変えるのは自分

電車に乗ったら、優先席に分かれて座っているおばちゃま方が賑やかに向かい合ってしゃべっていた。ふっと目をやると、普通席に座っているもう一人のおばさんが、眉間にしわを寄せて、にぎやかなおばちゃま方をにらみつけている。ああ、うるさいとおもっているんだなと。おばさんは、何度も何度も苦しそうな顔で、「うるさいんだよ」と訴えたいかのように、チラチラと目を遣っては、そのうち眉間にしわを寄せたまま目を閉じて、じっと我慢しているように見えた。

ああ、苦しみだな。このおばさんはいま苦しみを感じている。
うるさいおばちゃんま方を黙らせたい。
あるいは、ここは公共の場、もう少し静かにしたらどうなのとおばちゃんま方に面向かって叫びたいのかもしれない。
いずれにしても、うるさいのがいや、だからだまってと。
わたしはうるさいのがいやなの、だからだまって!
公共の場でしょう?ルール守ってよ!とまあきっと心の中で叫びたい言葉が渦を巻いていたのでしょう。

まあ、たしかに、公共の場でうるさくする相手が悪いかもしれない

でも、自分の苦しみを減らせるのは、自分しかないのだ。

それが仏陀の教え

生きることは、すべてが自分の意のまま叶うことなんて、ありえないでしょう。そもそもみんなの価値観違うし、価値観が違えば、合う合わないあるし。だから、仏陀は言ったのだ。生きる自体が苦しみに満ちている。
だからこそ、自分の心を清らかにして、自分で調整できるようにすることが大事と2500年もの間、語りかけてくれている。

じゃ、さきのおばさんがうるさーいという苦しみからどのように抜ければ良いのか。それは、自分で自分を変えるしかないのだ。

この世の中、自分を変えるだけでも大変、ましてや他人を変えるなんて。

だから、この場合、イヤホンをつけるとか、自分の心の注意力をほかに持って行くほかないでしょうね。

わたしがこの時におすすめするのが、お念仏です。
御真言でも良いです。べつに仏教徒である必要もないですよ。
キリスト教やほかの宗教なら、ご自分の神様と会話をしても良い。

苦しい、つらい時間だからこそ、自分の心のうち、あるいは自分が信じる神様、仏様、菩薩様と対話をすればよいのです。
ああ、神様、うるさくてしかたのないのです。どうかわたしに忍耐力を授けたまえ。うるさいけれど、どうかわたしが優しい心を見失わないように、
となどなどやっても良いでしょう。

頭の中で、お笑いコント再生させても良いですよ。

相手が悪い、だから直して!って思うのは簡単ですが、現実はそのようにうまく行きません。自分の心持ちをすばやく変えることが、変えるくせを身につけるほうが、より早く自分が苦しみから離れ、幸せになります。

どうですか?乗車の間、ずっとうるさいうるさいと心をイライラさせて、一日気分を悪くして、もしかしたらその怒りがその後、全然関係ない人に飛び火するのかもしれません。そうなった場合、結局損しているのは自分です。
うるさくしていたおばちゃんま方は、痛くもかゆくもありません。

仏陀が2500年の間、ずっと説かれていること
それは、自分の心持ち一つで、この世界は違うように見えるということです。
だから、自分を幸せにするのは、自分しかない。自分の心を幸せなほうな考え方に切り替えていく習慣を身につけることです。
とっても難しいことであるが、それが仏教でいう修行です。
まちがってはいけません。
仏教は生きる哲学です。とっても論理的です。実践を伴い、自分の心を自ら変容させていくプロセスです。ノウハウは、すべて仏典に書かれています。

修行するのに、なにかの宗教団体に入る必要はありません。
勘違いする人が多くいるのが残念です。

在家修行のすすめ

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