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SCENE4:「川①」【メイキングオブ『ワンダーら』】

●シーン概略

「まだ」というワードからしりとり式に展開する、本作においていちばんわかりにくいセリフの応酬をするシーン。これは「川」です。意図して河原も岸も描いていない。手抜きではありません!


◎『2017』

前シーンの「」がそうだったように、「はじめに」で”過去に劇でつくったシーンを流用した部分も幾つかある”と書いたがこのシーンもそう。というかこの「川」を登場させた「2017年につくった劇作品」からは流用したシーンが本作には多い。今後頻出するため「2017年につくった劇作品」を『2017』と呼ぶことにします。
さてその『2017』だが、個人的にこれまでつくった劇作品のなかでも出色の出来であると自負していて、その理由はとにかく台本に当時の思考や哲学を全てぶち込めたという感覚がはっきりあるからだ。『2017』も"シーンぶつ切り法"で書いた作品だったのだが、その時のうまくいった感触が忘れられなかったというのも、本作の製作に影響している。ともあれ、そんな『2017』が誰にも覚えられていないのは勿体ない(実際観た人もかなり少ない)ので、エコロジー的観点から再利用しようという趣き。
一方で、この「川」に関しては当時のものから割とセリフを書き直している。当時の思考がもっとも反映されていたシーンだったからこそ、現在の自分とはあまり合致しない部分も多々あったからだ。
しかし、このシーン最初の「海はまだかな」というセリフはそのままである。「犬」のセリフと図らずもリンクしたことで、自身の過去どうしが時空を超えて繋がった!という感慨がある。(当時は思い出しもしていなかった)

◎縦軸として

『2017』内でそうだったので、本作においてもこのシーンは縦軸として召喚した。匂わせるような会話に終始しているが、これは当時の私が不条理劇に傾倒していた痕跡である。
不条理劇における荒唐無稽なやりとりは、「ある状況を仮定してみれば途端に具体的に聞こえる」という発見をして、それに倣いかなりそれを意識した文法で書いた。なので大幅に書き直したとはいえ、今回の「川」でもその手法を踏襲している。
要するにこの「川」の彼女らには、実はかなり具体的な状況を設定している。

◎「川」とは

まず、この段階では「海①」のシーンとここで扱われる「海」は別のものだ。そのため、このシーンは情景を排すことにした。すぐには「海」が──つまりはラストシーンが──想像されないように、風も雨もない、穏やかな水面という対比。
そして、彼女らにある具体的な状況。まあ私が思うところなので読み手の想像を限定したくはないが、……野暮を承知で言ってしまえば彼女らは「自死を選んだ者たち」である。穏やかすぎる水面から、どことなく"あの世感"が出てるとも思うが、これもいわゆる「三途」のやつだ。

◎「自死」というテーマ

「自死」は、本作の奥底に沈んだテーマでもある。〈海〉になぞらえるなら海底とするべきか。(テーマとかモチーフとか多いな!と思われるかもしれないが、切り口が変わって見えるだけで結局はひとつのことを描いているつもりだ。「血」を描きたかったのもここに結びついている)
”自死を「主体」から描く”ということが大きな目的であり、そして同時に大きな壁であった。自死をこうした作品で扱うとき、多くの場合“残された側”を描くことになる。そこを覆したかった。加えて、自死を”選んだ側”を「かわいそう」で括らないこと……その上でギリギリ感情移入せずにその切実さに触れられないかを確かめたかった。
この「川」のシーンにおいては、まったくもってそう見えないよう描くことで成立した気はする。切実さは欠いているが……まあ1人「何故ここにいるのか忘れた」奴がいるくらいだし、そんなものかもしれない。極限までドライ(水面を漂っているのに)な質感の会話を保つよう心がけた。

実はこの「川」とは別に、もっとはっきりめに自死的なメタファーを入れたシーケンス(当然雰囲気もまるで異なる)もあったのだが、作画する最終の段階で切り離した。構成上、それが入ると入らないのとではまるで読み味が変わる。し、むしろ読み味をまるっきり変えるために創作したシーンだったが、今の私にはそれを必要な解像度で描ける技術が無いと判断した。
そうまでして自死を描きたかったのは、別に身近にそんな体験があったからではない(身近にならなければ気づけない、という怠慢からは脱出するべきだ)。身近でこそないが、ある人の自死についてかなり思うところがあり、そしてそれを想い続けるために、作品に残したかった。いつか果たすべき使命のようにすら思っている。

◎キャラクターについて

話を本筋に戻す。
ここにいる3人のキャラクターに名前は無い。引用元の『2017』の時点からして、役名はAとBとCだった。その辺は実に演劇的な処理の仕方──俳優という既にネームドな存在が演じるから、あえて役名がなくても登場人物が自動的にキャラクター化する──だと思う。
名前こそないが、本シーンは縦軸として複数回描く前提だったから(「」もそうだけど)、「犬」などのシーンと違いキャラクターが”キャラクター然”とするよう意識的に凝ったデザインにした。というか、私がよく見ているアパレルブランドのホームページからかっこいいなと思う服を着せただけなんだけど。

◎榎本俊二

本シーンの参照作家は榎本俊二氏。最新作『ザ・キンクス』がちょっとどうかするくらいやばい。これもまた「マンガでこんなことできんの!?」だった。コマあたりのセリフの配分に多大に影響と引用が見られる。シーン初めの遠景から入るのとかもモロにそう。あとB (真ん中)は『2017』当時からこんなやつだったのだが、結構榎本キャライズムなんじゃないかと気づき参照作家として選んだ部分もある。


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