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神と暴力①〜カニエウェストを考える〜

私がカニエウェストと出会うまで

第二子妊娠中、子宮頸管無力症による切迫早産で3ヶ月入院した。夏の終わりから冬の始まりまでの最も美しい季節を私は病室でただ横になって過ごした。
寝たきりの妊婦の体重が増えないようコントロールされた病院食に心躍るはずもなく、wi-fiもない。この社会と隔絶された異常な退屈は私にとって重要な経験であった。なんといってもテレビでやっていたローランドエメリッヒの『ホワイトハウスアウト』を見て感動し、号泣したのだ。ありえない。まさかわたしが!!自称映画好きのこのわたしが!!エメリッヒで泣くなんて!!!!!
このエメリッヒ号泣事件以後、わたしは精神の異常に気付き自身を律しようと決めた。退屈な毎日を漫然と生きていてはエメリッヒで泣くような人間になってしまう(まぁ別にいいんだけど)。
まずやったことは毎日のルーティンを決め厳格にそれに従う、というもの。幸い起きる時間や食事の時間はコントロールされていたのでその合間にやるべきタスクを埋めるだけで済んだ。やるべきタスクとはいっても絶対安静の妊婦である。できることは少ない。朝の体温確認で叩き起こされたらまずはカーテンを開ける。素晴らしい朝日の入る窓であったのでそのまま音楽を聴きながら目覚ましのストレッチを入念に行う。

この時聴く音楽が問題だった。今まで好きで聴いてきた曲が何か別の世界のものなんじゃないかと感じるのだ。どうして?あんなに大好きだったのに、何も感じない。シャバで忙しく動いている中でふと聴いて身に染みる音楽は、圧倒的無刺激退屈な日々に暮らす者にとってはまるで別世界、空虚なものになってしまう。音が耳を上滑りする。
これは新しく曲をディグるしかない。そうしてようやく辿り着いたのが「カニエウェスト」だった。(ようやく本題)


カニエウェストとの日々

元々カニエウェストは聴いていたが私が出会ったのはゴスペルを多用したアルバム『Jesus Is King』だった。名前からしてやばい。彼は自分をKingと呼称することもあったのでなおさらヤバい。しかし音楽は本当に素晴らしいものだった。退屈で精神に異常をきたしかけていた私に踏み込んできた。他の音楽と私には見えない壁があった。それを壊してこちら側にやってきたのはこのアルバムだけだったのだ。そして非常に救われた思いがしたのだ。寄り添い染み渡る音楽を聴きながら毎朝朝日を浴びることが1日で最も楽しみなこととなり(長男がお見舞いに来てくれる日は別)退屈な毎日に輝きをもたらしてくれたから。

彼には音楽性とはなにか別の他の人とは違うところがある。それを突き止めたくて、わたしはこのころから今までずっとカニエのことを考えるようになった。

カニエのざっくりした経歴は以下に。
・そこそこ裕福な、どちらかと言えばインテリ黒人家庭に生まれる(ギャングスタラッパーじゃない)
・若い時に音楽プロデューサーとして頭角を表す
・自身もラッパーとして表に出る
・交通事故で神にあう
・ファッションプロデューサーとしても頭角を表す
・自分をキングとかイエスとか言いはじめる
・サンデーサービスをはじめる
・ユダヤ系に対する発言で干される←今ココ

私が聴いたアルバムはスルーザワイヤー以後、信仰を深めていったカニエの作品だった。
彼の音楽がこちら側にやってきた理由はここにありそうだ。そしてわたしは、長い間考えないことにしていた信仰、神について考え始めた。


「世界は誰が作ったの?」
子にそう聞かれたらなんと答えよう。







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