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【ワーホリ日記】勤務3日目を終え、仕事から逃げてしまった
こんにちは。ニュージーランドでワーホリ中のさめです。
新年を前に、題名の通りの事態になりだいぶ心が苦しくなっています。
何が起きたのか、まだ苦しいですが頑張って言葉にしていきたいと思います。
経緯① Facebook経由で仕事に採用された
11月、車が車検(WOF)に通らなかったため購入し直さなければならなくなってしまい、手元のお金がやや心もとないことになっていました。
日本の銀行から送金すれば問題ない状態ではありましたが、ずっとウーフ(住み込みボランティアのようなもの)を続ける生活に少し飽きてきたこともあり折角なので働こうと思い至りました。
そこで、Facebookのバックパッカー向けグループで「短期でできる仕事を探しています」「クライストチャーチでキッチンで働いた経験があります」と投稿したところ、夏の期間だけ追加のキッチンスタッフを探しているカフェのシェフから声を掛けていただきました。1ヶ月未満の短期でも問題ないということでした。
お互い認識を擦り合わせるために電話をしようと言われたので応じました。私は「クライストチャーチで働いていたキッチンは、忙しいところではあったが基本的に揚げ物をするだけのマニュアル労働でしかも3ヶ月ほどしか働いていない。そのため十分に経験があるとは言えないと思う。それでも良いか。」という趣旨のことを伝えました。
ニュージーランドの採用面接で自分についてマイナス事項を伝えるのはかなり不利になってしまうので一般的には推奨されませんが、この時点で先方が期待している人材とは自分はかけ離れているのでは?と感じたため言わずにはいられませんでした。(長期の仕事ならトレーニングでカバーできますが、短期なので尚更。)
しかし、「簡単な仕事だから大丈夫だよ。トレーニングもちゃんとするから安心して。」ということで、それなら、とジョブオファーを受けることにしました。
経緯② まともなトレーニングなんてなくて、法律も守っていなかった
先述の通り、簡単な仕事だしトレーニングもあると言われていました。実際最初に振られた仕事は比較的簡単なものが多かったのですが、忙しい時期に動けるようになるためにはメニューの料理の作り方等トレーニングが欠かせません。しかしながら、そちらのトレーニングは殆どなく、注文が入るとただオロオロするばかりになってしまいました。
また、私はキッチンでの経験が決して豊富でないため、上手く動くことが出来ず「もっと早くして!」と注意されてばかりでした。
ニュージーランドでは上手く動けないと解雇されるのは日常茶飯事なので、どんなに雑な仕事になっても早く動くようにするなどの器用さがあれば良かったのですが、完璧主義が災いし早く動けないわ、時間をかけている割に決して良い仕事とも言えないわ、という最悪な状態になってしまいました。
ニュージーランドでは実力採用だということも、トレーニング中に解雇されうるということもクライストチャーチで思い知っていたのですが、多分大丈夫だろう!とつい油断してしまいました。
また、ニュージーランドでは6時間以上10時間以下働く場合は10分の有給休憩×2と30分の無給休憩×1が義務付けられています。(参考)
しかし、ここのカフェでは10-15分ほどの休憩を1回と20分ほどの休憩を1回しか貰えず、日によっては長めの休憩を1回貰うだけでした。
忙しいからと言われそうではありますが、法律で定められた休憩さえ守れないのか……と思いました。(正直なことを言うと、私が勤務した日はいずれもお客さんが数組しか来ず、決して忙しくはなかったはずなのですが。)
初日は8時に勤務開始だったのですが、昼食休憩が15時前まで貰えずお腹がすいて動けなくなりそうでした。
他にも、カフェで使う野菜は家庭菜園で取れたものを使っていたので、家庭菜園で働くのもお仕事の一部でした。(後述の事情により、私はそこで働くことはありませんでしたが。)
しかし、それはカフェとは別会計にしていて、現金で給料を払うことで脱税しているそうでした。
ごく稀に条件を満たせば課税対象外になると聞いたことがあるようなないような気はするのでもしかしたらそうだったのかもしれませんが、何にせよ税金もろくに納められない事業者か……と思うと良い気はしませんでした。
経緯③ 周囲に馴染めなかった
人見知りな私がいちばん悪いとは思うのですが、周囲に馴染むことが出来ませんでした。
そもそも家族経営のカフェで、臨時で働いている従業員の方も1ヶ月ほど滞在されている方だったので馴染むことが出来ませんでした。自分から動かなければ誰も私の事なんて構わなくて幸せな環境で、無事人見知りを発動した私は割って入っていくことが出来ませんでした。
キッチンは私、私の採用を決めたシェフ、そのお母さん(マム)、フランス人の臨時スタッフの4人体制でした。
マムは良い方で、色んなことを教えてくださり、私が孤独に感じないようたくさん配慮していただき、私が上手く出来なくてもカバーしてくださり、本当に感謝しています。
しかし、シェフは他人の話を聞かず一方的にずっと自分のお気持ち表明をしているような方で、まともな会話になりませんでした。フランス人も基本塩対応で、私が居心地の悪さを感じて離れた時だけ「Are you OK?」とこれみよがしにファッション配慮で声をかけてくる方でとてもじゃないですが仲良く出来ませんでした。最後の頃には、質問するだけで睨まれる、何をやっても否定されると言った具合でした。
僻地だったことからシェフの家族の家に住んでいたので、他のファミリーやフロントスタッフとも関わりが大きくなる生活でした。シェフの2人の弟やパートナーは本当に良くしてくださったのでその3人にも大変感謝しています。
しかし、私が来てすぐ行われたパーティーでは私だけやはり孤立しているような状態で、話に入ろうにも(人見知りな私がいちばん悪いのですが(2回目))私が知らない文脈で話しており入れませんでした。
フロントスタッフ2人中1人は私に家庭菜園でのお仕事を教えることになっていたにも関わらず、教えるのを放棄して休暇に行ってしまいました。
じゃあ自分から聞けよと言われるかもしれませんが、私は家庭菜園のことは彼女の専権事項だと思っていて、私に教えることになっていた、という事実をシェフから聞くまで知らなかったので聞きようがありませんでした。シェフは彼女は忙しいからだのなんだの言っていましたが、空いている時間はキッチンのフランス人と話したり遊びに行ったりしているだけだったので、確かに忙しかったんでしょうね。(白目)
(必要なことを教えてもらえないという文脈で補足なのですが、最後の勤務日となった3日目は休業日とだけ言われていたので仕事がないと思って起きていたら前日の夜10:30に明日朝から仕事ね!と言われました。サポート体制なんてものは無かったのです。)
もう1人のフロントスタッフは、ほか2人の臨時スタッフと比べれば些か友好的な方ではありましたが、彼女が書いたメモの中に私だけ名前がカッコで囲まれているのを見てしまい、何だかなあ……と少し思わないではいられなかったです。
経緯④ 遠回しに解雇宣告をされて、私は号泣した
先程も少し触れましたが、私は仕事の遅さや技術のなさから注意を受けてばかりいました。
実際私の実力が余りにも足りなかったのは事実なので、注意を受けるのは仕方ないですし、それで余計上手く動けなくなってしまう私の性格が悪いのは間違いないです。NZで働くことの厳しさを忘れて油断しすぎていたとも思います。
しかし、自分なりに頑張っている中でも何をしても睨まれ、否定され、なんでも聞いてね!と言われたのもあり質問は大事だからと質問したら(お客さんの有無を問わず)苛立たれ、シェフに教えてもらった方法でやってみたらそれを今度はフランス人に否定され、ここで働くのは違うかもしれない、と思い始めました。
仕事が終わりかけてきた頃、シェフが私に「ちょっと話したいから来てくれる?」と声をかけてきました。シェフも同じ思いなのだなとすぐ分かりました。
シェフは一方的に、「君は頑張ってるとは思うけど、もっと頑張ってもらわないと厳しいよね。経験ある人期待してたから僕が悪いんだけどさ、でももっと上手く動ける人じゃないとね。今はともかくクリスマス後は例年マジで忙しいからこっちとしてもストレスフルになるし。別に怖がらせたくはないんだけどさー、他に連絡とってる人もいるから辞めるならとっとと教えて。」という趣旨のことをまくし立てました。
私は自分のスピーキング能力のなさが恨めしくなりました。
日常会話で困ることは無いですし、客観的な指標で言えばIELTSのスピーキングで6.0が出ているので決して喋れない方にはならないはずです。
それでも、一方的にシェフにまくしたてられたあと、私は言いたかったこと(何をしても否定される、睨まれる、ろくなトレーニングも休憩もない、お前は絶対に人の話を聞いてくれない、家にいても私抜きでコミュニティが成立しているので多くの人が非友好的でストレスフル、そんな環境で「別に追い出したい訳じゃないんだけど、ほかにも連絡とってる人いるし、やっぱり嫌だったら辞めてもいいし、それならさっさと決めて」とか言われて働けるかよ!!!!!!)がほとんど言えなくて、ただただ号泣することしか出来ませんでした。シェフに用事があってドアを開けたマムが私が泣いているのを見て申し訳なさそうな顔でUターンしたのを見て、申し訳なさで余計泣くことしか出来ませんでした。
私には海外在住の親戚がいますが、英語ネイティブの家族と喧嘩になって言い返せなかった時、「喧嘩で困らないほどの英語力が必要だ」と感じたそうです。その言葉の意味がようやくわかった気がしました。
雨が降る寒い日で、シェフは歩いてきた私のために車で家まで送るよと言ってきたのですがとてもそんな気分にはなれなくて歩いて帰り、追いかけてきたシェフに車から「大丈夫?」と言われ、ふざけんなよ半分くらいお前のせいだろと言う訳にもいかず、余計泣くことしかできませんでした。
経緯⑤ 残り少ない期間、傷ついて過ごすよりも逃げることを選んだ
他にすぐ行ける場所は無いと感じていたため明日は働くと言いましたが、シェフから「考え直しても良いから」と言われ、私は寒い中1人で今後どうするか考え続けました。
これがニュージーランド1ヶ月目であったならば、どんなに傷ついてでもここにしがみつくことを選んだと思います。金銭面をもっと気にしなければいけなかったと思いますし、傷ついてでもここでの経験はその後の成長やニュージーランドでの他の仕事に繋がったと思うので。
しかし、私がニュージーランドで過ごす時間はあと2ヶ月少々しかありません。また、日本帰国後飲食業に従事する予定は今のところないため、キャリアに繋がるわけではありません。正直言ってしまえば自分がやりたいことでもありません。懸念していた金銭面についても、元から別に働かなくてもギリギリどうにかならなくはない状態ではありました。
その状態で無理してしがみついたとしても、きっとこれ以上無限に傷つくだけで何も良いことなんかありません。本当の本当に癒えない傷がついてしまう前に逃げよう、と決断しました。
直前までいた滞在先のホストに事情を説明したところ、幸いにも「明日からでも来て良いよ、○日から他の人が来るからそれまでにはなってしまうけど、本当にいつでも戻ってきて大丈夫だからね」と仰ってくださり、次の日には私はまた前の場所へ戻りました。人の優しさのありがたみを強く実感しました。(一方で、シェフのファミリーは形式的でも別れの言葉をかけてくれたのとは対照的に、他の臨時スタッフとは顔を合わせたのに素通りされ、そういう所だよなと思いました。)
逃げる、という選択は決して褒められたことでは無いと思います。
しかし、本当にだめになってしまう前に逃げるのはひとつの選択のはずです。これから何度もこの選択に苦しむことになるとは思いますが、どうにかあの時の自分の決断を肯定していたいです。
そんなわけで今私は直前までいたホストファミリーのお家に滞在しています。
現在は主に子供のお世話をしています。日本で小さな子供と触れ合った経験はあまりないのですが、毎日子供の想像力とエネルギーに圧倒され、少し大変だけど楽しい日々を送っています。お陰様でカフェで受けた心の傷もだいぶ和らいできました。
少し悲しい年末になってしまいましたが、2025年はもう少し色々頑張れる人間になりたいです。
皆様、良いお年を。