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コーヒー

コーヒーは私にとって今まで喫茶店で飲む特別な飲み物だった。
京都の純喫茶でタバコを吸いながら本を読む時間や、地元の喫茶店のカウンター席に座り、コーヒーを飲みながら店主と近況を話すゆっくりとした時間がささやかな贅沢だった。それゆえに私の中ではコーヒーはある意味お酒よりも特別な飲み物だった。だから、何故か自宅でインスタントや缶のコーヒーを飲むことなんてほとんどなかった。

だから、コンビニの100円コーヒーやその類を進んで飲むことがあまり理解できなかった。
喫茶店で「ゆっくりと流れる時間の中で店主が淹れてくれるコーヒー」が好きだったから。
せかせかと飲み干し、余韻もコーヒーを飲む時間も楽しめないじゃないか、そう思っていたからだ。

でも、ここ半年その考えも変わってきてしまった。というのも、会社員の人たちが朝にコーヒーを片手に通勤したり、作業のためにコーヒーをガブガブ飲む気持ちもわかってきてしまったからだ。
タバコやその他諸々に依存しておきながらカフェインに依存することを何故か鼻で笑っていたけれどそうせざるを得ない状況が以前より増えてしまったことが原因らしい。

社会人になって、思っていたより長い勤務時間と夜遅いのに朝が早い生活。確かにカフェインを取るなりしないと体が動かないし目が開かない。
それに加え定期的な過眠症がちな体調に少しでも抗うために気休めとはいえ飲まないと不安になるし、抑うつ状態で倦怠感がひどい時もどうしても働かないといけない時はあるしその時もカフェインやその他諸々に頼らないと動けなかった。

眠気が不安になってカフェイン錠をエナジードリンクで流し込み、通勤時に缶コーヒーを飲む、そこまでしないと眠くてたまらなくなることもある。

そんな眠気覚ましの為のカフェインのせいで飲む物になってしまったコーヒーに私は悲しく思う。
それはもはやコーヒーじゃなくてカフェインを飲んでいるだけではないか。私にとってコーヒーは少し特別な飲み物だった。だからそんな心をリセットするおまじないが効力を失っていくようなそんな気がした。心が淋しくなってしまうような。

こうしてコーヒーがカフェインを取るためだけの飲み物になっていって私は喫茶店からもいつか足が遠のいてしまうのだろうか…。どっちにせよあの愛おしい時間が私には必要だ。次の休みにはいつもの喫茶店でいつものブレンドコーヒーとチーズケーキを頼もう。

あの空間、あの時間の幸福感は缶コーヒーでは味わえないから。

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