執筆裏話 No.002
今回は、いつも情報提供でご協力をいただいている方の依頼で作成したものだが、話の内容的に”限られた人々へ向けたもの”にしたほうが良いと考えたため、こちらの裏話として公開することにした。
本裏話は、その方とのツイッターDMでの会話を中心に「NHK党の現状について」私の見解を述べていく。しかしながら、会話の内容で今回の話相手が誰かおおよその見当がついてしまうと思われる。その点については相手方から、「それで皆さんが楽観視することの危険性に気付いてもらえるなら構わない。」と了承を得た。そこまでして皆様に伝えたいことがあるのだろうと私は理解し、本記事作成に着手するに至ったものである。
以下、様々な内容を結構な時間をかけて話した内容を、要点別に整理・構成したものを下記に記す。(会話部分の文章などはできるだけ簡潔にした。)相手の方の名前を仮にNさんとする。
会話① NHK党の炎上作戦について
なぜ「隙間を突いている」と私が考えているのかを説明しておこう。
まず、山本太郎同姓同名作戦について立花孝志氏は「選挙区と比例と被らないので按分にはならない。」としているが、やはり”れいわ新選組 山本太郎氏”と勘違いする有権者は必ず(若干名でも)いるはずなので、按分にならなければ”勘違い票”はそのままNHK党に上積みされ、仮に”れいわ新選組 山本太郎氏”が比例にも出てきた場合は按分が発生し、その按分もプラスされ、NHK党にとってはどちらでも旨い汁となる。また、立花孝志氏は「”れいわ新選組 山本太郎氏”のアンチにNHK党へ投票してもらう」ことも期待していると発言しており、その分もいくらか得票へ繋がることだろう。
そして東谷氏への便乗等に関する炎上作戦だが、世の中には「有名人・著名人が痛い目をみている」光景が”おもしろい”と感じる人々は実は思いのほか多く、そういった人々は「おもしろいから応援する」というスタンスを持つことが少なくない。そこに政治的思想や理念といったものは(全くとは言わないが)関係無く、なぜ今までNHK党が選挙で負け続け否定されてきたのかにも興味を示さないのだ。それ故に、そういった人々の投票を止める術は無いと言っていいだろう。
つまり「隙間」とは、他の既存政党間で行われている政策論争や主張合戦で動く”票”の取り合いではなく、それらを日頃から見ない気にしない普段は選挙にも行かない人々の”票”のことである。
このタイプの人々の票については、他の既存政党間で行われている票の奪い合いの影響を(ほぼ)受けることはないので、これらの票がそのまま上積みされると見てまず間違いないだろう。(もちろん、有権者の中でこういった人々がどれだけ投票行動を取るのかにもよると思うが。)
「認識の違い」とは、何を問題視するべきか、どこを批判するべきかという点において、今回の数々の炎上作戦(特に同姓同名)を切欠にNHK党や立花孝志氏の批判をした人々と、これまでの彼らのやり方を踏まえた上で、手法や目的そのものを批判する人々との視点の違いのことだ。
「参院選2022 れいわ新選組 山本太郎 との同姓同名作戦」の中でも述べたことだが、立花孝志氏の同姓同名作戦の狙いは”按分票”や”勘違い票”だけではない。批判をしてくる人への返答で正論を返し、その正論を見た人に好印象を与え、得票に繋げることまで狙いに含まれている。(これは、立花孝志氏が批判者に逐一返答をしに行っていることからの私の推測だが。)
実際、その返答を見て「天才!」「さすが!」と称賛する界隈初心者は少なくない。一部の著名人すらこの作戦に釣られている始末だ。この”返答を見て云々”については、東谷氏への便乗に関しても同様のことが言える。
そもそも、”れいわ新選組”に比例票を投じる人々は、先の衆院選から「比例はれいわ」に慣れている。さらに、同姓同名作戦が世間的な批判の的になることや、言うほど得票に繋がらないことはすでに実証済みである。
(参考:N国党・立花孝志と衆院静岡4区補選 ①)
ならばなぜという話だが、それがつまりは上述した「隙間を突いている」ということに繋がっているのだ。
会話② NHK党の今後について
なぜ「民意をもって否定して退いてもらう」ことが叶わなくなるのか、私の見解を述べる。(というか、N国党・立花孝志 vs モラリスト ⑧ で2022年04月14日に記載した内容を以下にそのまま転載する。)
ここではさらに以下を付け加えておきたい。
仮に3年間延長されたとしてあと6年、NHK党 立花孝志氏らはその報酬に見合う働きを国政の場でできるだろうか。立花孝志氏が比例当選を果たしたときに彼自身もこう言っていた。「国会は数だから、数が増えなきゃ何もできない。」その通りだ。では、これまでのNHK党のやり方・手法を目の当たりにしてきた有権者は、公党期限が延長されたからと言って手を貸す(その後の選挙で投票する)だろうか。これまでの経緯・事実を承知ならそれはしない可能性が高く、2%超えを維持できたとしてもその後支持をを拡大することはおそらく不可能と考えられる。選挙で所属議員が増えないならばと、他党や無所属議員が入ってくるだろうか。それができないから現在も1人きりなのだ。そして何より、他党との連携で国会内での協力は可能かどうかまでを考えると、それも望み薄と言わざるを得ない。NHK党と手を組むことそのものが世間からバッシングの材料になってしまう怖れがあるからだ。それはこの約3年間での他党の態度からも見て取れる。
つまり、公党期限が延長されても、今までのやり方・手法への批判を全て丸っと帳消しにでもできない限り、党勢拡大は難しい状況が今後も延々と続くことになる。その状況下で立花孝志氏は「NHK問題が解決したら引退して解党します。」としているが、裏を返せば「NHK問題が解決せずにいたらNHK党は安泰です。」と言っているようにも聞こえてしまう。
今彼らが掲げている看板は「NHKから裁判されたら費用肩代わり」だ。1人いる参議院議員の浜田聡氏の評価にしても、国会内で活躍している他党議員に比べればその存在は霞む。その状況のまま、いつまで年間数億にもなる政党助成金をNHK党に流し続けなければならないのか、その額に見合う働きが今後期待できるのか、皆様にも今一度お考えいただきたい。
会話③ 楽観視が招く事態
今楽観視が広がると、なぜ警鐘を鳴らす人々がいなくなると私が考えているのかを記しておきたい。
2019年の参院選以後しばらく、立花孝志氏は迷惑街宣をはじめ傍若無人ぶりを披露していた。その光景を信者たちは「天才!」「神の一手!」と囃し立てた。しかし、そういった行いが周知されるにつれ、支持率は低迷、選挙では連敗、あげく警察に家宅捜索され第一審で実刑判決が下されることになるのだが、「天才ではなかった」「神の一手ではなかった」と判明していく過程の中で、囃し立てていた者たちは界隈から姿を消していったのである。
まず、なぜ彼らは消えていったのかを考えてみよう。
NHK党にまだ少なからず勢いがあったとき、彼らは「自分たちの想像の通りになっていく」「自分たちは正しい」と思い込んでいたはずだ。それが徐々に覆され否定されていく中で、自分の認識や考え方の間違いに気付いて黙った者たち、それが恥ずかしくなって身を潜めた者たち、そのまま行けると思い込んでいた者たちが次々に姿を消したと見ていいだろう。
私が危惧しているのは、これまでとは逆に”反NHK党勢が姿を消しはじめる”可能性だ。次の参院選の結果次第では、NHK党信者と反NHK党勢で逆の現象がおきる可能性がある。
人は、「どうせ〇〇でしょ」とタカ括っていたところをひっくり返されると、高見の見物を気取っていたことが恥ずかしくなり、その後の発言や主張をしなくなるものだ。これが楽観視に伴う現象である。
それでなくとも2019年参院選以後、警察の家宅捜索時をピークに減りつつある反NHK党勢。同じことの繰り返しに飽きた者、私生活の変化で追えなくなった者、理由は様々だと思うが減少を続けていることは間違いはない。そんな状況下でこの現象が起きてしまうと、今後NHK党のやり方・手法に異を唱える者が益々いなくなっていく。その結果どうなっていくのかというと、私や”ちだい氏”のような者の活動が意味を成さなくなっていくのである。
私や”ちだい氏”の主張・訴えは、共感して周知に協力してくれる人々がいてこそ意味がある。そういった人々がいなくなる(減る)ということは、問題を世に周知するチカラが無くなっていくことと同義だ。
昨今でもすでに、NHK党の手法・活動・存在には一般の多くの有権者は見向きもしない。しかしその無関心を逆手に取って、やりたい放題ができる状況を喜んでいるのはNHK党なのだ。
これまではまだ、「自分がやらなくても他の人がやるだろう」という他力本願でもどうにかなってきた。しかし、界隈そのものの縮小に伴い減少した異を唱える者たち。このままでは「誰もやらなくなる」という着地点が現実味を帯びてくる。
司直や行政に期待する気持ちもわかるが、それと次の参院選での2%達成は別で考えるべきだ。もし公党期限が6年に延長された後で司直や行政が動いたとしても、その6年の間にNHK党の立て直しは十分可能だろう。
天王山は3年後ではない、今ここが運命の分岐点だ。
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