「生き続ける選択」をした結果
誕生日を迎え、新たな人生を進む選択ができた私。
あまり悠長に構えてられない現実を受け入れて、セカンドオピニオン先の病院を受診することにしました。
やはり、そこでも初めに言われたのは「抗がん剤治療」。
でも、どうしても抗がん剤治療は受けたくなかったので、まず外科手術を受けたいとお医者さんにお願いして、先に外科手術を受ける段取りで進めてもらうことにしました。
それに向けて、色んな検査を受けました。
がんがあること以外は、全て正常と言われて、健康?そのものとも言われました。
心臓のエコーを見た時、ふと込み上げてきたものがありました。
「私が生まれてからずっと、動き続けてくれている心臓なんだ…」って。
こんなことでもないと、見ることがなかった心臓の動き。
いつもいつも、どんな時も動き続けてくれている心臓。
自分の身体の健気さをしみじみと感じました。
病院への通院、と言っても検査ばかりで治療はないので、毎回1人で行くわけです。
と言いますか、がん宣告ですら1人で受けたので、誰かと一緒にいることはまず私にはなかったんです。
(あ、治療法の相談時等で近親者と一緒にきてくださいと言われたときは1人ではなかったですが)
1人で待合室にいる時は、やはりしんどかったですね。
受診していた大学病院は、がん専門病棟があるので、そこの待合室にいるのは全員がん患者のみということになります。耳にする言葉も、あまり聴きたくない話が耳に入るんですね。
なので、なるべくその場所に居たくなかったので、病院内にテラスがあったので、そこで呼び出されるギリギリまで過ごしていました。
9月だったので、まだテラスは暑かったのですが、それでもふと吹いてくる風や太陽の光の中でコーヒーを飲んだり音楽を聴いたりして、「その瞬間を楽しむこと」と自分に言い聞かせてその時間を過ごしていました。そこにいる時は、ホッとできる場所にしました。
手術の日程が2ヶ月先に決まったのですが、この頃から何気に不思議な流れが出てきました。
ある友人に誘われて行った場所でがんであることをカミングアウトしたら、その場にいる皆さんに勇気と愛を貰えたり、がんに効果があると言われているレメディを教えてもらえたり、「がんにアプローチできるアイテムを持っているので渡したい」って言ってワザワザ遠いところまで持ってきてくれて、それ以来、私以上に私のことを心配して色んな情報を教えてくれた新たな友人ができたり。
不思議なことに、セカンドオピニオン先での細胞診の結果が変わったり…
(再度生検を受ける羽目になりましたが)
また違う友人に、難病の方を何人も救ってられる方のところに連れて行ってもらえたり、「自分の体は自分で治す」というセミナーを受けることができたり、そこでまたがんであることをカミングアウトしたら、新たな情報やご縁をいただけたり…
私の目の前に、色んな状況が現れてきたのです。
そして手術の10日前、手術前の診察が最後の日に細胞診の結果が出ました。
結果は、やはり変化はあったものの、浸潤がんも非浸潤がんも両方出たということで、結局は右乳房の全摘・リンパ節切除手術は変わることはありませんでした。
結果を聞いた日も1人でしたので、帰り道、放心状態でした。
家族には結果は伝えたものの、それ以上の話を私はしたいと思わなかったし、したところで何もならないと思い、ただ1人になりたかったので、1人きりで夜を過ごしていました。
もう、これは覆すことができないのか…
この日の夜は、眠れない夜を迎えました。
何とか変えたい。
どうしたらいいのか?
今、私ができることは何か?
そうやって、自分と対話し続けました。
恐怖と不安に潰されそうになりながら。