇ、長い毛が」って慌てふためく彼。
まさかの黒だった。
予想だにしていない黒だった。
そんな下手すぎる嘘で確実に気付いてしまったのだけど、その場は強引に冗談で終わらせた。
受け入れるには、あまりにも突然すぎたから。
何かが音を立てて崩れていく。
TDRに旅行に行く時にはもう、事実上破綻していた。
彼との関係も、私の精神も。
明らかに女性へのお土産を楽しそうに選ぶ彼。
どうせ私の存在は伏せて、親友と遊びに行くとでも言って来たんだろうね。
今度は私が元カノか。
なんで終わらせる前に次に行くの。
私の気持ちはどうすればいいの。
このまま終わりになんてできないよ・・・。
私は薬を飲んだ。
夜中に母が駆け付ける。
目が覚めて彼を探す。
一緒に寝てと彼にすがりつく。
彼のお父さんが勤める会社に電話をした。
私がどれだけ彼のことを好きなのか、彼のお母さんにアルバムを見せながら説明をした。
そんなことしたって、彼が戻ってくるわけないのにね。
でもあの時はもう、正常な判断なんてできる精神状態ではなかった。
私は弱すぎた。
彼からね、言われたことがある。
私は安心できない、って。
それは、私が何をしでかすかわからない猟奇的な部分を持っていたことを彼が気付いたからでも、彼が私の中に魔物を作っていることを知っていたからでもない。
彼女と私と天秤にかけた時、私には圧倒的に安心感を感じなかったって。
安心感って、どこで買えるの?
私に幸あれ。