見出し画像

C子あまね「ロックバンドは恥ずかしい」ロックが死んだ時代の賛歌

C子あまねという音楽プロジェクト集団が活動をスタートさせたのは2020年だという。
最初のメンバーは野口文也、紙折更、創太郎の3名で、2021年にシンガーのkimiiを迎えた。
今年リリースされたEP「JAPAN」に収録された「ロックバンドは恥ずかしい」。
これが2022年にリリースされた楽曲の中でも抜きん出て美しいので、それについて書いていきたい。

1.「ロックは死んだ」というけれど

「ロックは死んだ」という言葉を時折耳にする。
ジョン・レノンがそう言っていたし、ジョニー・ロットン(セックス・ピストルズ)やジーン・シモンズ(KISS)も言っていた。
勿論その発言をおこなうまでの文脈があるし、その部分だけを取り出しあれこれ言うのはフェアではないが、文脈がどうであれ、確かに彼らはそう言ったのだ。
「死んだ」とまでいかなくとも、例えばトム・ヨーク(レディオヘッド)は「ロックはゴミ音楽だ」と言った。アルバム「Kid A」発売頃のインタビューでの発言らしいが、彼らはロックミュージックにもう飽き飽きしていた様だった。

Spotify、Apple Musicのワールドランキングを覗いて見れば、如何にその言葉が現実味を帯びているかが分かる。
もう結果が出た2021年に関して言えば、ビルボード年間チャート1位はデュア・リパの「Levitating」で、震えるほど素晴らしいダンス・ポップだった。
それ以外も大体ヒップホップかダンス・ポップで、ロックの出る幕は殆どない。

2000年代はまだロックは元気があった。
エモやポップ・パンクはそこそこチャートインしていたし、日本でも人気が高かったアブリル・ラヴィーンなどロックアイコンは過去と比べれば少ないながらも存在していた。
いつ頃からかロックアイコンと呼べるような新世代のアーティストは消えていき、今も残っているのは過去のレガシーと共にあるバンドのみである。

過去のある時期まで、政治的な主張や反体制はロックミュージシャンの専売特許だった。
でも時代は移り変わって2022年の音楽シーンを眺めてみると、むしろポップミュージシャンの方が遥かにリベラルで政治的になっている。
さらに以前より存在感のあったアフリカンアメリカン達は、更に楽曲のメッセージ性を強めていった(勿論、能天気なパーティーソングも多く存在している事実を無視するわけではないが)。
2015年にケンドリック・ラマーが発表したアルバム「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」、それに続く2017年の「ダム」は多くの日本人リスナーにも聴かれたポリティクスなヒップホップになったのは記憶に新しい。

2.日本人はロックがお好き

日本人はギターロックが好きだというのはよく聞く話。
例えば音楽系YouTuberとして著名な「みのミュージック」の動画「外国人に邦楽を斬ってもらいます」で、ゲストのフランス人ミュージシャンのカンタン氏は「日本人はロックがまだ好きだなと感じます。フランスではラップやヒップホップが人気になりすぎていて、(ロックを含む)その他のスタイルは聴かれなくなっている」と語っている。

そんな外国から見て、比較的元気なはずの日本のロックシーンもチャートをじっくり見てみれば、あくまで「他国と比べれば」まだ元気だということに過ぎないことに気がつく。
レコチョクによる2021年のトップ10ランキングを確認すると、所謂「ロックバンド」の楽曲はOfficial髭男dismだけであるし、例えばMrs.Green Appleやマカロニえんぴつ、King Gnuなど、まだまだ人気のある新しいロックバンドは確認できるものの、過去のように大きなシーンが存在する訳でもない(シーンについての具体的なシーンを幾つか挙げておこう。2000年代初頭の青春パンクムーブメントがそうであったし、2000年後半には下北系と呼ばれる(かなりハイプっぽかったが)ロックバンドの一群がいた。2010年初頭にも、andymoriやTHE BAWDIES、毛皮のマリーズなどUKガレージロックリバイバルに影響を受けたバンド達が台頭していた)。
欧米よりかはまだまだ力は弱いが、今後は日本の音楽シーンもヒップホップが台頭する予感は十分するし、一過性の流行りはあっても今後ロックバンドが日本で再ブーム化する予兆は余り感じられないのが実情なのではないだろうか。

3.ロックバンドは恥ずかしい

ロックバンドについて歌っているが、C子あまねは、所謂ロックバンドではない。
PR TIMESによると彼らの楽曲制作についてこう書かれている。

OPS、R&B、エレクトロ、HIPHOPなど幅広く音楽的アプローチをし、作品によっては参加メンバーが流動的に加わるなど、固定のバンドスタイルに縛られない形で楽曲制作を行っている。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000145.000055377.html

フレキシブルにメンバーを変えるスタイルは、どう考えても一般的なロックバンドのスタイルではないし、最初に書いた通り「音楽プロジェクト集団」という言い方が一番相応しく感じる。
そんなロックバンド的ではない彼らが「ロックバンドは恥ずかしい」と歌う。
世の中の多くのバンドは(恐らく)ロックバンドはカッコいいと思っている連中が大多数だと思うが、「ロックバンドは恥ずかしいんだ」と突きつける。それも思いっきり美しいサウンドに乗せて。

僕は今夢を見ているのかい
現実はどこへ行ってしまったのだろう
僕らは今 君に見えているのかい
何故だか気まずそうにしているよ
ロックバンドは恥ずかしい

歌詞の主語は「君と僕」で書かれている。
「僕」はギターを持って電車に乗っていて、「君」に語りかけている。
「君」と言うのが誰なのか推察すると、恋人や友人、あるいは世間からの視線かもしれないし、はたまたロックミュージックのことかもしれない。
そして突然3行目では主語が「僕ら」と複数形に変化する。
最後まで歌詞を読んでも、「僕ら」が誰なのかは明示されないが敢えて言うならば「ギターと僕」ではないかと思う。

桜のクリームを塗って
咲き誇る僕の理想さ
そう分かっていても
ロックバンドは恥ずかしい
ロックバンドは恥ずかしい
ギターを持って電車に乗った僕を
哀れな目で見ないでおくれ
ロックバンドは恥ずかしい

桜についての言及があるから季節は春だろう。
僕ら(僕とギター)は電車に乗って、組んだばかりのバンドの練習に向かう。
自分が長らく夢見ていた「バンドを組む」という夢を叶えて、心は浮ついてはいるが、ただ何となくこそばゆい様な感覚もあるのかもしれない。
そしてロックという音楽をしている自分を「哀れな目で見ないでおくれ」と言う。

遠くの方で見ている
香りと影よ
君は僕を見捨てないだろうさ
生きているのかすらも
ロックバンドは恥ずかしい
ロックバンドは恥ずかしい
ギターを持って電車に乗った僕の
哀れな顔を見ておくれどうか
ロックバンドは恥ずかしい

この曲を聴いて感じることは人それぞれだと思う。
シンプルだが表現は婉曲的で、抽象性が高い。
私はこの曲は「ロックが死んだ時代の賛歌」だと思った。
サウンドは全くロック的(ギターを掻き鳴らす様なもの)ではないし、ボーカルも繊細でがなるようなものでない。
ロックはメインストリームからどんどん遠ざかっていって、いつの日か過去の忘れ去られたものになる日が来るかもしれない。もう既に瀕死と言ってもいいんじゃないかとさえ思う。
それでも、歌詞にあるように、世界のどこかには「ロック」に夢を見てギターと電車に乗る人がいる。
「(僕の)哀れな顔を見ておくれどうか」で終わるこの曲はロックが死んだ(かもしれない)時代によく沁みる。
ロックが仮に死んでいたとしても、それに夢を見る人はまだいくらでもいる。
ロックバンドは恥ずかしいかもしれない。でもそれに夢を見ることは決して否定されることではない。
「ロックバンドは恥ずかしい」はロックが死んだ時代の賛歌なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?